退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「何様でもないこと」について

2011-09-27 02:53:57 | Weblog
くもり。朝にはちょいと降ったよう。

読みかけだった「野坂昭如エッセイ・コレクション2」ようやく読了。

解説の宮台真司によると著者の「臆病者という視点」は
「そういうお前は何者かという問いかけ」だと。

たとえば「国益」なるものを優先すべきだという「お前」は
実はたいてい「現役」を退いた「老人」だったりすること。

あるいはそれが仮に「若者」であるとしたら
卑小な自意識を「国家」に乗せてみただけの存在にすぎないということ。

いずれも自らは「関係ない場所」に居ながら
いたずらに他人もしくは自分を「煽る」だけ。

もちろんかく言う自分もただのオッサンで
できるだけ「気楽に生きたい」という代物。

同じ呷(あお)るなら酒でよかろう。
ひとりで悦に入っていればいいもの。

川北隆雄「財界の正体」を読む。

なるほどそれなりの「歴史」と「変遷」があったことはわかるけれども
著者はむしろ「財界」とかが好きなのではないかと誤解されやすい記述。

批判したいものを詳細に描こうとする際に
陥りがちな「罠」にもう少し敏感であってもらいたかった。

オリックスの宮内が小泉元首相との関係をバックに
「お手盛り」で自分の利益を手にした「あくどさ」だけは十分に伝わったものの。

「勲章」にこだわる人がいるのも驚く。
「国家」よりそばにいる他人に褒めてもらえる仕事をすればいいじゃないかと思うのだが。

そもそもただホメられても恥じ入るのが「普通の感覚」だと思いたい。
少なくとも個人的には「誉められたい人」に誉められたいとしか思わないので。

何よりこうして暮らせているだけでありがたい。
それだけで十分に幸せだもの。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする