藍こみっ

楽しみな未来へ向けて、昨日と違う明日への一歩

十五少年漂流記

2016年03月31日 22時42分09秒 | 日記
中学時代に読んだ本に、十五少年漂流記がある。

少年たちが遭難し、自分たちの力で生きていく様は逞しく面白かったけど、それよりもジュール・ヴェルヌの描く違う作品へ次第に惹かれていき、そこから「ミステリもの」を読むようになった。

それが星新一や筒井康隆へ広がり、森博嗣へと流れていった過程は、まさに最近までの私の「読書の系譜」なのだが、その源流が十五少年漂流記だったことをふと思い出した。

その十五少年漂流記の、副題を皆さんはご存じだろうか?

副題(直訳)は「二年間の休暇」なのだが、さて彼女の二年間はまさに「休暇」では済まないと、そう感じている今日この頃の藍色です。

中学1年生が連れ去られ、監禁されて過ごした2年間。

卒業式の前に無事に脱出し、家族と再会した光景。

インターネットで自分を探していることを知り、再会を願った中学3年生になった彼女の想い。

失われた2年間は大きいし、まさに多感な時期に家族と離れ離れにされ、過ごした時間はどんな毎日だろう。

これから家族と共にどんな人生を歩むのか想像もできないけれど、まずは彼女が無事に生還した今を、ただただ安堵した気持ちで見つめている。

それにしてもだ。

人はペットではないし、ペットであっても監禁はできない。

大学生活を送りながら中学生を監禁して過ごし、一緒に出歩いたり、彼女だと言って写真を見せたり、引っ越しまでしていることには、正直驚きを隠せない。

そういった環境だったからこそ、彼女は生還できたのだとも思うけれど・・・。

もちろん容疑者は許せないし、相応の実刑を受けて欲しいが、中学生の2年間を奪った罪がどんな刑罰になるのか。

さて容疑者がまだ「大学生」であったことから、大学が卒業を取り消すかもという話もでたが、それはまったく関連性がないと思う。

大学は学業を習得し、できれば人間性も培って欲しいところではあるが、容疑者は学業自体は修了しているわけで、議論すべき観点が異なると思う。

どこかの元研究者のように、博士論文に不備があり、猶予期間に論文を再提出できずに博士号を取り消されたのとは、まるで次元が違う。

元研究者は学業そのものに「疑義」があり、その疑念を払しょくできなかったからこそ博士号をはく奪されたが、前述の容疑者の大学生活と今回の事件は別である。

どこの大学でも組織でも、多種多様な人間がいて、それは学歴などの外見では分からない。

・・・元研究者はSTAP細胞の作り方をHPで公開したとのニュースが上がっているが、世界中は元より、自分ですら再現できなかったことをHPに上げる意味って何だろう?

どんな心境なのかは分からないけれど、そう言えば明日はエイプリルフールでしたね。

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