ピープルズプラン研究所主催「一度に読み解くセックスワークと人身取引」の第4回<人身取引禁止動向とアメリカの影>に行って来た。
今回の話題は前回と次回のつなぎみたいなもので、議題としては地味とゆーかゆるい話が多かった。
でもつなぎはつなぎでも結構重要な話だったりもする。
*冷戦終結とともに拡大した経済のグローバル化。
90年代以降に顕在化した移動労働問題の背景にはこれに伴う情報(ライフスタイル)の拡散がある。
そこにはやはり冷戦終結とともに普及したインターネットの存在がある。
インターネットがもともと軍事用に開発された情報技術だったことは知られているが、冷戦が終わって情報統制が解除され一般に開放されたのがこの新しいメディアの発達のそもそもの出発点である。
*人身取引の国際問題化。
国連で国際組織犯罪防止条約・人身取引議定書が採択されたのは2000年。
人の自由な行き来をも制限する非民主的なこの条約の効力が飛躍的に拡大したきっかけは、翌年に起きたアメリカ同時多発テロだった。
日本では2004年に人身取引対策行動計画が策定され、2005年に刑法に人身取引罪が追加された。
ちなみに日本には「日本人を国外へ売っちゃあいかん」とする法律はもともとあったのだが、「海外から人を買って/連れて来て売ってはいかん」とゆー法律はなかったそうだ。
*その人身取引対策行動計画のきっかけになったのは、かの有名なアメリカ国務省発行のTrafficking in Persons Report。
2004年度版で日本は名指しで「要注意国」と批判され、慌てて法整備にとりかかった。
ところがこの報告書、完全にアメリカ国内の基準で書かれており、ワールドスタンダードと判断することはとてもできない。
たとえばブッシュ政権は「人身取引は人権問題ではなく安全保障問題である」と名言していて、この報告書で人身取引問題に取りくんでいないと判断された国には経済制裁も辞さないとしていた。つまり問題をごくおおっぴらに軍事的・政治的に利用しているというわけである。
しかしこの報告書は国務省の担当官がたとえば日本なら日本の人身取引に関わる専門家をアメリカ大使館に呼びつけて聞き取り調査をして書いたというだけのもので、ここまで政治力を持たせられるほどの信憑性はまったくない。被害者や人身取引事件の逮捕者など当事者への聞き取りや、綿密な現地調査などが行われている形跡はないらしい。
逆にいえば、国務省が書きたいように書くために、専門家の聞き取りを言い訳にすることもしようと思えばできてしまう。
あとこれは本筋とはまったくべつの興味深い話。
講師の青山薫氏が上梓した『「セックスワーカー」とは誰か』がある賞(失念)の候補となったのだが結果的に選には漏れた。
その理由が、選考団体がセックスワークそのものを認めておらず、セックスワーカーの労働環境整備を訴えたこの本を認めるわけにいかない、ということらしい。
アメリカでも日本でもどこでも、フェミニズムや人権問題を訴える人々の中にはセックスワークそのものを悪と決めつけ、全否定する向きはかなり多い。だがその考え方がセックスワーカーへの心ない差別をうみ、差別がセックスワーカーの抱える諸問題を助長しているということがなぜ理解されないのか、ぐりにはよくわからない。
セックスワークをこの世の中から完全に排除することなんか土台不可能なのに、どうしてそれができると思える人がいるのか、不思議でしょうがない。そんなのただの傲慢じゃないの?

JR奈良駅旧駅舎。いったん取壊しが決まって隣に仮設駅舎が建てられたんだけど、地元住民の反対でまだそのままになってるらしい。
立派な建物なのに、なんで大事にとっとかないのかな?ここにあったサモトラケのニケはどこ行ったんやろー?
今回の話題は前回と次回のつなぎみたいなもので、議題としては地味とゆーかゆるい話が多かった。
でもつなぎはつなぎでも結構重要な話だったりもする。
*冷戦終結とともに拡大した経済のグローバル化。
90年代以降に顕在化した移動労働問題の背景にはこれに伴う情報(ライフスタイル)の拡散がある。
そこにはやはり冷戦終結とともに普及したインターネットの存在がある。
インターネットがもともと軍事用に開発された情報技術だったことは知られているが、冷戦が終わって情報統制が解除され一般に開放されたのがこの新しいメディアの発達のそもそもの出発点である。
*人身取引の国際問題化。
国連で国際組織犯罪防止条約・人身取引議定書が採択されたのは2000年。
人の自由な行き来をも制限する非民主的なこの条約の効力が飛躍的に拡大したきっかけは、翌年に起きたアメリカ同時多発テロだった。
日本では2004年に人身取引対策行動計画が策定され、2005年に刑法に人身取引罪が追加された。
ちなみに日本には「日本人を国外へ売っちゃあいかん」とする法律はもともとあったのだが、「海外から人を買って/連れて来て売ってはいかん」とゆー法律はなかったそうだ。
*その人身取引対策行動計画のきっかけになったのは、かの有名なアメリカ国務省発行のTrafficking in Persons Report。
2004年度版で日本は名指しで「要注意国」と批判され、慌てて法整備にとりかかった。
ところがこの報告書、完全にアメリカ国内の基準で書かれており、ワールドスタンダードと判断することはとてもできない。
たとえばブッシュ政権は「人身取引は人権問題ではなく安全保障問題である」と名言していて、この報告書で人身取引問題に取りくんでいないと判断された国には経済制裁も辞さないとしていた。つまり問題をごくおおっぴらに軍事的・政治的に利用しているというわけである。
しかしこの報告書は国務省の担当官がたとえば日本なら日本の人身取引に関わる専門家をアメリカ大使館に呼びつけて聞き取り調査をして書いたというだけのもので、ここまで政治力を持たせられるほどの信憑性はまったくない。被害者や人身取引事件の逮捕者など当事者への聞き取りや、綿密な現地調査などが行われている形跡はないらしい。
逆にいえば、国務省が書きたいように書くために、専門家の聞き取りを言い訳にすることもしようと思えばできてしまう。
あとこれは本筋とはまったくべつの興味深い話。
講師の青山薫氏が上梓した『「セックスワーカー」とは誰か』がある賞(失念)の候補となったのだが結果的に選には漏れた。
その理由が、選考団体がセックスワークそのものを認めておらず、セックスワーカーの労働環境整備を訴えたこの本を認めるわけにいかない、ということらしい。
アメリカでも日本でもどこでも、フェミニズムや人権問題を訴える人々の中にはセックスワークそのものを悪と決めつけ、全否定する向きはかなり多い。だがその考え方がセックスワーカーへの心ない差別をうみ、差別がセックスワーカーの抱える諸問題を助長しているということがなぜ理解されないのか、ぐりにはよくわからない。
セックスワークをこの世の中から完全に排除することなんか土台不可能なのに、どうしてそれができると思える人がいるのか、不思議でしょうがない。そんなのただの傲慢じゃないの?

JR奈良駅旧駅舎。いったん取壊しが決まって隣に仮設駅舎が建てられたんだけど、地元住民の反対でまだそのままになってるらしい。
立派な建物なのに、なんで大事にとっとかないのかな?ここにあったサモトラケのニケはどこ行ったんやろー?