永子の窓

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蜻蛉日記を読んできて(76)の2

2015年10月26日 | Weblog
蜻蛉日記  中卷  (76)の2 2015.10.26

「また、奥に、
<宿みれば蓬の門もさしながらあるべき物と思ひけんやぞ>
と書きて、うちおきたるを、前なる人見つけて、『いみじうあはれなることかな。これをかの北の方に見せたてまつらばや』など言ひなりて、『げに、そこよりと言はばこそ、かたくなはしく、みぐるしからめ』とて、紙屋紙に書かせて、立文にて、削り木につけたり。」
◆◆また、奥の方に、
(道綱母の歌)「西の宮の御邸は、蓬の生い茂る門も閉ざされたままです。このようにすっかり荒れてしまうとは、まったく思いもよりませんでした」
と書いて、何気なく置いておいたのを侍女が見つけて、「たいへんお心のこもったお歌ですこと。これを、あちらの奥方さまにお見せしたいものですね」などと言うことになって、「ええ、そうしましょう。どこどこからとはっきり言って贈るのでは、気が利かないうえ、みっともないし」と言って、紙屋紙に書かせて、立文にし削り木につけました。◆◆


「『いづこより』とあらば、『多武の峯よりと言へ』と教ふるは、この御はらからの入道の君の御もとよりと言はせよとてなりけり。人とりて入りぬるほどに、使はかへりにけり。かしこに、いかやうにか定めおぼしけむは知らず。」
◆◆「どちらさまから」と聞かれたならば、「多武の峯からと答えるように」と教えたのは、奥方さまの御兄弟の入道の君、少将孝光さまの御元からといわせようと思ってのことでした。使いに持たせてやると、あちらでは侍女が受け取って奥に入って行った間に、使いは帰って来てしまい、奥方さまの方では、どのようにご判断されたのか、その後のことは分りません。◆◆


■紙屋紙(かみやがみ)=京都市北野を流れる紙屋川のほとりに紙屋院(図書寮の別院)があって、ここで漉き返した紙をいう。薄墨色の場合が多く、時には漉く前の字が多少残っている場合もある。厚手で丈夫。宣旨を書くのに使われたところから宣旨紙ともよばれた。

■立文にて(たてぶみ)=書状の形式の一つで正式な場合に使う。包み紙で縦に包み、余った上下をひねる。

■削り木=神事に用いる白木のこと。

■多武の峰(とうのみね)=奈良県桜井市にある山。山中に談山神社がある。藤原氏ゆかりの山。少将藤原高光が籠った山。

■入道の君=藤原師輔の子息で愛宮の同母兄、応和元年(961年)冬、出家して横川に入り、二年多武の峯に登り修行する。多武峯少将と呼ばれ、『多武峯少将物語』の主人公。