起床は5時~5時半。
目覚ましのアラームが鳴ろうが鳴るまいがだいたいそのくらいの時間には目が覚める。早朝出発(6時)のボランティアが起きだして支度を始めるからである。
教室で男女別に一部屋につき10人程度が雑魚寝しているのだが、床がフローリングなので、どんなにそっと歩いてもどうしてものしのしと振動が伝わってしまう。朝からさえずる鳥の声もかなり賑やかである。
宮城県の8月の気候は都内に比べると若干気温が低く、湿度はかなり低め。日差しは厳しいが風がある日は非常に快適で、朝晩は寒いくらいである。なので朝は寒くて目が覚めることもある。
朝食までの時間は周辺を散歩したり、前日使った装備を洗濯したり、キッチンのお手伝いにいったり、または二度寝したりして過ごす。
6時出発の場合は朝食が食べられないのでおにぎりをつくる。昼食をコンビニで買うのがイヤな人も同じくおにぎりを用意するのだが、ごはんが炊けるのも6時ちょうど。朝一便のボランティアは出かける支度をすっかり整えて、炊けたらすかさず握って出られるようにしておく。
6時半朝食。
メニューはごはんと汁物、漬け物。日によっては前夜の夕食の残りや差し入れのパンが出ることがある。
材料は有志が提供して下さる支援物資や近隣住民の方の差し入れなので、正直な話それほどリッチなメニューとはいえない。まあでもタダだし、空気のきれいなところで食べる食事はなかなかおいしい。
食器は各自持参だが共用の食器も少しある。食べ終わったらバケツの水で洗って拭いておく。
7時半、朝ミーティング。
朝の連絡事項、その日拠点を離れるボランティアの挨拶、深夜に到着した新しいボランティアの挨拶などで約10分。
出発は活動場所によって違っていて、遠方の場合は6時、近隣の場合は8時。
今回お世話になったボランティアセンターがカバーしている地域は南北100キロほどの広範囲にわたるため、遠い活動場所になるとクルマで1時間半以上かかることもある。基本的には現地に着いてそこに滞在しているべつのボランティアグループと合流して活動開始になるので、そのときのミーティングや準備時間もみこんで早めの出発。
道中ではコンビニに立ち寄って昼食や飲み物を確保することができる。
もちろん、車窓からは悲惨きわまりない(そしてほとんど復旧作業が進んでいない)被災地の風景もイヤというほど堪能することもできる。
驚くのは、ここまで無茶苦茶に破壊されていてさえ、みずみずしく甘美な美しさをしたたるようにたたえた三陸地方という土地の絶景である。
くねくねと細かく入り組んだ入り江と半島に縁取られたエメラルドグリーンの太平洋、沿岸に生い茂る松林、なだらかに海を取り囲む山々の緑、ベールのようにそれらをつつみこむ淡い朝靄。壮大な景色の中にこじんまりとした集落が点在し、海辺のダウンタウンにも山道にもヒマワリやノウゼンカツラ、ナデシコやマリーゴールド、タチアオイやコスモスやオシロイバナなど夏の花が鮮やかに咲き乱れ、空はあくまでも真っ青に澄み渡っている。まさに絵のような風景である。
ぐりは震災前にも仕事や旅行で何度か東北地方を訪れているが、なぜか震災後にはこの土地の美しさにより強く感動を覚えるようになった気がする。なんでだろ?
9時、現地到着、活動開始。
現地にもそれぞれボランティアセンターがあり、ここに宿泊しているボランティアもいる。彼らと合流して作業を分担し、装備や道具など準備を整えて活動を開始する。
ぐりは正味2日半の活動で、到着初日の午後は小泉地区という、周辺でももっとも復旧の遅れている地域でテント張りをした。この日、ここで瓦礫撤去をしていたのは中部地方から遠征に来た大学野球部の部員たち。彼らが泊まるためのテントを、車中泊明けで体力に若干自信のない到着ホヤホヤのボランティアが用意した。
翌日は歌津というところで漁網のクリーニング作業。津波で流され、ゴミだらけになった定置網(巨大である。そして膨大な数である)を一枚ずつ広げて、手作業で絡まったゴミを取り除く。このまま海に入れると藻が生えて使い物にならなくなってしまうからである。
その次の日は九九鳴き浜の清掃作業に参加した。気仙沼市の激しい火災の燃え殻が未だに砂浜に多数埋まったままになっており、それらの中には自然に還らない人工物や、事故につながるような危険物も含まれている。そういうゴミを探してほじくり返す作業をした。
作業場所によっては地域の方や被災者が活動を見に来られることもあり、作業の合間にお話を聞くこともできる。
活動時間は午後3時まで。12~13時のお昼休みの他に、45分ごとに休憩時間がある。
都内より涼しいとはいえ最高気温が30℃を超えることもしばしばある真夏、ほとんどの作業は屋外で行われるため、熱中症でダウンするボランティアも少なくない。なので水分補給や健康管理にはしつこいほど厳しく注意を促される。
昼食は各自持参したおにぎりや、コンビニで買ったお弁当、お湯が使える場所であればカップ麺を食べる人もいる。
3時撤収。お祭りのお手伝いや夕食の炊出しなど作業によっては夜まで活動することもあるが、屋外での体力作業はたいてい3時で終了する。
終了後は使った道具を洗ってかたづけ、現地ボランティアに挨拶をして帰途につく。
拠点に戻る道中でぐりが楽しみにしていたのは、コンビニで買い食いするアイスクリーム。ふだんアイスクリームを食べる習慣はほとんどないのに、このボランティアをしているときはなぜかアイスクリームがとてもおいしく感じられた。
帰着後は入浴。
入浴設備は仮設のお風呂が1基にシャワーブースが2基。ウェイティングリストに記入をして交替で入る。
拠点には100名以上のボランティアがいるので、ゆっくり占拠するわけにはいかない。とくに規則はないが常識的な利用時間は20分前後である。
近隣のお宅のお風呂を借りる場合は、9時~10時にお邪魔して入らせていただく。お世話になるお宅は全部で8軒ほどで1軒につき利用するボランティアは最大2名まで、事前にボランティアセンターの窓口に申し込んでおけばクルマでボランティアが送迎してくれる(田舎なので近隣といえども徒歩では行けないお宅が多い。大体街灯もないのでほぼ真っ暗闇である)。
また、活動場所によっては拠点に戻る間の道中で地元の入浴施設を利用することもある。
夕食は6時。
メニューはごはんと汁物、漬け物。朝とほとんど変わりない。まあぶっちゃけ修行食みたいなメニューのときもあります(爆)。日によって差し入れのスイカが出ることがあったり、キッチンボランティアのメンバーにプロが参加して(メンバーは毎日入れ替わる)すっごくおいしい皿うどんが出たりすることもある。
でも大抵なにが出てもおいしい。とにかく体が疲れているから、なんだっておいしくなっちゃうんである。それはそれでハッピーです。
7時半、夜ミーティング。
活動ごとにそれぞれのチームリーダーがその日の活動報告をし、翌日の予定を申告する。
先日書いたように、活動内容が多岐にわたるため、この活動報告が長い。だいたい1時間くらいかかる。そのあと拠点の運営方法などについての意見交換があり、最後に翌日の活動をそれぞれ選んでチーム分けをする。これで全部で正味2時間以上になってしまう。
ぐりはボランティア活動よりこの夜ミーがいちばんしんどかった。民主主義で結構だとは思うんだけど。
消灯は11時。
が、だいたいは疲労困憊しているので、夜ミーが終わって歯磨きをしたらすぐ寝てしまう。
一応、寝る前に翌日の着替えや装備などの準備は済ませておき、起きて着替えたらすぐ出発できるようにはしておく。
ちなみに前回滞在した石巻専修大学では敷地内へのアルコールの持ち込みが禁止されていたが、今回はそういう規則はなかった。なので日によっては別の拠点からビールの差し入れがあったりして、軽く宴会をすることもある。それでも11時には強制的に照明が消されるので、イヤでも寝るしかなくなる。
いったん寝てしまうと朝まではあっという間である。地震でも来ない限り、誰かがいびきをかいていようが歯ぎしりをしていようがうなされていようが、とにかく自分の体を休めるので精一杯になってしまう。
外から聞こえる物音は虫の声やフクロウの声くらい、クルマの音などの騒音はいっさいない。静かなものである。

漁網の上にのせられたランドセル。
誰かが拾って来て、持ち主に返されないまま、倉庫の中に置かれているのだろうか。
このランドセルを背負っていた子が、無事で元気でいてくれることを切に願う。
8月11日(木)~15日(月)震災ボランティアレポートIndex
4月29日(金)~5月7日(土)震災ボランティアレポートIndex
Googleマップ 震災ボランティアレポートマップ(更新版)
目覚ましのアラームが鳴ろうが鳴るまいがだいたいそのくらいの時間には目が覚める。早朝出発(6時)のボランティアが起きだして支度を始めるからである。
教室で男女別に一部屋につき10人程度が雑魚寝しているのだが、床がフローリングなので、どんなにそっと歩いてもどうしてものしのしと振動が伝わってしまう。朝からさえずる鳥の声もかなり賑やかである。
宮城県の8月の気候は都内に比べると若干気温が低く、湿度はかなり低め。日差しは厳しいが風がある日は非常に快適で、朝晩は寒いくらいである。なので朝は寒くて目が覚めることもある。
朝食までの時間は周辺を散歩したり、前日使った装備を洗濯したり、キッチンのお手伝いにいったり、または二度寝したりして過ごす。
6時出発の場合は朝食が食べられないのでおにぎりをつくる。昼食をコンビニで買うのがイヤな人も同じくおにぎりを用意するのだが、ごはんが炊けるのも6時ちょうど。朝一便のボランティアは出かける支度をすっかり整えて、炊けたらすかさず握って出られるようにしておく。
6時半朝食。
メニューはごはんと汁物、漬け物。日によっては前夜の夕食の残りや差し入れのパンが出ることがある。
材料は有志が提供して下さる支援物資や近隣住民の方の差し入れなので、正直な話それほどリッチなメニューとはいえない。まあでもタダだし、空気のきれいなところで食べる食事はなかなかおいしい。
食器は各自持参だが共用の食器も少しある。食べ終わったらバケツの水で洗って拭いておく。
7時半、朝ミーティング。
朝の連絡事項、その日拠点を離れるボランティアの挨拶、深夜に到着した新しいボランティアの挨拶などで約10分。
出発は活動場所によって違っていて、遠方の場合は6時、近隣の場合は8時。
今回お世話になったボランティアセンターがカバーしている地域は南北100キロほどの広範囲にわたるため、遠い活動場所になるとクルマで1時間半以上かかることもある。基本的には現地に着いてそこに滞在しているべつのボランティアグループと合流して活動開始になるので、そのときのミーティングや準備時間もみこんで早めの出発。
道中ではコンビニに立ち寄って昼食や飲み物を確保することができる。
もちろん、車窓からは悲惨きわまりない(そしてほとんど復旧作業が進んでいない)被災地の風景もイヤというほど堪能することもできる。
驚くのは、ここまで無茶苦茶に破壊されていてさえ、みずみずしく甘美な美しさをしたたるようにたたえた三陸地方という土地の絶景である。
くねくねと細かく入り組んだ入り江と半島に縁取られたエメラルドグリーンの太平洋、沿岸に生い茂る松林、なだらかに海を取り囲む山々の緑、ベールのようにそれらをつつみこむ淡い朝靄。壮大な景色の中にこじんまりとした集落が点在し、海辺のダウンタウンにも山道にもヒマワリやノウゼンカツラ、ナデシコやマリーゴールド、タチアオイやコスモスやオシロイバナなど夏の花が鮮やかに咲き乱れ、空はあくまでも真っ青に澄み渡っている。まさに絵のような風景である。
ぐりは震災前にも仕事や旅行で何度か東北地方を訪れているが、なぜか震災後にはこの土地の美しさにより強く感動を覚えるようになった気がする。なんでだろ?
9時、現地到着、活動開始。
現地にもそれぞれボランティアセンターがあり、ここに宿泊しているボランティアもいる。彼らと合流して作業を分担し、装備や道具など準備を整えて活動を開始する。
ぐりは正味2日半の活動で、到着初日の午後は小泉地区という、周辺でももっとも復旧の遅れている地域でテント張りをした。この日、ここで瓦礫撤去をしていたのは中部地方から遠征に来た大学野球部の部員たち。彼らが泊まるためのテントを、車中泊明けで体力に若干自信のない到着ホヤホヤのボランティアが用意した。
翌日は歌津というところで漁網のクリーニング作業。津波で流され、ゴミだらけになった定置網(巨大である。そして膨大な数である)を一枚ずつ広げて、手作業で絡まったゴミを取り除く。このまま海に入れると藻が生えて使い物にならなくなってしまうからである。
その次の日は九九鳴き浜の清掃作業に参加した。気仙沼市の激しい火災の燃え殻が未だに砂浜に多数埋まったままになっており、それらの中には自然に還らない人工物や、事故につながるような危険物も含まれている。そういうゴミを探してほじくり返す作業をした。
作業場所によっては地域の方や被災者が活動を見に来られることもあり、作業の合間にお話を聞くこともできる。
活動時間は午後3時まで。12~13時のお昼休みの他に、45分ごとに休憩時間がある。
都内より涼しいとはいえ最高気温が30℃を超えることもしばしばある真夏、ほとんどの作業は屋外で行われるため、熱中症でダウンするボランティアも少なくない。なので水分補給や健康管理にはしつこいほど厳しく注意を促される。
昼食は各自持参したおにぎりや、コンビニで買ったお弁当、お湯が使える場所であればカップ麺を食べる人もいる。
3時撤収。お祭りのお手伝いや夕食の炊出しなど作業によっては夜まで活動することもあるが、屋外での体力作業はたいてい3時で終了する。
終了後は使った道具を洗ってかたづけ、現地ボランティアに挨拶をして帰途につく。
拠点に戻る道中でぐりが楽しみにしていたのは、コンビニで買い食いするアイスクリーム。ふだんアイスクリームを食べる習慣はほとんどないのに、このボランティアをしているときはなぜかアイスクリームがとてもおいしく感じられた。
帰着後は入浴。
入浴設備は仮設のお風呂が1基にシャワーブースが2基。ウェイティングリストに記入をして交替で入る。
拠点には100名以上のボランティアがいるので、ゆっくり占拠するわけにはいかない。とくに規則はないが常識的な利用時間は20分前後である。
近隣のお宅のお風呂を借りる場合は、9時~10時にお邪魔して入らせていただく。お世話になるお宅は全部で8軒ほどで1軒につき利用するボランティアは最大2名まで、事前にボランティアセンターの窓口に申し込んでおけばクルマでボランティアが送迎してくれる(田舎なので近隣といえども徒歩では行けないお宅が多い。大体街灯もないのでほぼ真っ暗闇である)。
また、活動場所によっては拠点に戻る間の道中で地元の入浴施設を利用することもある。
夕食は6時。
メニューはごはんと汁物、漬け物。朝とほとんど変わりない。まあぶっちゃけ修行食みたいなメニューのときもあります(爆)。日によって差し入れのスイカが出ることがあったり、キッチンボランティアのメンバーにプロが参加して(メンバーは毎日入れ替わる)すっごくおいしい皿うどんが出たりすることもある。
でも大抵なにが出てもおいしい。とにかく体が疲れているから、なんだっておいしくなっちゃうんである。それはそれでハッピーです。
7時半、夜ミーティング。
活動ごとにそれぞれのチームリーダーがその日の活動報告をし、翌日の予定を申告する。
先日書いたように、活動内容が多岐にわたるため、この活動報告が長い。だいたい1時間くらいかかる。そのあと拠点の運営方法などについての意見交換があり、最後に翌日の活動をそれぞれ選んでチーム分けをする。これで全部で正味2時間以上になってしまう。
ぐりはボランティア活動よりこの夜ミーがいちばんしんどかった。民主主義で結構だとは思うんだけど。
消灯は11時。
が、だいたいは疲労困憊しているので、夜ミーが終わって歯磨きをしたらすぐ寝てしまう。
一応、寝る前に翌日の着替えや装備などの準備は済ませておき、起きて着替えたらすぐ出発できるようにはしておく。
ちなみに前回滞在した石巻専修大学では敷地内へのアルコールの持ち込みが禁止されていたが、今回はそういう規則はなかった。なので日によっては別の拠点からビールの差し入れがあったりして、軽く宴会をすることもある。それでも11時には強制的に照明が消されるので、イヤでも寝るしかなくなる。
いったん寝てしまうと朝まではあっという間である。地震でも来ない限り、誰かがいびきをかいていようが歯ぎしりをしていようがうなされていようが、とにかく自分の体を休めるので精一杯になってしまう。
外から聞こえる物音は虫の声やフクロウの声くらい、クルマの音などの騒音はいっさいない。静かなものである。

漁網の上にのせられたランドセル。
誰かが拾って来て、持ち主に返されないまま、倉庫の中に置かれているのだろうか。
このランドセルを背負っていた子が、無事で元気でいてくれることを切に願う。
8月11日(木)~15日(月)震災ボランティアレポートIndex
4月29日(金)~5月7日(土)震災ボランティアレポートIndex
Googleマップ 震災ボランティアレポートマップ(更新版)