『縮みゆく人間』 リチャード・マシスン著 吉田誠一訳
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大ヒット公開中の映画『アイ・アム・レジェンド』の原作『地球最後の男』が読みたくて図書館で予約したんだけどなかなか順番がまわってこないので、べつの代表作でやはり3度めの映画化が現在進行中の『縮みゆく人間』の方を先に読了。
SFを読まないぐりがこの作家に興味を持ったのは、例によって町山智浩氏のポッドキャストなどで「『アイ・アム・レジェンド』は途中から原作とストーリーが全然違う」「マシスンの小説はSFのギミックを使って、時代の変化や価値観の転換に置き去りにされる恐怖を象徴的に描いている」なんて解説を耳にしたから。
それ、おもしろそーじゃないですか。
『アイ・アム・レジェンド』は観てないけどね(爆)。だってSF、キョーミないんだもん。
『縮みゆく人間』の主人公スコットは、あるとき自分のからだが少しずつ縮んでいることに気づく。6フィートあったはずの身長がいつの間にか5フィート8インチの妻と同じになっている。縮小は目に見えるほどではないが確実に進行していき、病院で検査を受けても原因も治療法もわからない。
人がからだの大きさを失うとはどういうことかを、マシスンは実に豊かに描写していく。スコットはまずプライドを傷つけられる。妻より背が低くなったことで傷つき、子どものようにみられる(というかみられているように感じる)ことで傷つく。幼い娘に対する威厳も消えてしまう。そしてそんな傷心が誰にも理解されないことで孤独になっていく。彼は小さくなることで、男であることや、大人であること、父であること、社会人であることの存在意義を自ら見失ってしまうのだ。
やがてネコよりも小さくなった彼は事故で地下室に閉じこめられてしまう。精神的な孤独だけではなく、物理的にも孤独になるスコット。それまでは生活の世話は妻がしてくれたけれど、もうどんなに助けを呼んでもその声は彼女には届かない。食べ物や飲み水や着るものの調達も自分でしなくてはならない。虫ほどの大きさになった彼には天敵も現れる。
この小さくなったスコットの視点の表現が非常に凝っていてあざやかだ。
フランスの昆虫ドキュメンタリー映画に『ミクロコスモス』という傑作があるけど、その小説版のような感じ。モノも音も何もかもが巨大で重くて、何が動いても全部がスコットの命を脅かす。そして助けになるものはなにもない。
虫は生まれたときから小さいから、小さいなりに自分の身を守る術をもっている。でもスコットにはそんなものはない。あるのは知恵と勇気だけだ。SFにおいて未知の世界での主人公の冒険には相棒や仲間が必要不可欠だが、この小説にはそういうものはまったく登場しない。スコットは縮み始めてからひたすらまっしぐらに孤独になっていくだけだ。
SFが苦手なぐりでも読んでて感情移入できたのは、この孤独がとてもリアルだったからだ。人はみんな孤独な生き物で、生まれるときも死ぬときもひとりだなんてことは一般論だけど、ほんとうの危機に陥ったとき、運命を切り開き自分を助けるのも何もかも投げ出して諦めるのも、結局は自分の判断でしかない。するすると神様が降りて来て天国に連れていってくれたり、すてきな相棒が魔法の呪文で暗雲を吹き飛ばしてくれたりするのは、所詮はユメの世界のおとぎ話でしかない。
スコットは縮んでいく現実にうまく適応できず、精神的にもどんどん荒んでいく。
それまで彼は、自分が男で、夫で、父で、大人であることを当り前のことだと思っていた。それがじわじわと欠けていき、徐々に無に近づいていく。これは苦しい。誰でも度を失って当然だろう。
だがやがて彼はその過程にもある意味を発見する。本当に無になってしまうまでにできるだけのことをする、生きている人間のプライドに、死を目前にして初めて目覚めるのだ。
この小説の「からだが縮む」というギミックは確かにファンタジーだが、それ以外には現実を離れた要素は何もない。登場人物の生活環境や内面描写も現実そのものだ。そのリアリティが怖い。
町山氏はこの小説が1956年に発表されたことから、当時アメリカで始まりかけていた女性解放運動の恐怖を象徴しているのではないかと解釈してたけど、いわれてみればそんな気もする。ただこの小説の普遍性からみても、単純にそれだけじゃない、「それまで当り前だった優位性が損なわれていく孤独」を象徴した小説、といってもいいんじゃないかとぐりは思います。
おもしろかったです。とっても。
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大ヒット公開中の映画『アイ・アム・レジェンド』の原作『地球最後の男』が読みたくて図書館で予約したんだけどなかなか順番がまわってこないので、べつの代表作でやはり3度めの映画化が現在進行中の『縮みゆく人間』の方を先に読了。
SFを読まないぐりがこの作家に興味を持ったのは、例によって町山智浩氏のポッドキャストなどで「『アイ・アム・レジェンド』は途中から原作とストーリーが全然違う」「マシスンの小説はSFのギミックを使って、時代の変化や価値観の転換に置き去りにされる恐怖を象徴的に描いている」なんて解説を耳にしたから。
それ、おもしろそーじゃないですか。
『アイ・アム・レジェンド』は観てないけどね(爆)。だってSF、キョーミないんだもん。
『縮みゆく人間』の主人公スコットは、あるとき自分のからだが少しずつ縮んでいることに気づく。6フィートあったはずの身長がいつの間にか5フィート8インチの妻と同じになっている。縮小は目に見えるほどではないが確実に進行していき、病院で検査を受けても原因も治療法もわからない。
人がからだの大きさを失うとはどういうことかを、マシスンは実に豊かに描写していく。スコットはまずプライドを傷つけられる。妻より背が低くなったことで傷つき、子どものようにみられる(というかみられているように感じる)ことで傷つく。幼い娘に対する威厳も消えてしまう。そしてそんな傷心が誰にも理解されないことで孤独になっていく。彼は小さくなることで、男であることや、大人であること、父であること、社会人であることの存在意義を自ら見失ってしまうのだ。
やがてネコよりも小さくなった彼は事故で地下室に閉じこめられてしまう。精神的な孤独だけではなく、物理的にも孤独になるスコット。それまでは生活の世話は妻がしてくれたけれど、もうどんなに助けを呼んでもその声は彼女には届かない。食べ物や飲み水や着るものの調達も自分でしなくてはならない。虫ほどの大きさになった彼には天敵も現れる。
この小さくなったスコットの視点の表現が非常に凝っていてあざやかだ。
フランスの昆虫ドキュメンタリー映画に『ミクロコスモス』という傑作があるけど、その小説版のような感じ。モノも音も何もかもが巨大で重くて、何が動いても全部がスコットの命を脅かす。そして助けになるものはなにもない。
虫は生まれたときから小さいから、小さいなりに自分の身を守る術をもっている。でもスコットにはそんなものはない。あるのは知恵と勇気だけだ。SFにおいて未知の世界での主人公の冒険には相棒や仲間が必要不可欠だが、この小説にはそういうものはまったく登場しない。スコットは縮み始めてからひたすらまっしぐらに孤独になっていくだけだ。
SFが苦手なぐりでも読んでて感情移入できたのは、この孤独がとてもリアルだったからだ。人はみんな孤独な生き物で、生まれるときも死ぬときもひとりだなんてことは一般論だけど、ほんとうの危機に陥ったとき、運命を切り開き自分を助けるのも何もかも投げ出して諦めるのも、結局は自分の判断でしかない。するすると神様が降りて来て天国に連れていってくれたり、すてきな相棒が魔法の呪文で暗雲を吹き飛ばしてくれたりするのは、所詮はユメの世界のおとぎ話でしかない。
スコットは縮んでいく現実にうまく適応できず、精神的にもどんどん荒んでいく。
それまで彼は、自分が男で、夫で、父で、大人であることを当り前のことだと思っていた。それがじわじわと欠けていき、徐々に無に近づいていく。これは苦しい。誰でも度を失って当然だろう。
だがやがて彼はその過程にもある意味を発見する。本当に無になってしまうまでにできるだけのことをする、生きている人間のプライドに、死を目前にして初めて目覚めるのだ。
この小説の「からだが縮む」というギミックは確かにファンタジーだが、それ以外には現実を離れた要素は何もない。登場人物の生活環境や内面描写も現実そのものだ。そのリアリティが怖い。
町山氏はこの小説が1956年に発表されたことから、当時アメリカで始まりかけていた女性解放運動の恐怖を象徴しているのではないかと解釈してたけど、いわれてみればそんな気もする。ただこの小説の普遍性からみても、単純にそれだけじゃない、「それまで当り前だった優位性が損なわれていく孤独」を象徴した小説、といってもいいんじゃないかとぐりは思います。
おもしろかったです。とっても。
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