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落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

失敗作再見

2004年11月24日 | movie
『異邦人たち』
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数年ぶりに再見。ってかうちにDVDがあったよ。買ったことすら忘れてたよ。内容もほとんど覚えてなかった。
つまり映画として弱いってことですかね。

舞台は香港のリゾート・蜉蝣洲(カゲロウ)島。観光に訪れたアメリカ華僑のシャロン(李嘉欣ミシェル・リー)と日系フォトグラファーのマリアン(桃井かおり)は地元の女性メイリン(舒淇スー・チー)に出会い、彼女のボーイフレンドとメイ(金燕玲エレイン・ジン)が経営する?oーに招待される。一方、転地療養で島に住む日本人ジャーナリスト春樹(大沢たかお)はビーチで香港のスター俳優ハン(張智霖ジュリアン?Eチョン)に出会うが、その夜香港政府は悪性の伝染病の発生源が蜉蝣洲島であるとして、島を隔離・封鎖してしまう。
BFの電話を延々と待ち続けるメイリン、いつ封鎖が解かれるのかとヒステリックになるシャロン、主演映画の記者会見をエスケープしたハン、せめて不安な夜を楽しく過ごそうとパーティーを開くメイ。
21世紀を目前にした世紀末を背景に、自分たちの立っている場所にすら疑問を感じる誰にも身に覚えのある不透明な人生観を描いた小品としては、完成度はあると思います。悪くない映画だと思う。
監督が關錦鵬(スタンリー・クワン)だけあって(笑)、こういうシチュエーションでも男と女が出会ってどーにかなったりしないで、あくまで女は女に、男は男に出会うってとこもなかなか面白い。音楽もクラシックからロックから歌謡曲(出たよ)までいろんな名曲が使われてて楽しい。映像も綺麗だ。
そこまではよしとしよう。

しかしエンターテインメントコンテンツとして、芸術作品としてどーかと問われればやはり弱いよ。あと一歩、って感じです。何が足りないのかと訊かれても困るんだけどさ、なんか物足りないのよ。スケール?キャパシティー?なんかそう云う全体的な問題のような気がする。
逆に複雑かとか分かりにくいかと云われるとそんなこともない、ごくごく単純な物語だと思う。
ぐり的にNGだったのは日本人キャストですかね、やっぱり。桃井かおりはキャラクター的にはとってもあってると思ったんだけど、あまりにも“桃井かおり”的過ぎていかん。もう彼女はナニやっても“桃井かおり”にしか見えないのよ。ダメ。
大沢氏はもともとぐりはこのヒトの演技が苦手なんですわ。なにしろ『星の金貨』時代から苦手。上手いとも思わないし。彼が演じた春樹と云うキャラクターは酔っぱらったひとり芝居やモノローグが多いんですが、客観的に見ても彼のスキルでは厳しかった。もっと演技がナチュラルで説得力のある役者でないとキツイと思います。

ぐりは張智霖の演技って初めて観ましたが、なかなかチャーミングな人ですねー。ひところ張國榮(レスリー・チャン)のソックリさんとか云われてましたが、確かに顔だちは20代後半〜30代前半頃のレスリーによく似てます。チーラムくんと云えばぐりは袁詠儀(アニタ・ユン)の彼氏ってことしか知らなかったけど、そー云えばまだつきあってんのかな?
關錦鵬によればこの作品は興行的にも業界内の評価としても失敗だったみたいですが、よっぽど關錦鵬監督ファンのぐりでもさすがに「コレはいかんだろう」とは思う。悪い映画ではないと思う。しかし映画館に観客をひっぱって来れるだけの力のある映画かと云うと明らかにノーです。マこの次撮った超オーソドックスなラブストーリー(ゲイだけど)『藍宇』は大成功だったんだから、失敗は成功のもとなのかもしれないけどね。

グロテスク

2004年11月19日 | book
『グロテスク』 桐野夏生著
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怪物的なまでの美貌を備えた妹「ユリコ」への妄執に囚われた孤独な女「わたし」。世にも美しく生まれついたがために男を求め続け中学生にして娼婦になる「ユリコ」。大企業に勤務するエリートOLでありながら娼婦になり客に殺された女「和恵」。天才的な頭脳東大法学部を目指しながらカルト教団でテロ犯罪に手を染めるまでに転落した「ミツル」。中国四川省の僻地から豊かな生活を求めて日本に流れつき殺人犯として捕われの身となる「チャン」。
東電OL殺人事件をモチーフに、事件の周辺を惑星のように取り巻く人々の自身の言葉で描かれた現代の都会生活者の心の貧しさを極彩色で描いた小説。

えーとですね、これは今のぐりが読むべき本ではなかったです。
イヤ、面白いですよ。すっごい面白いです。しかし生々し過ぎます。少なくともココロに黒いものがぐるぐる渦巻いてる人間にとってはシャレにならない生々しさです。読んでて夢見悪かったです。ぐえ。

この本は基本的には一人称で書かれてます。
「わたし」の証言で書かれた章がメインで、間に「ユリコ」の手記や「チャン」の上申書、「和恵」の日記が挿入される。つまり個人的見解の羅列です。だから矛盾点が非常に多い。ひとつの事実に対して証言によって描写が全然違う。そこがヘンにリアルで怖い。
ここに登場する人々は誰も幸せではない。彼らの不幸は、自らの幸せの基準を自分以外の外の世界に求めてしまったと云う一点に尽きる。良い学校に進学したい、良い成績をとりたい、立派な会社に就職してバリバリ仕事して人から褒められたい、あるいは痩せたい、美貌でありたい、またあるいは金持ちになりたい。
それはそれで立派なことだ。でも人生はそれだけではない。むしろ、自分にとってだけ価値のある何かを発見しなければ、人は幸せにはなれない。
彼らに共通して欠如しているのは「母親の存在」。それぞれに母親は登場してたりもします。しかし彼女たちには決定的に主体性が欠けている。ひたすら夫や家族に隷従するだけ、子どもたちにすらないがしろにされる母親。母親の主体性の欠如はそのまま子どもたちに受け継がれ、その精神を荒廃させていく。
主体性がないと云うことはある意味では現実逃避でもある。子どもたちは本当に価値あるものについて考えることを知らず、長じては全てにおいて“考える”行為をも放棄し、主体性のない「幸せ」を目指して病的な領域にまで暴走を始める。ゆくてには死が待っている。

あと殺人容疑者「チャン」の上申書の章は最近『拿什麼拯救你、我的愛人』を観たばかりのぐりにはかなりぐっと来ました。中に天安門事件のヒーロー・ウーアルカイシの「中国人は生まれた場所によって運命が決まる」と云う言葉が引用されてますが、よく考えてみれば恐ろしい言葉です。この「チャン」が故郷を捨てて臨海都市へ出稼ぎに出たのは1989年と云う設定になってますが、このあたりの描写がもしリアルなものだとしたら・・・と思うとかなりサムイ。
余談ですがウーアルカイシ氏は現在台湾でラジオDJなんぞやっとられるそーだ。今考えるとぐりといくつもトシ変わらんね。ひょえー。

閑話休題。
物語が進むに連れてどんどんリアリティがなくなっていくのが惜しい気もしなくもないですが、全体によく書けてる小説だと思います。ただし心のキレイな人でないとフィクションだからと笑って済ませられないかもしれないです(笑)。ぐりの心は汚れてるので笑えませんでした。ははははは。


失われた愛と云う名のオブセッション

2004年11月18日 | movie
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『2046』やっと観て参りましたです。
いやぁゴージャス。分かってたけど豪華絢爛だ。スゴイです。うん。オナカいっぱい、もう食べられませんって感じ。
世間ではいろいろと賛否両論なよーですが、ぐりは概ね満足しました。梁朝偉(トニー・レオン)かっこよかったし、キムタクも章子怡(チャン・ツーイー)も頑張ってたし、王菲(フェイ・ウォン)可愛かったし、劉嘉玲(カリーナ・ラウ)は相変わらず色っぽかったし(以下省略。ぜえぜえ)。
映像も綺麗。極彩色なんだけどシックで、明るいシーンと暗いシーンのバランスも良くて。『ブエノスアイレス』でトニーの役名に使われてたスタッフの黎耀輝(ライ・イウファイ)氏が第2班撮影監督としてメインスタッフにクレジットされてたのには如実に時の流れを感じました。ちなみに張國榮(レスリー・チャン)の役名に使われた何寶榮(ホー・ポーウィン)氏は今回特機助手(?)でクレジット。

ストーリーも意外にスッキリしてました。全然分りやすい話です。トニーが手に入れられなかった女(『花樣年華』の張曼玉マギー・チャン=蘇麗珍スー・リーチェン)をじくじくと忘れられずその思いを小説に書いたり他の女に投影したりするっつう、まぁランボーに片付ければそんなハナシですわ。
マギー(=蘇麗珍)と同姓同名のギャンブラー鞏俐(コン・リー)は自らの過去に囚われるままトニーとの別れを選び、ツーイーはそんなトニーの心を理解出来ずに自らの恋心に溺れ苦しむ。カリーナはトニーに亡き恋人(レスリー『欲望の翼』)の思い出を語り、新しい恋人(張震チャン・チェン)に殺害される。トニーが住むホテルのオーナーの娘(フェイ)は日本人の男(キムタク)と恋をしているが、父にふたりの関係を反対されて悩んでいる。トニーはそんなフェイとキムタクを登場させる近未来小説『2046』を書き始める。
ね、簡単でしょう。少なくとも『欲望の翼』と『花樣年華』を観た人間にとっては何も分かりにくいことはなかったです。『恋する惑星』以来の登板となるフェイも、王家衛組初参加のキムタクも鞏俐もツーイーも全く違和感なかったし。惜しいのは張震とマギーの出番が少なかったことくらいか。特に張震はホンマにええ男にならはったねえ、とため息が出るよーな男っぷりでした。次作『エロス』に大注目でございます。
王家衛はこの張震にレスリーの面影を見ているらしく、インタビューでも「若い頃のレスリーに似てる」と発言しており、この配役(『欲望の翼』でレスリーの相手役だったカリーナの新恋人)もそれを意識したんだろうけど・・・似てますかね?強いて云えば20代前半のレスリーに目鼻立ちは似てなくもないかもしらんけど、雰囲気が全然違うような気もする。まぁこういうのは個人的な思い入れの問題ですけども。

それにしても話がサッパリし過ぎてて『ブエノスアイレス』同様、使用されなかったであろう膨大なロスカットの存在が猛烈気になります。それ使うて続編つくってくれ!ディレクターズカットでもええからぁー、王家衛!
あとCGはBUFだったんですねえ。まぁ流石にハリウッドやら張藝謀(チャン・イーモウ)作品とは一線を画したハイセンスな近未来映像に仕上がってたんじゃないでしょーか。
音楽はまたしても超かっこよかった。あーサントラCD欲しいなぁ。

『レスリーの時間』志摩千歳

2004年11月16日 | book
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1999年と2001年に出版された張國榮(レスリー・チャン)の写真集の担当者による手記。
今日たまたま行った本屋さんでたまたま目にとまって、つい手にとってしまいました。
実はぐりは99年の写真集出版記念のサイン会に行ってます。イヤ、正確にはサイン会には行ってないな。サイン会の会場に行ったと云うべきですね。
と云うのは、ぐりはそれほど熱心なレスリーファンと云う訳ではなくて(彼の出てた映画は好きだけど)、写真集にもサイン会にも正直全く興味はありませんでした。ただ香港映画ファンとして親しくしていた友人に彼のファンが多く、この時も全国から彼女たちが上京すると云うので、せっかく集まって直接会って話せる機会だからとサイン会が終わる時間を見計らって有楽町の国際フォーラムまで出向いたのです。

本書には、この2度の写真集出版の企画・準備から実質的な取材・撮影、仕上げ段階やサイン会開催を通じて、信頼されたスタッフとして間近にレスリー個人と触れあった著者から見た、張國榮像がつぶさに描かれています。
作中にも書かれてる通り、レスリーの写真集はそれまでにも多くの大手出版社が企画しては本人に断られて来たことは有名な話ですが、偶然にも著者自身にレスリーと間接的な個人的コネクションがあって実現したと云う経緯もあり、彼と著者との間には最初からそれなりに高い信頼関係があったようにも窺える内容にはなっています。
それでも彼女も自ら断っているように、やはりそこは一介の外国人スタッフとビッグスターと云う距離もあり、プライバシーに触れるような話題や憶測などは一切含まれない、あくまで客観的なレベルの描写に留まっていて、これはおそらく張國榮ファンよりも一般の読者が読んだ方がより楽しめるのではないかと云う文章でした。
たとえば日本でも知られたレスリーの個人的なパートナーである唐氏についても、彼が具体的にどんな人物でレスリーとどんな関係であったかについては書かれていない。著者が実際に会った時に見た唐氏その人についてはきちんと語られている。分からないことについては書かないし、彼女が直接目にしたことについては書ける範囲で書いている。
無難ではあっても誠実な手記だと云う印象を受けました。

ぐりはレスリーの映画を何本も観ているし前述の通り熱狂的なレスリーファンの友人が何人かいたので、ここに書かれているレスリー像に目新しさはほとんど感じないけど、それでも読んでてとても楽しい本でした。中には涙なしには読めないせつない部分もあったし、読みながら思わず笑ってしまったところもある。
出来ることなら、彼のことをよく知らない映画ファンの人に読んで欲しい本です。中国語版が出たら香港の人にも読んでもらいたい。そして、今の香港映画界、ショウビズ界に何が必要なのか、何が香港のエンターテインメント業界を貶めているのかを少し考えてもらえたらと思います。


張國榮(レスリー・チャン)。
1956年香港の老舗テーラーの末息子として生まれる。13歳でイギリスに留学、帰国後の77年歌謡コンテストで準優勝、芸能界入り。83年吉川晃次の『モニカ』のカバーが大ヒット、トップアイドルとなる。
映画デビューは78年『君に逢いたくて 紅樓春上春』。主演だが内容はほとんどポルノに近いもので、アイドル歌手として売り出されるもなかなかヒットに恵まれなかった不遇を思わせる。それでも出演作を重ねるごとに着実に演技力を磨いていき、82年『烈火青春』では香港電影金像奨主演男優賞にノミネートされた。
80年代は『男たちの挽歌』や『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』などのメガヒットシリーズにも出演、歌手として俳優として中華芸能界の頂点に立つが89年の天安門事件後、突然引退を宣言。
引退後はカナダに移住したが、直前に撮影した『欲望の翼』と『狼たちの絆』が高い評価を得て93年には『さらばわが愛─覇王別姫』に出演し映画界に復帰。『君さえいれば』『楽園の瑕』『花の影』『上海グランド』『ブエノスアイレス』などなど多くの話題作に精力的に出演、97年には歌手活動も再開する。
2000年以降は監督業にも進出し注目を集めたが2002年に出演した『カルマ』で役に入りこみ過ぎて精神的に不安定な状態に陥り、2003年4月香港マンダリンオリエンタルホテルの24階から転落、還らぬ人となった。
生前受賞した音楽賞、映画賞は数知れず。今年4月中華芸能界に対する功績を讃えて演藝光輝及永恒大奨と云う特別賞を贈られた。

裕福な家庭に生まれたものの家族には恵まれず孤独な子ども時代を過ごしたと云うレスリー。みんなに愛されてるうちに身を引きたいと云って引退したレスリー。いつも注目されちやほやされていたいナルシストでありながら、スキャンダル好きな香港マスコミに追いまわされることに疲れ果てていたレスリー。
ぐりは俳優として彼の作品はどれも大好きだけど、スターとしての彼はいつもあまりにも一生懸命過ぎて何だか怖かったです。だからあんなことになってしまった時も実際それほど驚かなかったけど、でも未だに納得は出来ていない。世界中のファンにあれほど熱狂的に愛され俳優として歌手としての成功も十分に手にしていながら、彼はそれ以上の何を人生に求めていたのだろう。
その死を思う時、人の幸せって本当に難しいものだと痛感します。今はまだ、安らかに眠って欲しいとはとても云えない。いつか云える時が来たら云います。

写真は『欲望の翼』の頃ロケ先のクィーンズカフェで撮影されたもので、本人もとても気に入っていたと云う一枚。

恋の門

2004年11月14日 | movie
『恋の門』
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爆笑です。もう最初から最後まで心ゆくまで笑いたおすべし。それ以外には何もいらない。徹頭徹尾バカバカしいだけのラブコメ。
面白かったですー。
ぐりはこの原作は読んだことないし松尾スズキの舞台も見たことないんだけど、どっちのテイストがどのくらいの割合で表現されてるんだろう。それは気になる。
とりあえずものすごくテンポがいい。観客に考えさせる隙を与えない。「なんじゃそりゃ」とひっくり返って笑ってるうちにどんどん話があらぬ方向に転がっていき、ワケの分からない人物がぞろぞろ登場する。それがいちいち豪華キャストだ。台詞のあるなし・ストーリーの中でのプライオリティーに関わらず超メジャーな有名人がバンバン画面に出て来る。目が点になってるうちにまた話が無茶苦茶に展開していく。
酒井若菜はカワイイっすねえ。顔がどう、ってんじゃなっくてカラダがカワイイ。むちむちしてて。どこもかしこも見事にむっちむち。松田龍平、コメディ似合ってました。なんとなくこれまでは「スカしたカリスマ」的なイメージがありましたが、今回のバカ役も全くムリなくハマってました。成長しとるね。うんうん。
音楽もかっこよかったし映像も綺麗だったし衣装も可愛かったし、¥1800払って気持ち良く劇場を後に出来る日本映画と云う意味では、文句なく大合格作ではないでしょうか。
オススメの作品です。