『なぜ僕は「悪魔」と呼ばれた少年を助けようとしたのか』 今枝仁著
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1999年に山口県で発生した光市母子殺害事件の最高裁差戻し審で被告人弁護団の一員をつとめた弁護士の手記。
ぐりはこの事件のことは当時あまり印象には残ってなくて、何度目かの公判後に被害者遺族である本村洋氏が会見で応報感情をむき出しにした発言を繰り返し、「全国犯罪被害者の会」を組織してマスコミの注目を浴び始めたころになんとなく「ああ、そんな事件もあったかな」と思いだしたくらいだった。たぶん世の中の大抵の人はそんなもんだったんだろうと思う。
それがいつの間にか死刑廃止/存続論や被害者感情論などとごっちゃにして、やけにグロテスクな報道合戦になったのがなぜなのか、ここ数年TVをみないぐりにはよくわからない。勤務先の制服を着て凶器もいっさい持たずにド近所の主婦相手に強姦殺人を計画するなんて、素人が考えただけでまず普通はありえない。事件発覚後も証拠隠滅を図ったり逃亡を試みた形跡はない。思いつきでやってしまった傷害致死と考えるのが妥当だし、それならば死刑など論ずる必要もない事件なのだ。死刑廃止論以前の問題である。
ぐりは何も被告人の肩を持ちたいわけではないし、本村氏の発言を排斥したいわけでもない。
被告人にどんな事情があったにせよ、なんの落ち度もない母子を殺害した罪に変わりはない。愛する家族を残虐にも奪われた遺族が被告人の死を望むのも、ごく当り前の感情だと思う。
でも、それとこれとは話が違う。日本の法律と裁判は応報感情を満たすために存在しているのではない。国の秩序と国民の安全と権利を守るために存在し、そのためにこそ機能しなくてはならない。国の秩序と国民の安全と権利は、必ずしも被害者感情と一致するものではないし、場合によっては相反することもある。
もっと簡単にいってしまえば、被告人が死刑になったところで、本村氏の心が癒されるなどということはきっとないのではないか。被告人が死んでも、奥さんとお子さんはもう戻っては来ない。被告人が死んでも、時間は事件前に戻ったりはしない。それでも遺族としての人生はこれから何十年も続いていく。
今年4月22日の差戻し審判決後の本村氏の会見を観て、彼もその事実をかみしめているのではないかと、ぐりは勝手に思った。
この本には、高校中退で元検事という異色のキャリアを持つ今枝弁護士が、被告人の身元引受人にもなり陰に日向に懸命に彼を支えて来た日々が、弁護人の交代や弁護方針の転換などの弁護団の舞台裏を軸に描かれている。異様に偏向したマスコミ報道による弁護団へのいわれのないバッシング、現大阪府知事・橋下徹弁護士が巻き起した懲戒請求騒動についても触れている。
ぐりはそれらのすったもんだを直接目にはしていないが、市民団体が提出した申立書を検討した放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会が「多くが極めて感情的に制作されていた」と批判する意見書を今年4月に発表している(記事。追記:BPO 放送倫理検証委員会 委員会決定 第04号「光市母子殺害事件の差戻控訴審に関する放送についての意見」2008年4月15日←てつさん ありがとうございました)。
いうまでもないが刑事弁護人は被告人の利益のために弁護活動をするのが義務であり、存在意義の大前提となる。被告人の利益とは何も量刑を軽くすることだけではない。被告人にとっての「真実」を主張することで裁判の公正性を守って初めて、ほんとうの真実を導きだし、被害者にとっても被告人にとっても国民にとっても納得のいく結論が出るはずである。
そういうごく常識的なことが、いつから日本では認められなくなったのだろう。情けないかぎりとしかいいようがない。
この今枝弁護士はかなり熱い人であるらしく、検事時代にも弁護士になってからも、公判や会見で感極まって泣いてしまうことがときどきあるそうだ。
彼に限らず、この本に登場する弁護団のメンバーたちはそれぞれに真剣に、真摯に事件に向かいあい、「ほんとうの真実」を争って必死に闘って来た。その主張がどれほど「ほんとうの真実」に迫っているのか、あるいはかけ離れているのか、それはもう誰にもわからない。だが彼らは彼らの真実を精一杯信じて、持てる力のすべてを注いで裁判に臨んでいたことだけは事実だろう。
それを、歪曲された断片的な情報だけをもとに感情的に攻撃する権利など誰にもない。よしんばあったとしても、それは被害者遺族だけで充分である。
この本が刊行されたのは差戻し審判決の数週間前。死刑判決に対して今枝弁護士がどう感じているかはわからないけど、今後もその特異な経験とキャラクターを活かして活躍してほしいと思う。
しかし被告人の生育環境は奈良医師宅放火殺人事件の加害少年とおそろしーくらいそっくりである(『僕はパパを殺すことに決めた 奈良エリート少年自宅放火事件の真相』草薙厚子著)。
男の子をどーやって育てたら凶悪犯罪に至るかっちゅーレシピみたいなもんですわね。ぐりは被告人には1ミリも同情できないけど、こういう育て方をしたDV親父を罪に問う法律がないのはすこぶる釈然としないですね。あーあ。
「光市事件」 報道を検証する会
光市事件懲戒請求扇動問題 弁護団広報ページ
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1999年に山口県で発生した光市母子殺害事件の最高裁差戻し審で被告人弁護団の一員をつとめた弁護士の手記。
ぐりはこの事件のことは当時あまり印象には残ってなくて、何度目かの公判後に被害者遺族である本村洋氏が会見で応報感情をむき出しにした発言を繰り返し、「全国犯罪被害者の会」を組織してマスコミの注目を浴び始めたころになんとなく「ああ、そんな事件もあったかな」と思いだしたくらいだった。たぶん世の中の大抵の人はそんなもんだったんだろうと思う。
それがいつの間にか死刑廃止/存続論や被害者感情論などとごっちゃにして、やけにグロテスクな報道合戦になったのがなぜなのか、ここ数年TVをみないぐりにはよくわからない。勤務先の制服を着て凶器もいっさい持たずにド近所の主婦相手に強姦殺人を計画するなんて、素人が考えただけでまず普通はありえない。事件発覚後も証拠隠滅を図ったり逃亡を試みた形跡はない。思いつきでやってしまった傷害致死と考えるのが妥当だし、それならば死刑など論ずる必要もない事件なのだ。死刑廃止論以前の問題である。
ぐりは何も被告人の肩を持ちたいわけではないし、本村氏の発言を排斥したいわけでもない。
被告人にどんな事情があったにせよ、なんの落ち度もない母子を殺害した罪に変わりはない。愛する家族を残虐にも奪われた遺族が被告人の死を望むのも、ごく当り前の感情だと思う。
でも、それとこれとは話が違う。日本の法律と裁判は応報感情を満たすために存在しているのではない。国の秩序と国民の安全と権利を守るために存在し、そのためにこそ機能しなくてはならない。国の秩序と国民の安全と権利は、必ずしも被害者感情と一致するものではないし、場合によっては相反することもある。
もっと簡単にいってしまえば、被告人が死刑になったところで、本村氏の心が癒されるなどということはきっとないのではないか。被告人が死んでも、奥さんとお子さんはもう戻っては来ない。被告人が死んでも、時間は事件前に戻ったりはしない。それでも遺族としての人生はこれから何十年も続いていく。
今年4月22日の差戻し審判決後の本村氏の会見を観て、彼もその事実をかみしめているのではないかと、ぐりは勝手に思った。
この本には、高校中退で元検事という異色のキャリアを持つ今枝弁護士が、被告人の身元引受人にもなり陰に日向に懸命に彼を支えて来た日々が、弁護人の交代や弁護方針の転換などの弁護団の舞台裏を軸に描かれている。異様に偏向したマスコミ報道による弁護団へのいわれのないバッシング、現大阪府知事・橋下徹弁護士が巻き起した懲戒請求騒動についても触れている。
ぐりはそれらのすったもんだを直接目にはしていないが、市民団体が提出した申立書を検討した放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会が「多くが極めて感情的に制作されていた」と批判する意見書を今年4月に発表している(記事。追記:BPO 放送倫理検証委員会 委員会決定 第04号「光市母子殺害事件の差戻控訴審に関する放送についての意見」2008年4月15日←てつさん ありがとうございました)。
いうまでもないが刑事弁護人は被告人の利益のために弁護活動をするのが義務であり、存在意義の大前提となる。被告人の利益とは何も量刑を軽くすることだけではない。被告人にとっての「真実」を主張することで裁判の公正性を守って初めて、ほんとうの真実を導きだし、被害者にとっても被告人にとっても国民にとっても納得のいく結論が出るはずである。
そういうごく常識的なことが、いつから日本では認められなくなったのだろう。情けないかぎりとしかいいようがない。
この今枝弁護士はかなり熱い人であるらしく、検事時代にも弁護士になってからも、公判や会見で感極まって泣いてしまうことがときどきあるそうだ。
彼に限らず、この本に登場する弁護団のメンバーたちはそれぞれに真剣に、真摯に事件に向かいあい、「ほんとうの真実」を争って必死に闘って来た。その主張がどれほど「ほんとうの真実」に迫っているのか、あるいはかけ離れているのか、それはもう誰にもわからない。だが彼らは彼らの真実を精一杯信じて、持てる力のすべてを注いで裁判に臨んでいたことだけは事実だろう。
それを、歪曲された断片的な情報だけをもとに感情的に攻撃する権利など誰にもない。よしんばあったとしても、それは被害者遺族だけで充分である。
この本が刊行されたのは差戻し審判決の数週間前。死刑判決に対して今枝弁護士がどう感じているかはわからないけど、今後もその特異な経験とキャラクターを活かして活躍してほしいと思う。
しかし被告人の生育環境は奈良医師宅放火殺人事件の加害少年とおそろしーくらいそっくりである(『僕はパパを殺すことに決めた 奈良エリート少年自宅放火事件の真相』草薙厚子著)。
男の子をどーやって育てたら凶悪犯罪に至るかっちゅーレシピみたいなもんですわね。ぐりは被告人には1ミリも同情できないけど、こういう育て方をしたDV親父を罪に問う法律がないのはすこぶる釈然としないですね。あーあ。
「光市事件」 報道を検証する会
光市事件懲戒請求扇動問題 弁護団広報ページ