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落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

ゴーゴリの名のもとに

2007年10月26日 | movie
『その名にちなんで』
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ニューヨークに住むインド人一家の始まりから終わりまでを描いたホームドラマ。舞台はアメリカなのに登場人物のほとんどがインド人という変わった映画です。監督もインド系らしー。
こないだうちでも名前の話題を取り上げたけど、この映画のタイトルはもろにそのものずばり。ガングーン家に生まれた男の子は初め「ゴーゴリ」と名付けられるんだけど、ゴーゴリといえばロシアの文豪。息子は大きくなるにつれてだんだんそんな名前を鬱陶しく思うようになる。当り前だわな。由来を聞けば誰でも「なるほど」と納得するけど、そんなものよく知りもしない相手にいちいち説明してまわるのも億劫だし、かといって名乗るたびに驚かれるのにも辟易する。わかるわあ〜それ〜。
ただこの映画の主題は名前ではなくて、親子の間の決して埋められない溝と、かつ決して消えない深い愛である。インド生まれの敬虔なヒンズー教徒の両親と、ニューヨークで生まれ育った子どもたちの間には、価値観もものの考え方にもはっきりとした隔たりがある。その距離はただのジェネレーションギャップとは比べ物にならない。だがそれでもガングーン一家は愛によって強く結ばれている。
観れば誰もが「もっと親を大事にしたい」「もっと子どもをわかってやりたい」という気持ちになるんじゃないかと思う。いい映画です。
ただし、ぐり的には、インテリ一家で生活感のない家庭環境の描写や、家族同士の別れの表現があまりにあっさりしているのがちょっと残念でした。衣裳や美術や音楽に時代の変遷が反映されないのにも疑問は残る。そこをもうちょっとリアルに表現してくれれば、世界観に奥行きが出て全体の説得力もさらにアップしたんではないかと。
おかあさん役のタブーとゆー女優がめちゃめちゃ綺麗で、ぐり惚れてしまいました。すんごい絶世の美女なんだよー。

ボーイズライフinイタリア

2007年10月26日 | movie
『マイ・ブラザー』

1960〜70年代といえば日本でも学生運動の時代だけど、イタリアもそうだった。その時代を舞台に、ある兄弟の絆と別れを描いた青春映画。
題材はシリアスなのだが、タッチが軽妙で何がどうなろうが決して重くならないのがすごくいい。というかそんなテクニックがあるってのがスゴイ。絶対に感動や涙をおしつけないで、それでいてちゃんとテーマが伝わってくる。たぶんこういう映画は今の日本やハリウッドではまずつくれないんじゃないかと思う。みたことない変化球を投げられたような、なんだかキツネにつままれたような気分。
イタリア映画だが舞台がラティーナというムッソリーニが建設した町なので、風景がイタリアっぽくない。イタリアの都市といえばどこでも教会や修道院や城塞など歴史的建造物が多くて情緒的な町並みに特徴があるけど、ラティーナにはそんなものはいっさいない。あるのは安普請の小汚い集合住宅群と醜悪な鉄筋コンクリートの教会だけ。いうなればイタリアの他の都市には当り前に存在する、イタリアの最もイタリアたるアイデンティティ(=歴史・文化)がこの街には欠けている。それでもここのイタリア人が保守的で今もムッソリーニを支持しているというところに、人情の不思議さを如実に感じる。このラティーナの矛盾した二面性を象徴するのが、まったく逆のタイプの兄(リッカルド・スカマルチョ)と弟(エリオ・ジェルマーノ)なのだろう。
ぐり的には60〜70年代のかわいいイタリア車がいっぱい出て来たところが目に楽しかったです。イタリア車ってホントかわいかったんだよね(過去形)。最近はそんなこともないけど。

ボーイズライフinクロアチア

2007年10月26日 | movie
『アルミン』

これまたレアなクロアチア映画。
アルミン(アルミン・オメロヴィッチ・ムヘディン)はアコーディオンが得意な男の子。学校では演劇部に所属している。あるときドイツ映画のオーディションを受けることになり、はるばるザグレブまで出かけていく。もちろんひとりではない。おとうさん(エミル・ハジハフィズベゴヴィッチ)といっしょだ。
このおとうさんがめちゃくちゃに過保護で、なにか持病があるらしいアルミンの世話を必死で焼きたがる。一方アルミンはちょうど思春期で、過干渉なおとうさんがウザくてしょうがない。ミョーにクールな生意気ボーヤと、絵に描いたような田舎者のおとうさんの3日間のふたり旅。
アルミンが無口なので自然とおとうさんばっかり喋ることになるし主人公もたぶんおとうさんの方なんだけど、このおとうさん役の俳優の容貌がおかしい。ジャック・ニコルソンを東欧風にしたようなものすごい強面で、およそ「息子思いのマイホームパパ」とゆータイプじゃない。この顔でこのキャラってとこで既にこの映画の勝利は半分決まっちゃってます。ズルい(笑)。しかも息子は背丈は父親に並ぶほど大きくて、もうそこまで構わなくてはならないほど幼くはない。笑える。
父子ふたりの心の揺れの描写が非常に丁寧で誠実で、とても胸のあたたまるいい映画。誰が観ても、親心もわかるし息子の態度にもどこか思い当たるところがあるんじゃないかと思う。
あとぐり的には、外国から来た監督をアテンドする金髪の現地人コーディネーターのキャラに、何やら含むところを感じました。美人だし仕事は早いし行動は的確だしおそらく職業的には優秀な人なんだろうけど、映画をつくろうとする「人」の気持ちの部分をいっさい解そうとしない、傲慢で冷淡な女性としてものすごくリアルに描写されているのだ。映画スタッフという地位を特権階級か何かと勘違いしてんだよね。誰に対しても常に上から目線とゆーか。こーゆー人、いるよね(笑)。
映画のラストの方で、ボスニア人=戦争の被害者みたいな扱いはされたくないと父子がいうシーンがあるのだが、↑の『時間と風』のレハ・エルデム監督も、自分は映画をつくりたいだけであってそこにいちいち政治的社会的意図を邪推されるのは不本意だといっていた。しょうがないっちゃしょうがないよね。けど気持ちはわかりますよ。

ボーイズライフinトルコ

2007年10月26日 | movie
『時間と風』

原題はイスラムの一日5回の祈りを意味する「BEŞ VAKIT」。邦題は英語題の訳。
といってもイスラム教の信仰そのものというより、イスラム文化圏をバックグラウンドに、時代や国や地域を問わず普遍的な「子どもの成長とそれにまつわる悲劇」を描いた、ごく古典的な映画である。
古典的というからにはやはり退屈になりがちなワケで、台詞は少ないしストーリーも薄い。主要な登場人物となる4人の思春期の子どもの、それぞれの家庭環境や友情がひたすら淡々と描写される。TIで監督はロシアの巨匠タルコフスキーを師と崇めていると発言してて、確かにはっきりと影響はみられるし映像はむちゃくちゃ綺麗だけど、残念ながら、さほど印象深い映画になっていないのもまた事実である。
もうちょっと構成にメリハリをつけるとか、カメラワークをわかりやすくするとか(ステディカムとかハイスピードとか多用すればいいというものではない)、もうひとつ工夫があればもっと楽しめる映画になったのではないかとも思うけど、いくつか映画賞もとっていてそれなりに評価はされているようなので、これはこれでいいのかも。
ぐりはとりあえず、監督が大好きだというアルヴォ・ペルトの音楽が重くて重くて、観ててそれがすごくつらかった。大仰なんだよ・・・。