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落穂日記

映画や本などの感想を主に書いてます。人権問題、ボランティア活動などについてもたまに。

たねとしかけ

2012年04月06日 | lecture
昨日、「海外の捜査官に聞く~取調べの可視化の意義~」院内集会にいってきた。

「取調べの可視化」とは、警察・検察含め取調べにおいて全工程を電子映像データに記録し、供述調書に代わって裁判の証拠とすることを意味するのですが。いうまでもなく。
海外ではもう20~30年も前から導入されているこの制度だが、日本ではまだ最近になってやっと一部だけで運用が始まったばかりである。つーても一部ではまったく意味をなさないので、可視化するならばすべからく全工程可視化すべしとの目的で今も法制化が議論されている。
今回の集会の前日にも国際シンポジウムがあったんだけどそっちは行けなくて院内集会のほうに出ましたが、短い時間でもがっつり興味深いお話を聞くことができた。
ゲストスピーカーはアメリカの元コロラド州デンバー警察署警察官で、各国でこの制度のトレーニングを行っているジョナサン・W・プリースト氏と、オーストラリア・ニューサウスウェールズ州警察で刑事事件を担当するデイビッド・ハドソン氏。両氏にアメリカ・オーストラリアでいかにして取り調べの可視化がスタートし、結果どのような効果が得られたかを伺った。


>>オーストラリアのケース
かの国ではこの制度は警察内部から自発的に導入された。
原因は、裁判で警察の捜査の不正─不当な拘留・証拠の捏造・被疑者への虐待─が批判され、警察が国民の信頼を失い、裁判所からも疑惑をかけられるようになったことからだった。
1991年から2年の間に30の拘留施設で可視化が始まり、1995年に法制化された。これにより、5年以上の刑が求刑される正式起訴では、電子映像記録なしの供述は証拠として認められなくなった。
ちなみにオーストラリアでは現在、被疑者は合理的理由なしに逮捕されることがなく、逮捕されたならば4時間以内に起訴か不起訴を決定しなくてはならない。裁判所が認めれば12時間まで延長はできる。

警察上層部が政府に強制されずに始めたこの制度だが、初めは警察内部での反発も大きかった。
裁判所は警察を信じるべきだし、録画されていては被疑者は自白などしない、というのが現場の感覚だったが、効果が認められれば支持されるようになっていった。
まず大きな効果は、裁判で被告人が有罪を認めるようになったことと、警察が不正をしていると指摘されることが少なくなったこと。警察に対する国民の信頼が高まり、批判も減った。
このメリットの大きなポイントとしては、被告弁護人が警察が提出した証拠に疑義を申し立てられなくなったため、無罪を主張する方法のひとつ─供述の証拠能力への批判─を封じることができる点である。
また、録音・録画された証拠は裁判官や陪審員に視覚で訴えることができる。被告人が逮捕当時・直後にどんな服装をしていたか、入れ墨をしていたか、薬物や飲酒の影響はなかったか、負傷していないか(虐待の有無の証明)、被告人のボディランゲージなどから、その供述をどのように受取るべきか、それぞれに自分なりの意見を持つことができる。

オーストラリアではこの制度が導入されて既に20年経っているので、当初は躊躇のあった警察内部でも、いまでは90%の捜査官は可視化以前の状況を既に知らない世代に交代している。
現在では、オーストラリアではすべての警察で取調べの録音・録画が行われている。

>>アメリカのケース
アメリカでは1970年代に捜査にビデオが使用されるようになり、70年代末には高性能の録画設備を供えた取調室が警察に設置されるようになった。
導入されたきっかけとしては、より効率的かつ正確な取調べの記録方法を模索・改善する必要があったからだった。
オーストラリアと同じく、導入当初は警察内部に反発があった。それは、警察の捜査の信頼性が疑われているという現実への抵抗感だった。
しかし導入されてからその利点─取調べに臨んでいる被疑者・捜査官双方の態度・ボディランゲージの記録が可能になること、メモを取る時間が不要になるためその時間を徹底的に話しあうことに費やすことができること─が実感されるようになった。
裁判官にとっても、取調べを録画録音が正しい方法であるという認識が広がった。録画を見ることで書面を審査する時間が減り、公判も開かれずに済むことも多くなったからだった。
30年経った今では、すべての捜査官はどこかに必ずビデオがあるところで取調べを行っているし、すべての警察施設に録画設備が設置されている。少なくともプリースト氏は録画設備のない取調室の存在を知らない。

この制度が導入された当初、アメリカの警察内部でも、被疑者はビデオのあるところでは自白はしないんじゃないか、コストがかかる、警察の権限が阻害されるのではないかという反発があった。
だが現在ではもうこの制度のなかった当時には戻れなくなっている。それほどその効果は絶大だった。
アメリカでは被疑者は憲法に保障された権利を守られ、ミランダルールとよばれる黙秘権もある。
一方で、捜査官には法執行機関の職員として、被害者の声を代弁し、本当に罪を犯した人に罪を償ってもらう責任がある。
このためにビデオを使った取調べは重要なツールだし、すべての法執行機関で使われるよう勧めたい。

>>質疑応答「この制度の最大のメリット」
オーストラリア:自白を入手したときとまったく同じ形で裁判に提出できる。
オーストラリアには「100人の真犯人を逃しても、1人の無辜の人を罪人にしてはならない」という原則がある。
アメリカ:捜査を完全に徹底的にできる。正確な情報を残せる。公正な手続きをしていることが証明できる。

1時間の院内集会なのでかなり駆け足な感じだったけど、お二方のお話を聞く限り、20~30年も前から他国では導入されているビデオが日本ではまだ使われていないことは、単に日本の警察の捜査方法の発展を妨げているだけのように思えた。
確かに供述をいちいち文書化するのは大変な作業だし、それをやめて取調べ時間を会話に集中して使えればそれだけ効率も上がるだろう。文書化された供述調書の信頼性を審理するには、そこに書かれた情報以上の証拠能力を評価する時間と技術が必要になる。しかし映像記録にはそれは必要がない。信用に足る証拠があれば、供述の真偽を議論する必要もなくなる。警察と裁判所と裁判員との間に、取調べ内容に対する共通認識を持つことができれば、無用の議論に割く時間も労力も減らせる。
警察にもいいことだらけの制度だということがなかなか認められない理由が、これだけ訊けばどこにもないように感じる。もっとそのことを国民全体に広くアピールするべきなんじゃないかなあ。
逆に、これがどーしてもできないってことは、警察がいつも日常的に「ビデオに記録できない不正な取調べをしている」なんて疑惑を裏づけちゃうことになるんじゃないでしょーかね。

関連レビュー:
『美談の男  冤罪 袴田事件を裁いた元主任裁判官・熊本典道の秘密』尾形誠規著
『冤罪 ある日、私は犯人にされた』菅家利和著
『LOOK』
『日本の黒い夏 冤罪』
『それでもボクはやってない』
『それでもボクはやってない―日本の刑事裁判、まだまだ疑問あり!』周防正行著
『お父さんはやってない』矢田部孝司+あつ子著
『冤罪弁護士』今村核著
『僕はやってない!―仙台筋弛緩剤点滴混入事件守大助勾留日記』守大助/阿部泰雄著
『東電OL殺人事件』佐野眞一著
『アラバマ物語』ハーパー・リー著

子どもの居場所

2009年02月21日 | lecture
てのひら〜人身売買に立ち向かう会主催のワークショップ第4回「被害者支援の現場から② 私たちの隣にある子どもへの暴力と搾取」に行って来た。
講師はNPO法人子どもセンターてんぽ常勤職員・西岡千恵子さん。

*1995年、オーストラリア・メルボルンのカウンセリングオフィスで3ヶ月間インターンシップを体験。
ボスニアやベトナムからの難民、香港からの移民のコミュニティでオーストラリアでの生活のためのオリエンテーションが行われていた。
移民社会に限らずオーストラリアでは覚醒剤や麻薬が蔓延しており、DVの被害者も多かった。
もともとは児童虐待に関心が高かったが、子どもを助けるにはまずその母親への支援が必要だと感じた。
96年に帰国後、女性の家サーラーに勤務。
主に強制売春やDVの被害に遭った外国人女性の支援を行う。その後、てんぽに移る。

*人身売買の被害に遭ったり、DVに遭ったりしている女性にも子どもがいるケースは少なくない。
そうした子どもたちは大人の都合にふりまわされ、傷ついている。
母親に在留資格がなくても日本では中学校までは通うことができるのに、そのことが周知されていないために教育の機会を奪われたままになっている子も多い。
教育に限らずあらゆる行政サービスを受けられず、予防接種を受けていないために小児まひになる子もいる。
人間として最低限保障されるべき健康や生活の安全が守られない。
母親が強制送還になれば子どもも送還されてしまうのだが、日本で生まれた子は母国語を話すこともできないし、日本では通えた学校に母国では通えないこともある。

*日本では外国人というだけで弱い立場に置かれているが、中でも在留資格をもたない人はさらに弱く、その子どもはもっと弱い立場に置かれることになる。

*騙されて人身売買の被害に遭う女性の中には、就学経験がなく母国語の理解度も低いという人もいる。被害が事件化して裁判になっても、通訳を入れても裁判についていくことは非常に難しくなってしまうことがある。

*てんぽに来る子ども(未成年者)の多くは精神的にもろく、自己評価が極度に低い子が多い。
ネグレクト(育児放棄)も含め親から虐待を受けていたり、性的虐待に遭った経験のある子も多い。
親も壮絶な経験をしているが、家族を支えるため、教育を受けるためなど目的意識があるからか、親の世代で病的なレベルまで精神的に追いつめられた人は意外に少ないが、人格が発達途上にある子どもの心は壊れやすい。

*虐待を受けたり、親と折り合いが悪かったりして家庭からはじき出された子どもが性産業にとりこまれるケースは非常に多い。
性産業に対する嫌悪感から自分自身を愛せなくなり、自暴自棄になって抜け出せなくなる子もいる。

*住み込みのホテルや旅館は子どもの搾取の温床になっている。
もともと低い給与から住居費や食費などを引けば子どもの手にはほとんど現金は残らない。
そこからまた性産業に堕ちていくケースも珍しくない。

*日本の児童福祉法では子どもは18歳になったら施設を出て働かなくてはならない。
だが18歳の時点でまだ高校に通っている場合は残りの授業料は誰が払うのか。
たとえば虐待に遭って施設に入っている子でも、自治体では「親に扶養義務がある」「若いんだから働きなさい」といって生活保護は支給してくれない。
だが養護施設で育った子が働ける場は多くはない。
民法と児童福祉法は現実の被害者を守ってはくれない。

*児童相談所は常に満床状態が続いている。
生命の危険のある低年齢の子どもが優先されるため、どうしてもハイティーンの子にしわ寄せがいってしまう。
中でも女性シェルターにさえ収容されない男の子には受け皿がなく、ホームレスになってしまう子もいる。

*問題は日本の性産業が大きすぎること。
たとえば世界最大の歓楽街といわれる新宿歌舞伎町でも、風俗営業免許を取得しているのはわずか100軒程度といわれている。
あれほどまでの巨大な歓楽街が存続していけるのはひとえに需要があるから。
そしてその需要を社会が容認しているからである。
そこに女性の性を買いに行ったり、女性に暴力をふるう男性を育てているのもまた女性=母親。
感情論だけではこの問題を解決することは到底できない。


マカオ、聖ドミニコ教会の鐘。

ビョーキな国

2009年02月14日 | lecture
続きまして。
ポラリスプロジェクト主催のセミナー「子どもの性の商品化を止められるか」第1回〜性の売買と、子どもの権利〜にも行って来た。
バレンタインの日にそんなことしててええんですかっちゅーツッコミはナシで。つかバレンタインって何よ?今さら?どーでもええっちゅーねん。
講師はポラリスプロジェクト日本事務所コーディネーター藤原志帆子さん。
ポラリスの勉強会は何回か出席しているが、今回の話はいつもとは少し違って、対象を子どもに限定している。今後このテーマで月1回のセミナーを続けていく予定だそうである。

*コンビニやビデオショップにあふれる性的娯楽メディア。
藤原さん個人はこうしたものがあるからわれわれの生活が豊かになるというのは事実だし、否定はしないという。
だがこうした商品の中に、レイプや女子高生もの、痴漢など犯罪に近いものを題材にしたものが多く、また過激なものほど売れているなかで、子どもがそうした分野の商品になりやすい土壌があるのは見過ごせない。

*グラビア雑誌やAVは主に男性向け。
女性向け、少女向けのコミックに表現されているセックスもまた非人道的である。
たとえば好きな人とはセックスをして当り前で男性は暴力的、女性は受け身でされるがままで、そこに描かれる女性像があまりにも無防備すぎる。

*このような環境の中で氾濫する児童ポルノと児童売春。
現実に被害に遭う子どもたちは後を絶たないのに、事件後の子どもたちを支援する制度が効果的に機能していないため、再発の危険性が高くなっている。
被害に遭った子どもにほんとうに求められているケアが何であるのか、誰もきちんと考えていない。

*日本で大人気の「ジュニアアイドル」「U15」と呼ばれるジャンルの写真集、DVD。
中学生や小学生がきわどい水着や下着で映っているものが「芸術的鑑賞物」としておおっぴらに売買されている。日本の現行法ではこれはポルノにあたらない。

*アダルトコミックやアニメの世界では、子どもが性行為そのものをしている表現が当り前に描かれる。
こうしたものは諸外国では単純所持でも処罰の対象となるが、日本では合法。無規制である。

*児童ポルノに被害者はいない、と長い間いわれてきたが、実際の被害者は一生その写真やビデオのことを忘れることは出来ない。
何年経っても、物心つかない幼いころに撮られたものをもし目の前にいるこの人が見ていたら、という恐怖に苛まれ続ける。

*全世界で性的搾取の被害に遭う子どもは年間100万人。児童ポルノ法違反で有罪になった被告の85%が過去に子どもに性的虐待をしていたというデータがある。つまり、児童ポルノと子どもへの性的虐待は無関係ではなく、被害者はこれだけの数にのぼる、という事実。

*1999年の調査では全世界にネット配信される未成年女児のポルノ画像の73%の発信元が日本だった(その後法改正により改善)。

*未成年の売春について。
アメリカのデータでは、10代の売春婦の90%が近親姦・レイプの被害者であり、85%が性感染症にかかっており、3分の2がPTSDなどなんらかの精神疾患にかかっており、50%が自殺未遂の経験を持つ。
2005年の調査では、日本全国140,600人の風俗嬢のうち20,120人が18歳未満。

*日本の法規制。
日本で未成年の売買春を規制する法律は出会い系サイト禁止法、児童福祉法、児童買春・児童ポルノ禁止法。
近年では子どもから売春を誘うケースが急増中。こうした場合、被害者であるはずの子どもが処罰の対象になるため、事件化しにくくなる。

*援助交際に被害者はいない?
精神的に未熟な子どもが「身体を売る」という決断になぜ至るか?というところまで考えれば、子どもを被害者ととらえることに何の矛盾もないはず。

*大切なのは教育。
間違った性情報のシャワーを浴びている日本の子どもたち。
必要なのは正しい知識と、大人と性について話しあえる環境。

などなど。


満開でございます。

関連レビュー:
AIDS文化フォーラムin横浜 「日本における人身売買〜ホットラインの向こう側」
「人身取引大国ニッポン:女性や子どもたちへの暴力をなくすために」 第一回勉強会
『闇の子供たち』
『児童性愛者―ペドファイル』 ヤコブ・ビリング著
『子どものねだん―バンコク児童売春地獄の四年間』 マリー=フランス・ボッツ著
『アジアの子ども買春と日本』 アジアの児童買春阻止を訴える会(カスパル)編

お嫁通販

2009年02月14日 | lecture
てのひら〜人身売買に立ち向かう会主催のワークショップ第3回「被害者支援の現場から①〜民間シェルターの取り組み」に行って来た。
講師は女性の家HELP前ディレクター大津恵子さん。

HELPというのは明治時代に設立された女性団体・財団法人日本キリスト教婦人矯風会が運営するシェルター。女性とその子どもを対象とする緊急保護施設として知られている。人身売買問題の資料や講演でしょっちゅう耳にする・目にする名前で、いつか関係者の話が聞いてみたいと以前から思っていた。
今回の話は大津さん自身の個人的な体験談が多く、まとまった情報としてすぐに何かの役に立つというような内容ではなかったが、印象に残った点ををいくつかまとめておく。

*人身売買の被害者として保護されたのと同じ人物が、数年後にDV被害者として保護されるケースが増加中。
以前、東南アジアからはエンターティナービザで来日し強制売春の被害に遭う女性が非常に多かった。
エンターティナービザで入国した女性は接客業をしてはいけないことになっているが、雇った店では接客をしなければペナルティが課せられる。
ステージもない狭いスナックに10人以上も「エンターティナー」が雇われ、違法な売春をさせられる実態が問題視され、規制が強化された結果、現在は日本人と結婚し配偶者として来日するアジア人女性が急増。偽装結婚である。
また、日本国内で顧客と結婚する人身売買被害者も少なくないが、知りあった場所が風俗店であり、女性がアジア人である以上、夫婦として初めから不平等な関係になりやすい。また、結婚した男性は女性の借金を肩代わりすることもある。「金で買った嫁」「元風俗嬢」「アジア人」という三重の差別意識が家庭内でのいじめ、虐待に結びつくのは難しいことではない。
それでも女性たちは「自分さえ我慢すれば」と堪えるのだが、多くのケースでは暴力が女性だけでなく子どもにまで及んでいよいよという段階になってから助けを求めてくる。
中には老親の介護をさせるだけさせられ、親が亡くなった後、身ぐるみ剥がれて放り出されたアジア人妻もいる。

*近年、人身売買被害者が「被告」として起訴される事件が知られるようになった。
大津さんが関わったある裁判では、愛知県で強制売春をさせられていたタイ人女性が逃亡、大阪・堺のスナックで働いていたところ、顧客に尾行され、自宅に侵入されてナイフで脅され、レイプされそうになった。
彼女は警察に助けを求めたが、入管法違反(オーバーステイ)と売春防止法違反で逆に起訴されてしまった。
未遂とはいえ彼女は暴行・強姦の被害者であり、売春も自らの意志でしたわけではない。期限内に国外へ退去したくても旅費さえない。
性産業従事者はたとえ人身売買の被害に遭っても、レイプされても傷つく人間じゃない、法の元の平等に守られる権利は必要ない、という誤解がまかり通っている。

などなど。


今日は異常にあったかかったっすね。

良い狼と悪い狼

2009年02月01日 | lecture
明治学院大学国際平和研究所PRIME主催のPRIME20周年記念国際シンポジウム「平和学のチカラ〜世界危機を読もう、考えよう、変えよう〜」に行って来た。
ほんとは昨日もやってたんだけどこっちに行く予定があったので断念したのだった。てか今日も行くかどーか迷ったんだけど。
だってこーゆーシンポジウムとかイベントとか行くたび、社会学や福祉学や政治経済学の専門家でも学生でもなくボランティア活動家でもないド素人のぐりみたいな出席者は超レアで、自分でも内容についてけてんのか?とゆー疑念はどーしても拭えないとこがある。自分ではついてってるつもりでも、ほんとのところどれほど理解できてるのか不安は常にある。
でもぐりひとりが理解できなくても誰にメーワクがかかるワケじゃなし、だいたいタダなんだし誰でも参加していいんだったら行ってもいいじゃん、と思い行ってみた。
やっぱ昨日も来ればよかった(悔)。ちなみにピープルズプラン研究所の講義は有料なんだよね(そこそんなに重要か?<自分)。

セッション2:メディアと市民運動
講師はNHKの元プロデューサー桜井均氏。
内容が異常に濃くってとてもまとめる自信がないんで超はしょりますが、要はメディアの公共性についての話。
メディアといっても最近の主役はもっぱらブログやYouTubeのような動画投稿サイトや掲示板など、インターネット上で展開されるオルタナティブメディア。
市民運動の場が失われて久しい日本だが、日々発言力を増すこの新興メディアが新たな公共権を担う可能性は大きい。
これに対し武者小路公秀氏はある哲学者の言葉を借りて「人類にもし進歩があるとするなら、遠くにいる人の痛みをわかちあえるようになること」と評した。んーそりゃハードの問題は進歩したけど、ソフト(人)の方はどーなのかにゃー?
講義後の質議応答では、外務省職員がある人権団体に対して「あなたがたは地球市民(を自称しておればよいが)、われわれは国益第一」と発言したことがあったのだが、このような意見におけるメディアの責任は?というのがとても印象的だった。桜井氏の回答は「良いオオカミと悪いオオカミが戦おうとしている。勝つのはどちら?」という喩え話。答えは「あなたがエサをやった方」。つまりメディアなり国際社会なり、当事者ではなく第三者に結論の責任が求められているということらしい。なるほどね。エラソーなこといってわいわい無責任に騒ぐ人間は結局自分がどれだけ無責任かという自覚がない。ちなみに前述の喩え話は現在のガザ問題を指している。
などなど。はしょりすぎじゃー。
ってか途中から桜井氏個人の政治見解の話になってきて、それはいいのかにゃ〜?ともちょっと思ったり。

セッション3:グローバル化と多民族共生
上村英明氏は日本の先住民族問題について、佐藤アヤ子氏はカナダ先住民族の文学についての話。
上村氏の話は非常に興味深くて、日本国内のアイデンティティがなにゆえにどれほどなおざりにされ、現状どうなっているのかという、ぐりはまったく聞いたことも見たこともないテーマでとってもおもしろかったです。
なかでもへーと思ったのは、2007年に「先住民族の権利に関する国際連合宣言」が採択され、アメリカ・オーストラリア・ニュージーランドなどネオコン政権の猛反発を受けたにもかかわらず、日本では翌年「アイヌ民族を先住民族とすることを求める決議」が全会一致で国会を通過している。アメリカの顔色ばかりうかがう日本にしてはめずらしー。
んが、佐藤氏の話はちんぷんかんぷんで困りました。トムソン・ハイウェイとゆーカナダ先住民族出身の作家の戯曲を紹介しながら、ストーリーやその意味を解説するんだけど、話が入り組んでてシンボリックな上に話し方が念仏かっちゅーくらい一本調子でまったく感情がこもってなくて、他人に聞かせよう/理解させようとして喋ってるようにはまるで聞こえない。途中からわかろうとするのもやめちゃいました。馬鹿馬鹿しくて。
どーせぐりがシロートだからわかんないんだぜと思ってたら、終了後に別の所員に面と向かって「難しい!わかりにくい!」と抗議されてました。せめてあらすじや人物紹介、相関図や用語解説などをまとめたペーパーを用意するべきでしょと。本人は「だって忙しかったし」「そんなのできるって知らなかったし」なんてバックレてたけど。ざけんな。

出席者は例によってほとんどがこの分野の専門家や学生ばっかりで、国際シンポジウムといってもごくラフな雰囲気ではあったし、聞いててしんどかったのは佐藤氏の話くらいで、来てよかったなーとは思いました。
また後日やる気のあるときにこの記事改訂するかも。しないかも。んー。だって疲れたよー。


卒業記念品の柱時計。
明学ってよく前は通るけど中に入ったのは今回初めて。立派な建物がいっぱいあって素敵な雰囲気のキャンパスだけど、日曜なので学食は休みでした。残念(笑)。