落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

ダメ人間伝説

2008年01月26日 | movie
『モレク神』

1942年、愛人エヴァと独裁者ヒトラーの山荘での休暇を描いた幻想的な作品。
どーしよーもなくひとりよがりな独裁者のアホっぷりが哀しく、そんなヒトラーを母親のようにいたわるエヴァの優しさは心あたたまる。映像も絵のように美しい。
けど・・・眠かったっす・・・(爆)。

みかんの花咲く丘

2008年01月25日 | book
『ハリウッド・バビロンⅠ』『ハリウッド・バビロンⅡ』 ケネス・アンガー著 海野弘監修 明石三世訳
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雑誌でもインターネットでもなんでも、とにかくハリウッドのスキャンダルの歴史について触れたテキストにしょっちゅう参考文献として挙げられる『ハリウッド・バビロン』。
原著はもともと1965年頃に出版されたそうだが、あまりにあまりな内容から何度か絶版と再発行を繰り返し、その間に時代の変化に伴う加筆修正もくわえられてバージョンアップした。
今回ぐりが読んだのは1988年(Ⅰ)90年(Ⅱ)の邦訳版。

著者のケネス・アンガーは1930年サンタモニカ生まれの映像作家。つまり著述家でもジャーナリストでもない。
なのでこの本は書かれている内容はノンフィクションだが、系統立ててハリウッドの歴史をひもとくといった整理された書かれ方はしていない。タブロイド紙の記事の寄せ集めのような感じ。まあひらたくいってあんまり読みやすい書物ではない。
Ⅰの方はユダヤ人事業家たちがカリフォルニアのみかん畑で映画スタジオを立ち上げたところから始まって、映画業界がいかにして自ら堕落し腐敗しながらその乾燥地帯に悪徳の花園を育てていったかを、一応時系列に沿ってスキャンダルのひとつひとつを挙げて説明している。ところがⅡの方になると、Ⅰに書きもらされたスキャンダル─製作者のスキャンダル、成功しなかったスターの自殺など─やゴシップ写真で紙面を埋めるような構成になってくるものだから、不勉強なぐりには聞いたこともない個人名や作品名ばかり書き連ねられた文章はやや読みにくくなってくる。

それでもやはり、この本はハリウッド映画を観る人なら誰にでも必読の書といえるだろう。
ハリウッド、世界中の誰もが憧れ夢みる希望の土地。映画の仕事を求めて世界中から才能ある人々が集まる魔都。
だが集まってくるのはスターや巨匠を目指す人たちや一獲千金を狙う山師だけではない。金の集まるところには犯罪者もやってくる。ハリウッドはその黎明期からマフィアと娼婦とジゴロの巣窟だった。
だがハリウッドでのスキャンダルといえば、薬物濫用や不倫や殺人はどっちかというと小粒な部類にはいるのかもしれない。この本を読んでるとそんな風に思えてくるからコワイ。たとえば例のイエロージャーナリズムの熾烈な実態や、禁酒法時代に酒の密売で大儲けしたJFKの父親も映画興業チェーンを経営していたこと、ナチスドイツが大西洋を超えてハリウッドを弾圧したこと、ロナルド・レーガン元大統領が俳優時代はハリウッドの大多数と同じく左派だったこと、あのジェームス・ディーンがクローゼットだったこと、ジーン・セバーグがFBIのいやがらせに堪えきれず自殺したことなどは今日では決してショッキングというほどのことはないけど、それでも、それをあえて誰も語らないという事実が、ハリウッドの暗闇の深さを能弁に物語っているように思える。語りだしたら困る人間がいったい何人いるのかわからない、といった種類の暗闇。こええ。

確かにこの本はハリウッドの暗闇の歴史について書かれているが、同時に、映画という娯楽を生み出し育てて来た先達たちが、何にどれほどどんな情熱を傾けて現在のハリウッドを築いてきたかを、裏側から密着して知るにはまさにうってつけの教科書でもある。
彼らは確かに虚栄心やセックスやドラッグや酒に溺れた。でも、それよりもなによりも映画を愛し、観客を愛していた。空中ブランコのような、綱渡りのような、常にいつなんどきまっ逆さまに放り出されるかわからない、そんな映画稼業の苦しみゆえに、彼らも、そして観客のわれわれも、映画の魅力に取り憑かれるのだろう。

それにしてもぐりはホントにハリウッド映画、観てないなあ。出てくる人の名前や作品名がわからなすぎ。聞いたことはあっても観たことがなかったり、観たことはあっても内容が思いだせなかったり。
てゆーか数が多過ぎるよ。人も、作品も。
ハリウッド映画の奥行きってそういう層の厚さによるところも大きいと思うんだけど、たぶん、それだってハリウッドにいる人にとっては、魔物のような巨大さにも感じるんだろーなー。

クリスマスの街

2008年01月24日 | book
『歓喜の島』 ドン・ウィンズロウ著 後藤由季子訳
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ある上院議員の美しい妻の護衛を命ぜられた元CIA工作員で今は民間調査会社に勤務するウォルター。上院議員は若くてハンサムで国民に大人気の大統領候補だが、アメリカ人の理想・夢ともいえるこのカップルにも人には知られたくない秘密があった。
物語の舞台は1958年のクリスマス・イヴから大晦日の1週間。時代は東西冷戦のまっ只中、赤狩りに乗じたFBIの強請たかりにも似たプライバシーの蹂躙と風評操作に脅かされていたアメリカ。ウォルターはCIA工作員として北欧での諜報活動に従事していたが、「ポン引き」稼業から足抜けすべくニューヨークに戻ってみても、そこで待っていたのはやはりポン引き同士の騙しあいだった。

たいへん、おもしろかったです。先日読んだ『ボビーZ』と同じ著者とはとても思えない(爆)。
明らかにJFKと妻ジャクリーン、悲劇の愛人マリリン・モンローの怪死をモチーフにした物語だが、作中で事件が起きて物語が転がり始めるのは本文のちょうど真ん中あたり。そこまではとくに事件もないし誰も死なない。えんえんと微妙な伏線を含んだ前フリが続くだけ。
ところがこの前フリが実にシャレてる。ぐりは当時のアメリカの世相について何も知らないし、著者ウィンズロウにしても53年生まれなので実際にその時代のニューヨークを知っているわけではない。それでもこの前フリには、彼のその時代に対する憧憬がこってりとこめられている。経済は好景気に沸き、TVやレコードの普及によって音楽や映画など娯楽文化も黄金時代を迎え、世界中が憧れる豊かで強いアメリカそのものが生まれた時代。その反面で冷戦と人権運動の緊張状態が人々の心に暗い影を落としていた、そんな時代。
ウィンズロウはこうした時代背景を書割りに、クラブ歌手を恋人に著名人の集まるニューヨークのナイトスポットを渡り歩くウォルターの華麗なるシングル・ライフを、いきいきとあざやかに描き出す。クールでセクシーでゴージャスでシックな都会人の刺激的な生活。どこまでリアルなのかはわからないけど、少なくとも充分に立体的ではある。

ウォルターがチェックインした高級ホテルの一室でマリリン・モンロー(作中ではマルタ・マールンド)の死体が発見され、やっと物語は動きだす。
ふつうミステリー小説は初めに事件があって、登場人物がひとりまたひとりと現れ、物語が始まる。この小説では事件が起きた時には登場人物はほぼ全員が既に揃っている。しかも、実在の人物をモデルにしているから、読み手にも犯人の見当はかんたんにつく。
問題は主人公がいかにこの窮地をきりぬけ、恋人と無事に新年を迎えうるかというところにかかってくる。しかも敵は犯人ひとりではない。国家組織と主人公個人の戦いである。そして組織には顔がない。個人じゃないから、顔なんか必要ないのだ。これはスリリングである。

劇中にはありとあらゆるセックス・スキャンダルが─お下品にならないように注意しつつも─大量に登場する。
この小説を読んでいると、同性愛であれSMであれ小児性愛であれ異常装癖であれ、それを好む人にも尊重されるべきプライバシーは当り前にあって、ほんとうに下品なのは、それを道具に人や金を動かそうとする陰謀の方であることにしみじみと気づかされる。
ウォルターの恋人アンは誰に/何に対しても常に傍観姿勢を崩さない主人公を、聖人ぶって周りを見下しているといってなじるが、その批難はなにも彼ひとりにむけられたものでもないのだろう。彼女は、人間なら誰にでも秘密や弱さや欠点があって当り前で、それを受けいれもせず互いに足を引っぱりあうような社会は非人間的すぎるし現実的じゃないといいたかったのではないだろうか。
当り前だわね。不正の暴露と陰謀は似ているようで違う。うっかりすると同じに見えるんだけど。

ごくふつうのミステリー小説でありつつ、世界観にたっぷりと注がれた著者の愛情があたたかくも感じる、なかなか素敵な小説でした。読んでてとても楽しかったです。


サーファーキングとジャーヘッドと豆食いマフィア

2008年01月21日 | book
『ボビーZの気怠く優雅な人生』 ドン・ウィンズロウ著 東江一紀訳
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年明けから行きつけの■区の区立図書館がシステムメンテナンスのため全館休館になってしまった。
実は家から目と鼻の先に○区の区立図書館があって通うぶんにはそこで問題はないのだが、■区の図書館にはインターネットで館外から蔵書を検索予約できるシステムがあって、いつでも思いついたときにどこからでも読みたい本が探せてリクエストできる。それでいつも少し遠回りをして■区の図書館に通っていたのだが、暮れに借りた10数冊を読みきってしまって読むものがなくなったので、昨日近所の○区の図書館に行って来た。
この○区の図書館も春からインターネットでの検索予約サービスを始めるそうなのだが、正直にいって、たぶんぐり個人はそう簡単には■区から○区には乗り換えられないだろうと思っている。■区の方はネット予約サービスを長くやっているぶんもあって蔵書の量がハンパではない。読みたいなと思って検索した本がヒットしない確率は■区の場合1割以下だ。これが○区の場合一気に5割まで落ちる。
ネット予約サービスが定着して利用者のリクエストが増えれば蔵書もこれから増えてくるとは思うけど、時間はかかるだろう。

そんなまだまだヘタレな○区の図書館で借りたのが『ボビーZの気怠く優雅な人生』。
去年秋に日本でも公開された映画『ボビーZ』の原作本。映画は勿論観ていない(爆)。観るまでもないから(爆)。
原作も読むまでもなかったですね(爆)。めーちゃめちゃゆる〜い、チョーお気楽なアクションサスペンス。てゆーかサスペンスじゃないな。ジャンルはサスペンスかもしらんけど、読んでてどこにもサスペンスは感じなかったから。
ぐりはかねがね、映像というメディアが文学に及ぼした悪影響は計り知れないと個人的に思っているのだが、この小説はその典型のひとつだろう(これが文学ではないことはさておき)。ひらたくいえば、子どものころ「くだらないお笑い番組ばかり観てるとバカになるよ」と親にいわれた経験をもつ人は多いだろうけど、まさに「こんなの読んでたらバカになりそうだな」という感じの娯楽小説は、主にTV世代以降の読者に向けて書かれてるとしか思えない。
別に主人公がバカでもいい、カネやセックスや暴力がエンターテインメントのメインストリームであることにも異議はない。けど、百歩譲って内容がそれだけだとしても、もっとストーリーにきっちり凝るとか、矛盾のない構成に頑張るとか、そういう丁寧さは最低限欲しいと思う。

『ボビーZの気怠く優雅な人生』のストーリーははっきりと穴だらけだ。メキシコにもカリフォルニアにも湾岸戦争にも行ったことがないぐりでも、「そりゃねえよ」なボロが満載である。
序盤、ボビーZに仕立てられた主人公ティムはボビーの元カノのゴージャス美女エリザベスと寝るのだが、エリザベスはティムが元カレではないことを見抜いておきながら騙されているふりを終盤まで続ける。ティム本人もいわれるまでまったくそのことに気づかない。
んなワケねーだろ!
ぐりは女だから男のことはわかんないけど、セックスまでして元カレと別人の見分けがつかない女なんかいるわけないし、男だってそれくらい常識的にわかるでしょ。ヤルなや。それとも何?男は元カノと顔さえ似てりゃま▼こは全部いっしょなの?
その後、ティムは罠にはめられたと知って人買い商人のブライアンを空の注射器で脅して逃走するのだが、これだって現実にはまず不可能だ。大体シロートが人間の腕の血管に注射針を刺すだけでも至難の業なのに、ブライアンはぶよぶよの巨漢ときている。太っている人間の血管は脂肪に埋もれていて訓練された専門職の者でさえ見つけにくい。しかも相手は検査台におとなしく座ってるわけではなく、殺されまいと必死でもがいている。絶対ムリ。ありえん。その程度の常識に気づきもしないでひたすらオタオタして、大事な人身御供をむざむざ逃がすよーなヌケ作が人買いマーケットの元締めなんてギャグにもならない。
きわめつけはボビーZは伝説的麻薬王であると同時に伝説的サーファーなのに、替え玉のティムが金づちってなんなのさ。替え玉を仕立てる麻薬取締局はティムにボビーに関する知識を教えこんだり身体的特徴を似せたりはするのに、泳ぎやサーフィンはいっさい教えない。そしてこの金づち設定はストーリーのラストまでまるで本筋に関わってこないのだ。意味がわからん。
あとワーグナーの『ワルキューレの騎行』を「『地獄の黙示録』のテーマ」と書いてたりするのはまあ演出だとしても、読んでて全体に緊張感がなさすぎるし先はみえみえだし、語り口のテンポのよさ以外に魅力のある小説とはとてもいえないのではないかと思う。麻薬取締局やら麻薬王やら人買いマフィアやらヘルズ・エンジェルスやら、設定ばっかり大袈裟な敵役が次から次へと登場するけど、出てくるだけで全然活躍もしないですぐ死ぬし。なんやねん。

ただ全体に視覚的表現がふんだんに駆使されていて、この小説をそのまま台本にして手軽にアクション映画をつくるにはうってつけな本ではある。あるいは著者ももともとそれを狙って書いたのかもしれない。
ぐりは個人的には小説と映像は別に楽しみたいので、そういうのはやっぱいただけなかったです。

仁義なき工房

2008年01月20日 | movie
『ヒトラーの贋札』

第二次世界大戦末期のドイツで起きた、ベルンハルト作戦と呼ばれる史上最大規模の贋札事件を描いた歴史サスペンス映画。
すっごくおもしろかったです。
舞台が強制収容所で登場人物の大半はユダヤ人だけど、既存のホロコースト映画とはまったく雰囲気が違ってます。もちろんナチ親衛隊もでてくるし、中にはどーみても軍人っちゅーより快楽殺人犯みたいな狂ったアホもいることはいる。
けどこの映画の成功は、主人公を原作者アドルフ・ブルガー(アウグスト・ディール)ではなく贋作師サリー(カール・マルコヴィックス)に設定しているところによるだろう。ブルガーはもともと共産主義運動にも参加していた活動家でもあり、妻も両親も収容所で失うという悲惨な経験をしているし、既存のホロコースト映画なら間違いなく彼が主人公になっていたはずだと思う。理想主義的な正義漢でおまけに見事な「ドラマ・クイーン」だ。
しかしこの映画はそうはしていない。政治も戦争も民族主義も何もどうでもいい、カネと女と明日の命がすべてでそれ以外のことはまるで興味のない天涯孤独なユダヤ系ロシア人のサリーは、現代人の視点からあの戦争の狂気をとらえるのにまさにうってつけな語り手といえる。いや、あるいは『戦場のピアニスト』で仲間を見殺しにしてまでひたすら逃げ隠れていたシュピルマン(エイドリアン・ブロディ)に腹をたてた人なら、サリーの行動に歯がゆいものを感じるかもしれない。サリーは戦前から人に乞われるままにビジネスとして偽造書類をつくりつづけて世の中を渡って来た。収容所でもそうするだけなのだ。それが彼のやり方だし、彼にとっていちばん大事なのは、何がどうあろうと明日まで生きのびることでしかなかった。
けど、戦争中だっていつだってほんとうにいちばん大事なのは、サリーと同じに、明日まで生きのびることに間違いはない。

サリー本人は斜に構えたちんぴらでもあり劇中では自らあまり語らない。そのぶん、将校や他の収容者たちのキャラクターにその場の心理をうまく代弁させることで、事件に関わった当事者の複雑な心情を表現している。ブルガーのように民族主義を貫こうとする正義漢もいれば、我が身可愛さのあまり仲間を裏切ろうとする短気者もいる。天真爛漫に故郷を懐かしがる若者もいれば、死んだ家族を思って絶望してばかりいる者もいる。さまざまな価値観と世界観の激しいせめぎあい。この割りふり方が実にうまい。コレもしかして舞台演劇にするとかなりイケるんじゃないかなあ。それくらい見事にキレイに人物構成が完成している。
そんななかでも寡黙なサリーもただ冷血漢を装っているだけじゃない。彼の優しさや誠意は静かなのだ。黙ってこっそり、ってところがシブイ。クールである。
解放後の収容所のなんともいえない情景描写がまた生々しい。何も知らずに平和を安穏と生きている現代人と、戦時の異様さとの距離感を如実に感じさせる上手い演出だと思う。

音楽もオシャレだし、汚くてコワイ戦争映画は苦手、なんて人にも是非おすすめできるいい映画。おもしろいしね。
原作もこれから読んでみたいと思います。

原作:『ヒトラーの贋札 悪魔の工房』 アドルフ・ブルガー著