退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

明治生まれの男たちについて

2010-07-16 03:38:14 | Weblog
くもりときどき雨。傘を持たずにすます。

徳川夢声「問答有用 Ⅲ 政財界編」を途中まで読む。

著者は映画にまだ音がなかった頃
弁士として名を馳せ後に俳優、朗読の名手、文筆家として聞こえた人。

いきなり「Ⅲ」を読むことになったのは
偶然図書館でそれを見つけたから。

「夢声戦争日記」も一部では有名で
中公文庫で是非復刊してもらいたいもの。

対談している政治家は吉田茂から田中角栄まで
実業家は「真珠王」御木本幸吉から「ブリジストン」石橋正二郎まで。

明治生まれの男たちのたたずまいがほの見えて楽しい。
「紅一点」神近市子との話はいかにも時代を感じさせる。

サントリー創始者の鳥井信治郎が
「鳥井さん」をひっくり返したという社名の由来の俗説を否定している。

「赤玉ポートワイン」の「赤玉」を「サン(太陽)」と見立てて
「鳥井」という自分の名前をくっつけたのだと。

「ブリジストン」が「石橋」をさかさまにして
「ブリッジ(橋)」「ストーン(石)」としたという説については詳細は不明。

「女遊び」について現在より鷹揚だった人々は
なにがしか「国家」を背負っているあたりの「自覚」が現在と違う。

それが無条件にいいのかというと微妙だけれど
キャラとしては今よりずっとマシなことだけは確か。
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「現実」を左右する抽象的な「からくり」について

2010-07-15 02:31:13 | Weblog
雨。今日も一日中。

酒井直樹「死産される日本語・日本人」読了。

日本語の誕生は死産されることによってのみ可能だという考えが面白い。

十八世紀に「日本語とそれが普遍的に通用した共同体の存在」を古代に仮設することで
日本語が生み出され、しかもそれは「現在にない喪失されたもの」として仮設された。

つまり「喪失されたものとして誕生すること=死産」されることによって
「日本語」というものが初めて見出されたらしい。

著者は実に抽象的な論理を駆使することに長けている。
「見えないものを可視化する」ためにはどうしても必要な能力だけれど。

この「日本語の誕生のからくり」は
何も「日本語」だけに限ったものではない。

たとえば実はいろんな可能性を展開できるはずの若者が
「家庭の不和」を経験することで「幸せな家庭」という「理想」を見出す。

彼らは出来るだけ速やかにそれを実現しようとするので結婚が早い。
ただし互いに「子ども」なのでうまくいかないことも少なくなかったりする。

「恋愛から結婚へ」というのは至極当然のように思われているけれど
ある種の「情熱」である「恋愛感情」はどうしても長続きしないのが本当の「当然」。

たとえ燃えるような恋に溺れていても
それを支える経済的基盤がなければ続かない。

トリュフォーの「アデルの恋の物語」の中で文豪ヴィクトル・ユゴーの娘アデルは
父親に金を無心することによって「妄想」のような恋を続けることができただけ。

さて。

「あまりの多様さ」に出会った人は「そこに欠けている統一」を「理想」として見出す。
そして「現在」にそれがないので「過去」にはそれがあったことにする。

本物の「ノスタルジー」は自分で経験したものに限るわけだが
以上のような「からくり」で人は過去に「理想」を見たりする。
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湿気ゆえの感想

2010-07-14 04:23:06 | Weblog
雨。少し止んではぽつぽつ降る。

今年2回目の異様な湿気。
深夜さらにジメジメする。

酒井直樹「死産される日本語・日本人」を途中まで読む。

実はそれぞれに違うところも少なくないものを
「近代」「西洋」「東洋」「日本人」「日本語」とかのひとくくり。

そうした「無意識の前提」にあくまで敏感であろうとする著者。
憲法が実は「社会問題を作り出す装置」になるという視点が面白い。

一見「正反対」に見えるものがある種の「同じ土俵」を維持するということ。
いずれも同じ「前提」を共有していることに気づくようにと。

スローガンのような「概念」はあらゆるものをイコールで結ぶけれど
貨幣ほどの力はないのでやがて「ネタバレ」する。

おそらく貨幣が「信用」を元に流通するように
時代の制約を受けながら「信用」によって流通する説は今後も生まれ続けるとして。

先の憲法同様、「理想」は「社会問題を作り出す装置」なのだから
中途半端な「現実」に甘んじるものはただの「現状肯定」に終わる。

民主主義の不完全さはむしろ
絶えざる「問題提起」を含んだものだと積極的にとらえることもできる。
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こんな女に誰がした

2010-07-13 02:43:13 | Weblog
くもりときどき雨。天気雨がよく降る。

三浦展・柳内圭雄「女はなぜキャバクラ嬢になりたいのか?」を読む。

ある時期以降女性の服装が全員と言いたくなるほど「水商売化」したのは
どうやら「家庭の不和」と「貧乏」が原因のよう。

メディアへの数多くの露出が
「水商売」に対する敷居を低くしたせいもあるらしい。

高卒以下の女子はとりわけ正社員になれないため
時給がよくて稼げるキャバクラ嬢になりたがるとのこと。

「対人サービス業」が「自己承認欲求を満たす」という視点もある模様。
「カネと学歴」のない女子が「若さと多少のルックス」で「上を目指す」のだと。

結婚願望や男性への依存願望が強いのも特徴で
男性に経済力がなくなっているから「自立」するためにとりあえず「キャバ嬢」になる。

浜崎あゆみや倖田來未、あるいはEXILEのファンであるというのもわかりやすいし
ケータイ小説を読んでいるのもいかにも。

大昔で言えば「カフェの女給」というのがこれに当たるのだろう。
菊池章子「星の流れに」でも聴いて戦後を思い出すのもよし。

http://www.youtube.com/watch?v=auHjP8BAis4&feature=related

「貧困」がもたらすものは時代を問わずあまり変わらない。
多少なりとも貨幣に余裕のある男性はキャバクラへ行け。

下心たっぷりの「散財」も
働く彼女たちへのわずかな「応援」となるのだから。
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「恋愛」のように

2010-07-12 02:29:33 | Weblog
雨。ベタっとした一日。

週間金曜日取材班「増補版 電通の正体」を読む。

電通はテレビ局の広告をほぼ独占していて
「広告を引き上げるぞ」と言われるとテレビ局は従わざるをえないと。

これに対抗する手段は簡単なことで
「やってみろ」と言い放つこと。

それが言えたら苦労はないというなかれ。
「こうして脅された」と詳細を報じればいいだけのこと。

「今のままの関係」を維持したいから困るだけ。
何も考えずにすむのが好きなのは人の基本だけれど。

「そういう付き合いならしたくないから」

実はそのひと言で
数多くの「困難」が解決できる。

「暗黙の了解」に支えられている「世界」は
案外単純に崩れるものであることも知っておこう。

「自分のリアル」は他人から見れば「大嘘」。
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流れのままに

2010-07-11 03:29:19 | Weblog
晴れ。だったか。

上野千鶴子編「脱アイデンティティ」を途中まで読む。

「アイデンティティ」というのは「自己同一性」のこと。
かつてはそれが大事だと思われていたけれどそうでもないらしい。

自然に直線が存在しないことを思えば
ずっと同じままであることは「不自然」なこと。

仮に人が「アイデンティティ」にこだわるのだとすれば
それはある種の「トラウマ」を忘れないせいだと思うことにしよう。

一定の期間、人は束の間の「同一性」を保つように見えるけれど
「死んでも離さない」といった言葉を裏切る行動を人はいともたやすく取れるもの。

ただしそれは「嘘」ではなく「真実」であるのがややこしいところ。
おなじみの「恋」を振り返れば誰にでもわかること。

深夜TVで「スカイ・ハイ」(’04)を観る。

主演の釈由美子の顔がまだ「整っていない」のが面白い。
「おなごの顔」はかように変わりそこに「アイデンティティ」はあるようなないような。

毎日細胞が死んでは生まれるというサイクルを身をもって知らずに生きるわれわれは
わかりやすい「変化」を見るのみ。

「わたしはわたしであってわたしでない」。
某新興宗教の教祖の言葉はそうした意味でのみ「正しい」。
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降っても晴れても

2010-07-10 02:57:52 | Weblog
雨。一時は台風のような勢い。

ジグムント・バウマン「リキッド・ライフ」を読む。

エッセイ風の文章が長々と続く。
本書の構成の仕方におそらく問題があるのだろう。

学者の本を読むのは「目からウロコ」を期待するから。
予想のつくような「具体的事例」の羅列はいらない。

橋川文三「昭和維新新論」も同様の印象。
著者が途中で亡くなってしまったことが原因か。

「当時の状況」を大事にしたい気持ちは伝わってくるけれども
まとまりを欠いた内容にややがっかり。

もっともこちらの「アンテナ」が錆びていることもないわけではないので
とりあえずの「判断」ということで。

何ものかに「出会う」というのはやや「ロマンティック」な考え方だとしても
「こんな出会いをするなんて」ということは数限りなくあるもの。

仮に「真価」というものがあるとするなら
そういうものをきちんと受け止めることができたらと思う。
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ロマンティックもリアルもそれを生きれば変わりないということ

2010-07-09 03:31:11 | Weblog
晴れ。洗濯する。

昨夜はドイツ対スペイン戦を見ながら寝てしまう。
スペインのパス回しは確かにうまいがドイツはどうしたのか。

キム・ギドク「うつせみ」(’04)を観る。

他人の家に忍び込んで暮らす男がある日夫に暴力を振るわれる女と出会う。
その後ふたりは他人の家に忍び込む生活を続けるのだが、というお話。

相変わらず言葉を発しない主人公の男。
唯一ラスト近くに「サランヘヨ(愛してる)」と言う女。

他人の家に忍び込むのはいちおう法律違反だけれど
その家の壊れたものを直す男は特に悪いことをしているわけではない。

妻を奪われたDV夫のせいで警察に捕まる男は
文字通り「うつせみ=空蝉」として彼女と一緒に楽しく暮らすことになる。

まるで猫のように「幸せだった場所」に行くふたり。
別々にいながら「同じ場所に戻ること」でかえって強く結びつくというのがミソ。

北野武と対談したら面白いだろう。
ひょっとしてもうしているのか。

武田晴人「仕事と日本人」を読む。

「労働」という言葉の起源をたどることから始まって
「はたらくことの意味」をあらためて考え直そうという内容。

「過剰な消費」が「過剰な労働」を必要とすること。
「労働」が「金を得るためだけの手段」になったのは「近代以降」にすぎないこと。

「はたらく」は「傍(はた)が楽になること」だという意味を知ろう。
「他人のためになる喜び」が失われて久しいので。

一生のうちで「はたらく時間」は圧倒的に多い。
それを見直して生かす手段をどうにか講じたいもの。

誰かのために「はたらくこと」。
それは「自分のため」にもなるのだという「真実」を忘れずにいよう。

「組織」の中で「不自由」を嘆きながらはたらくのがすべてではない。
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圧倒的なものには説明がいらないということ

2010-07-07 06:15:00 | Weblog
晴れのちくもり。雨も降る。

ワールドカップ、ウルグアイ対オランダ戦を見る。

「植民地サッカー」のしぶとさで喰らいつくウルグアイと
「宗主国」の技術で抑え込むオランダ。

最後までスリリングな展開は
まさに「世界レベル」とはこういうものだと知らせてくれるもの。

パラグアイ戦でフリーでのシュートをはずした本田の咆哮は
それを「知っている者」としてのリアクションだとして。

コーナーポストに当たって入るシュートは
「一瞬で状況を変える技術」。

まだ日本にはそういうものがないので
とりあえず地道に努力するしかないのだろう。

仲間がどこにいるかを把握した上で
セカンドボールを予測しつつ対処することが「当然」の世界を生きよう。
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日本のサッカーが強くなれない理由

2010-07-06 04:11:16 | Weblog
スポーツの楽しみとはそもそも何か。

それは「圧倒的な身体能力」を見ることにある。
この「当然」がわが国のサッカー界にはない。

http://diamond.jp/articles/-/8609

上杉隆のこの文章が「特異」であるという現実は貧しいというよりない。
「サッカージャーナリスト」とやらはどこにいるのだろう。

おそらく大多数の人々は
「祭り」に参加できたことの喜びと安い「ドラマ」に酔っているのだろう。

日本のサッカーに必要なのは
とりあえず全員が長友レベルの体力を持つこと。

フォワードに限らずシュートを打つ以上
最低限「枠に飛ぶ」キックの正確さを維持すること。

速く正確なパスが出せること、そして
それを可能にする周囲の動きがあること。

さらに「リスク」を引き受ける「勇気」を持って
堂々と戦える精神の持ち主であること。

「日本の常識は世界の非常識」。
その言葉はここでこそ生きるはずなのだけれど。
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