はいほー通信 短歌編

主に「題詠100首」参加を中心に、管理人中村が詠んだ短歌を掲載していきます。

鑑賞サイト 042:豆

2006年10月15日 09時47分26秒 | 題詠100首 鑑賞サイト
たまさかのひとりよがりは知られざり珈琲豆を煎る苦き朝
           (小籠良夜) (DARKSIDE OF THE MOON)

 「ひとりよがり」は、辞書では
「他人の考えを全く聞こうとしないこと。独善。」
とありますが、ここではちょっとしたわがまま、という程度に取った方がいいように思います。
 つれあいの人となにかあったのでしょうか。
 普段ぜいたくだからと止められている「コーヒーを焙煎から始めて入れる」行いを、仕返し気分も交えてやってみる。でも、つれあいはそのことに全然気づかない。
 それとも、一人暮らしの人でしょうか。
 自ら禁を破ったのに、とがめ立ててくれる人もいない…。
 どちらにしても、ちょっと苦い静かな朝の風景が見えます。

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そら豆を剥くたびおもう裏切りという名のひかり知った日のこと
                  (ひぐらしひなつ) (エデンの廃園)

 詠み人のブログが「エデンの廃園」という名だからということもあるのでしょうか。
 なんとなく、歌の雰囲気がアダムとイブに通じているような気持ちになります。
 「豆」は根元を想起させます。「裏切り」「ひかり」も神話の重要アイテム。
 人という生き物が、己を形づくる一部分に気づいた日のことを、種の記憶として思い起こす。
 …なんだか話がおおげさになってしまいました。
 もっと個人的なこと、ある人に背いたことによって自由を得た、その記憶がそら豆につながっている。
 こちらの読みのほうが、素直でしょうか。

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責めたくはないのに鬼が笑うから撒いても撒いてもなくならぬ豆
               (和良珠子) (the strange of stranger)

 「来年のことを言うと鬼が笑う」と言いますが、この歌を読んで、責めたてられているのに優しく微笑んでいる「鬼」、といった場面が頭に浮かびました。
 主体の焦る顔も。
 怒りでも悲しみでもいい。暴力であってもいい。
 なにか手応えのある反応が欲しいのに、何をしても、「鬼」はただ慈愛の笑みをうかべている。
 ますます「豆」を蒔き続けざるをえない主体。
 その心の軋み、慟哭が聞こえてくるようです。