2011. 9/11 997
四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(58)
中の君は、
「あはれなる御願ひに、また、うたてみたらし川近き心地する人形こそ、思ひやりいとほしく侍れ。黄金もとむる絵師もこそ、など、うしろめたくぞ侍るや」
――御志は有難いとはおもいますが、でも、人形(ひとがた)というものは、禊ぎに使われて、御手洗川に流されるものですから、それを思いますと、姉君がお気の毒でなりません。また、絵師にも、黄金が少ないとかで醜く作る者もいるとか。あまり感心できないことです――
薫が、
「そよ。その工匠も絵師も、いかでか心にはかなふべきわざならむ。近き世に花降らせたる工匠も侍りけるを、さやうならむ変化の人もがな」
――まあ確かに、その彫刻師にしましても、絵師にしましても、どうして私の心に叶うものが出来ましょう。あまり昔のことではなく、作った仏が霊妙なお姿だったので、天が感じて蓮華を降らせたほどの彫刻師がいたそうですが、それほどの奇跡を表す人が居ましたら――
などと、何としても亡き人が忘れられずにお嘆きになるご様子が、あまりにも愛おしくて、中の君は、少しこちらへにじり寄られて、
「人形のついでに、いとあやしく思ひ寄るまじき事をこそ思ひ出で侍れ」
――その人形(ひとがた)のついでに、本当に妙な、思い出してはならぬようなことを思い出しました――
とおっしゃる中の君のご様子が、いつもより打ち解けてみえましたので、薫は嬉しくなって、
「『何事にか』といふままに、几帳の下より手をとらふれば、いとうるさく思ひならるれど、いかさまにして、かかる心をやめて、なだらかにならむ、と思へば、この近き人の思はむことのあいなくて、さりげなくもてなし給へり」
――「何事でしょうか」おっしゃりながら、几帳の下から中の君の御手を捉えます。中の君は、いよいよ煩わしいこととお思いになりますが、何とかしてこのような薫のお気持を無くして、穏かなおつき合いにしたいものと、常々考えていらしたこともあって、ここで下手に抗っても、そばにいる少将の君に、妙に思われるのも迷惑と、さりげなくもてなしておいでになります――
そして、中の君は、ある人のことを語りはじめます。
◆うたてみたらし川近き心地する人形=うたて・御手洗川・近き心地する・人形(ひとがた)=禊ぎに使われて御手洗川(みたらし川)に流され、棄てられる人形(ひとがた)などとは。
◆人形(ひとがた)=禊ぎ(みそぎ)の時は、罪穢れを人形(ひとがた)に移して、御手洗川に流す習慣があった。
では9/13に。
四十九帖 【宿木(やどりぎ)の巻】 その(58)
中の君は、
「あはれなる御願ひに、また、うたてみたらし川近き心地する人形こそ、思ひやりいとほしく侍れ。黄金もとむる絵師もこそ、など、うしろめたくぞ侍るや」
――御志は有難いとはおもいますが、でも、人形(ひとがた)というものは、禊ぎに使われて、御手洗川に流されるものですから、それを思いますと、姉君がお気の毒でなりません。また、絵師にも、黄金が少ないとかで醜く作る者もいるとか。あまり感心できないことです――
薫が、
「そよ。その工匠も絵師も、いかでか心にはかなふべきわざならむ。近き世に花降らせたる工匠も侍りけるを、さやうならむ変化の人もがな」
――まあ確かに、その彫刻師にしましても、絵師にしましても、どうして私の心に叶うものが出来ましょう。あまり昔のことではなく、作った仏が霊妙なお姿だったので、天が感じて蓮華を降らせたほどの彫刻師がいたそうですが、それほどの奇跡を表す人が居ましたら――
などと、何としても亡き人が忘れられずにお嘆きになるご様子が、あまりにも愛おしくて、中の君は、少しこちらへにじり寄られて、
「人形のついでに、いとあやしく思ひ寄るまじき事をこそ思ひ出で侍れ」
――その人形(ひとがた)のついでに、本当に妙な、思い出してはならぬようなことを思い出しました――
とおっしゃる中の君のご様子が、いつもより打ち解けてみえましたので、薫は嬉しくなって、
「『何事にか』といふままに、几帳の下より手をとらふれば、いとうるさく思ひならるれど、いかさまにして、かかる心をやめて、なだらかにならむ、と思へば、この近き人の思はむことのあいなくて、さりげなくもてなし給へり」
――「何事でしょうか」おっしゃりながら、几帳の下から中の君の御手を捉えます。中の君は、いよいよ煩わしいこととお思いになりますが、何とかしてこのような薫のお気持を無くして、穏かなおつき合いにしたいものと、常々考えていらしたこともあって、ここで下手に抗っても、そばにいる少将の君に、妙に思われるのも迷惑と、さりげなくもてなしておいでになります――
そして、中の君は、ある人のことを語りはじめます。
◆うたてみたらし川近き心地する人形=うたて・御手洗川・近き心地する・人形(ひとがた)=禊ぎに使われて御手洗川(みたらし川)に流され、棄てられる人形(ひとがた)などとは。
◆人形(ひとがた)=禊ぎ(みそぎ)の時は、罪穢れを人形(ひとがた)に移して、御手洗川に流す習慣があった。
では9/13に。