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落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

『レスリーの時間』志摩千歳

2004年11月16日 | book
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1999年と2001年に出版された張國榮(レスリー・チャン)の写真集の担当者による手記。
今日たまたま行った本屋さんでたまたま目にとまって、つい手にとってしまいました。
実はぐりは99年の写真集出版記念のサイン会に行ってます。イヤ、正確にはサイン会には行ってないな。サイン会の会場に行ったと云うべきですね。
と云うのは、ぐりはそれほど熱心なレスリーファンと云う訳ではなくて(彼の出てた映画は好きだけど)、写真集にもサイン会にも正直全く興味はありませんでした。ただ香港映画ファンとして親しくしていた友人に彼のファンが多く、この時も全国から彼女たちが上京すると云うので、せっかく集まって直接会って話せる機会だからとサイン会が終わる時間を見計らって有楽町の国際フォーラムまで出向いたのです。

本書には、この2度の写真集出版の企画・準備から実質的な取材・撮影、仕上げ段階やサイン会開催を通じて、信頼されたスタッフとして間近にレスリー個人と触れあった著者から見た、張國榮像がつぶさに描かれています。
作中にも書かれてる通り、レスリーの写真集はそれまでにも多くの大手出版社が企画しては本人に断られて来たことは有名な話ですが、偶然にも著者自身にレスリーと間接的な個人的コネクションがあって実現したと云う経緯もあり、彼と著者との間には最初からそれなりに高い信頼関係があったようにも窺える内容にはなっています。
それでも彼女も自ら断っているように、やはりそこは一介の外国人スタッフとビッグスターと云う距離もあり、プライバシーに触れるような話題や憶測などは一切含まれない、あくまで客観的なレベルの描写に留まっていて、これはおそらく張國榮ファンよりも一般の読者が読んだ方がより楽しめるのではないかと云う文章でした。
たとえば日本でも知られたレスリーの個人的なパートナーである唐氏についても、彼が具体的にどんな人物でレスリーとどんな関係であったかについては書かれていない。著者が実際に会った時に見た唐氏その人についてはきちんと語られている。分からないことについては書かないし、彼女が直接目にしたことについては書ける範囲で書いている。
無難ではあっても誠実な手記だと云う印象を受けました。

ぐりはレスリーの映画を何本も観ているし前述の通り熱狂的なレスリーファンの友人が何人かいたので、ここに書かれているレスリー像に目新しさはほとんど感じないけど、それでも読んでてとても楽しい本でした。中には涙なしには読めないせつない部分もあったし、読みながら思わず笑ってしまったところもある。
出来ることなら、彼のことをよく知らない映画ファンの人に読んで欲しい本です。中国語版が出たら香港の人にも読んでもらいたい。そして、今の香港映画界、ショウビズ界に何が必要なのか、何が香港のエンターテインメント業界を貶めているのかを少し考えてもらえたらと思います。


張國榮(レスリー・チャン)。
1956年香港の老舗テーラーの末息子として生まれる。13歳でイギリスに留学、帰国後の77年歌謡コンテストで準優勝、芸能界入り。83年吉川晃次の『モニカ』のカバーが大ヒット、トップアイドルとなる。
映画デビューは78年『君に逢いたくて 紅樓春上春』。主演だが内容はほとんどポルノに近いもので、アイドル歌手として売り出されるもなかなかヒットに恵まれなかった不遇を思わせる。それでも出演作を重ねるごとに着実に演技力を磨いていき、82年『烈火青春』では香港電影金像奨主演男優賞にノミネートされた。
80年代は『男たちの挽歌』や『チャイニーズ・ゴースト・ストーリー』などのメガヒットシリーズにも出演、歌手として俳優として中華芸能界の頂点に立つが89年の天安門事件後、突然引退を宣言。
引退後はカナダに移住したが、直前に撮影した『欲望の翼』と『狼たちの絆』が高い評価を得て93年には『さらばわが愛─覇王別姫』に出演し映画界に復帰。『君さえいれば』『楽園の瑕』『花の影』『上海グランド』『ブエノスアイレス』などなど多くの話題作に精力的に出演、97年には歌手活動も再開する。
2000年以降は監督業にも進出し注目を集めたが2002年に出演した『カルマ』で役に入りこみ過ぎて精神的に不安定な状態に陥り、2003年4月香港マンダリンオリエンタルホテルの24階から転落、還らぬ人となった。
生前受賞した音楽賞、映画賞は数知れず。今年4月中華芸能界に対する功績を讃えて演藝光輝及永恒大奨と云う特別賞を贈られた。

裕福な家庭に生まれたものの家族には恵まれず孤独な子ども時代を過ごしたと云うレスリー。みんなに愛されてるうちに身を引きたいと云って引退したレスリー。いつも注目されちやほやされていたいナルシストでありながら、スキャンダル好きな香港マスコミに追いまわされることに疲れ果てていたレスリー。
ぐりは俳優として彼の作品はどれも大好きだけど、スターとしての彼はいつもあまりにも一生懸命過ぎて何だか怖かったです。だからあんなことになってしまった時も実際それほど驚かなかったけど、でも未だに納得は出来ていない。世界中のファンにあれほど熱狂的に愛され俳優として歌手としての成功も十分に手にしていながら、彼はそれ以上の何を人生に求めていたのだろう。
その死を思う時、人の幸せって本当に難しいものだと痛感します。今はまだ、安らかに眠って欲しいとはとても云えない。いつか云える時が来たら云います。

写真は『欲望の翼』の頃ロケ先のクィーンズカフェで撮影されたもので、本人もとても気に入っていたと云う一枚。