永子の窓

趣味の世界

蜻蛉日記を読んできて(46)(47)

2015年06月23日 | Weblog
蜻蛉日記  上巻 (46) 2015.6.23

「忌日などはてて例のつれづれなるに、弾くとはなけれど琴おしのごひてかきならしなどするに、忌みなきほどにもなりにけるを、あはれにはかなくてもなど思ふほどに、あなたより、
<今はとて弾きいづる琴のねをきけばうちかへしてもなほぞかなしき>
とあるに、ことなることにもあらねど、これを思へば、いとど泣きまさりて、
<亡き人はおとづれもせで琴の緒を絶ちし月日ぞかへりきにける>
◆◆一周忌のことなどもやり終えて、例のようにつれづれとなったときに、琴を弾くというほどもなく、喪中に積もった塵を払いなどして爪弾いていますと、もう喪もあけてしまったのだと、それもなんと虚しく月日のたつものだと、しみじみ悲しく思っていたときに、あちらの叔母から
(叔母の歌)「喪があけて久しぶりに取り出されたのでしょう。弾いている琴の音を聞いていると、またも亡くなった貴女の母上のことを思い出して悲しくなります」
とありました。格別取り立ててのことではないけれど、その気持ちを思うと、またまた涙にくれて、
(道綱母の歌)「琴を弾いても、亡き母は戻ってくることはないのに、琴の弦を断ったその命日が再び巡ってきました」◆◆


蜻蛉日記  上巻 (47) 2015.6.23

「かくて、あまたある中にも、たのもしきものに思ふ人、この夏より遠くものしぬべきことのあるを、『服はてて』とありつれば、このごろ出で立ちなんとす。これを思ふに、心ぼそしと思ふにもおろかなり。今はとて出で立つ日、渡りて見る。」
◆◆こうしているうちに、大勢の兄弟姉妹の中でもっとも頼りに思っている姉が、本当ならばこの夏から遠くに行く(夫の任地)べきことがあったのですが、「一周忌が終わってから」ということで、いよいよ出発することになりました。姉との別れを思うと、心細いなどというありきたりの言葉では言い表せないことです。いよいよ出発という日に、私はそちらへ出向きました。◆◆


「装束一領ばかり、はかなき物など硯箱一よろひに入れて、いみじうさわがしうののしりみちたれど、我もゆく人も目見合わせずただ向かひゐて涙をせきかねつつ、みな人は、『など』、『念ぜさせ給へ』、『いみじう忌むなり』などぞ言ふ。」
◆◆装束一組とちょっとした物を硯箱一つに入れて持っていきますと、そちらでは忙しく騒ぎ立てていているところでした。私も姉も視線を合わせることもできず、ただ向かい合って涙をこらえていますと、人々は、「どうしてそれほどお泣きになるのですか」とか、「ご辛抱くださいませ」とか、「そのような(別れの涙は)不吉でございますよ」などと言うのでした。◆◆


「されば車に乗りはてんを見むはいみじからんと思ふに、家より、『とく渡りね。ここにものしたり』とあれば、車寄せさせて乗るほどに、行く人は二藍の小袿なり、とまるはただ薄物の赤朽葉をきたるを、脱ぎかへてわかれぬ。九月十よ日のほどなり。家に来ても、『などかく、まがまがしく』と、咎むるまでいみじう泣かる」
◆◆こんな風では、車に乗ってしまうのを見るのはどんなにか辛いことだろうと思っているときに、自宅から「早くお帰り、こちらに来ているよ」と使いが来たので、車を寄せさせて乗るときに、出立する姉の衣装は二藍の小袿で、留まる私は薄い絹織物の赤朽葉色のを、お互いに脱ぎ替えて別れたのでした。丁度それは九月十日過ぎの頃でした。家に帰ってきてからも、あの人が、「どうしてそんなに泣くのか。不吉なくらいに」と文句を言うほど、ひどく泣けてくるのでした。◆◆
■装束一領(そうずくひとくだり)=衣装一そろい

■二藍の小袿=(ふたあゐのこうちぎ)藍と紅藍で染めた色の小袿。重ね着の一番上に着る。
 小袿は、高貴な女性の准正装。姉なる人は藤原為雅の妻であるらしい。
 ちなみに十二単姿は、女房の装いを意味し、女房装束とも呼ばれた。小袿姿は高貴な女性用。
十二単は従者用。

■薄物の赤朽葉=(うすもののあかくちば)夏は袿の代わりに薄物という絹織物の衣装を着ることがある。赤朽葉の色は赤味を帯びた落葉色。

■イラストは小袿