永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(86)(87)

2015年12月22日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (86) 2015.12.22

「またの日はこうじ暮して、あくる日、をさなき人『殿へ』と出で立つ。あやしかりけることもや問はましと思ふも物憂けど、ありし浜辺を思ひ出づる心地のしのびがたきに負けて、
≪うき世をばかばかりみつつ浜辺にて涙になごりありやとぞみし≫
と書きて、『これ見給はざらんほどに、さし置きてやがて物しね』と教へたれば、『さしつ』とて帰りたり。もし見たるけしきもやと、した待たれけむかし。されどつれなくて、つごもりころになりぬ。」
◆◆次の日はすっかり疲れ切って一日を過ごし、その翌日、道綱は「本邸へ」と言って出かけます。唐崎へ出かけた日に、よりによってあの人がわが家に来たことが腑に落ちないことなど、聞いて見たいと思うのですが、どうも気が進まない。でも先日の浜辺の感動を思い出し、黙っていられない気持ちを抑えて、
(道綱母の歌)「さんざん辛い目に合ってきた私に、まだ残りの涙があるかどうかを見に、御津(みつ)の浜に行ったのでした」
こう書いて、道綱に「このお手紙をお父様が御覧にならない間に、そっと置いて帰っておいで」と言いつけると、「そのとおりにしました」と言って帰ってきました。もしや、私の歌を読んだ気配でもあるかしらと、あの時は内心では返事を待っていたようだったけれど、でもやはり、そのような様子もなく、月末になってしまったのでした。◆◆



蜻蛉日記  中卷  (87) 2015.12.22

「先つ頃、つれづれなるままに草どもつくろはせなどせしに、あまた若苗の生ひたりしを取り集めて、屋の軒にあてて植ゑさせしが、いとをかしうはらみて、水まかせなどせさせしかど、色づける葉のなづみて立てるを見れば、いとかなしくて、
≪いなづまの光だに来ぬ屋隠れは軒端の苗も物おもふらし≫
と見えたる。」
◆◆先日、手持ち無沙汰のまま、庭の草々の手入れなどさせていた折に、稲の若葉がたくさん生えていたのを取りまとめて、軒下に当るように植えさせたのが、とても面白く実をつけてきたので、水など引き入れて世話をしたのですが、今では黄色くなった葉が弱々しく立っているのを見ると悲しくなって、
(道綱母の歌)「稲妻の光さえ届かぬ家の陰(夫の訪れない我が家)では、軒下の苗も、私と同じように沈んでいるようだ」
と、思われたのでした。◆◆