永子の窓

趣味の世界

源氏物語を読んできて(1001)

2011年09月19日 | Weblog
2011. 9/19      1001

四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(62)

「かくのみ思ひてはいかがすべからむ、苦しくもあるべきかな、いかにしてかは、大方の世にはもどきあるまじきさまにて、さすがに思ふ心のかなふわざをすべからむ、など、おりたちてれんじたる心ならねばにや、わが為、人の為も心やすかるまじきことを、わりなく思ほし明かす」
――(薫は)こう思い詰めていては、この先どうしたものだろうか。辛いものだ。どうしたなら世間から非難されずに、自分の想いが叶うようにできようか、などと、恋の道に熟練されていらっしゃらないせいか、自分のためにも、相手(中の君)のためにも、気の休まる折とてもないことを、ただただ思いあぐねて一夜を明かしたのでした――

 一方では、

「似たりとのたまひつる人も、いかでかはまことかとは見るべき、さばかりの際ななれば、思ひ寄らむに難くはあらずとも、人の、本意にもあらずば、うるさくこそあるべけれ、など、なほそなたざまには心もたたず」
――大君に似ていると言われた人が、実際本当かどうか、どうして見定められよう。大した身分ではないそうだから、情をかけるのに面倒なことはないにしても、もしその人が自分の思い通りの女でなかったなら、これまた厄介なことになろう、などと思っては、浮舟の方にはお心が動かないのでした――

「宇治の宮を久しく見給はぬ時は、いとど昔遠くなる心地して、すずろに心細ければ、九月二十日余日ばかりにおはしたり。いとどしく風のみ吹き払ひて、心すごく荒ましげなる水の音のみ宿守にて、人影もことに見えず」
――(薫は)宇治の旧邸を長らくお訪ねにならずにいらっしゃると、いよいよ昔が遠くなるような気がなさって、何となく頼りないので、九月二十日過ぎにお出かけになりました。風ばかり一段と吹き荒れて、いかにも物凄く荒々しい川波の音だけが宿守で、人影も見えません――

 薫はこのお邸をご覧になるにつけて、何よりも先に胸がいっぱいになって、悲しさは限りもありません。
弁の尼をお召しになりますと、障子口に青鈍色の几帳を立ててご挨拶ににじり出て、

「いとかしこけれど、ましていと恐ろしげに侍れば、つつましくてなむ」
――畏れ多いことでございますが、以前にも増して醜く老いさらばえておりますので、几帳越しでお許し願いとうございます――

 と言って、顔を見せません。薫は、

「いかにながめ給ふらむ、と思ひやるに、同じ心なる人もなき物語もきこえむとてなむ。はかなくもつもる年月かな」
――あなたがどんなに物思いをしておられるかと思うと、他には同情する人もない話でも申し上げようかと思いまして。ほんとうに月日のたつのは早いものだ――

 と、溢れる涙に目をうるませていらっしゃいます。

◆もどき=非難

◆れんじたる心ならねばにや=練じたる・心ならねば・にや=熟練したのではないせいか

◆5日ほどお休みします。では9/25に。