退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「弔辞」について

2011-07-20 02:18:26 | Weblog
雨。台風の影響。

大島渚「わが封殺せしリリシズム」を読む。

「弔辞大全」と銘打って開高健が出した二冊のタイトルは
いずれもスペイン語を元にした「さらば、友よ」「神とともに行け」(新潮文庫)だったか。

映画監督である著者の弔辞も味わい深く
電車の中で思わず目がうるうるしてしまう。

とりわけ「強くやさしい女たちよ」と「弔辞―川喜多和子」の流れはいけない。
彼女が伊丹十三と結婚していたことは迂闊にも初めて知った。

学生の頃彼女が副社長をしていた「フランス映画社」にはずいぶんお世話になったもの。
ゴダールの「a bout de souffle=breathless=息切れ」を「勝手にしやがれ」とした人でもある。

映画ファンにはこの「リスト」を見てあれこれ思い出していただきたい。
個人的には途中からちょいとご無沙汰してしまったけれど。

この本に「記録」されている豊かな「批判精神」と「人の交わり」こそ
われわれが「継承すべきもの」だとは知りながら。

小林信彦が指摘していた「中平・増村時代」の存在もこれで「補強」できるはず。
彼らを「近代主義」だと言った著者は相当に後者を意識していたはず。

たとえば増村の「赤い天使」(’66)と大島の「愛のコリーダ」(’76)について
互いに細かくチェックしてみたら面白いはずだったり。

「御法度」(’99)はその作風の変化が興味深く
新たな「大島渚」の展開を十二分に予想させた上でラストの幻想的な美しさもあって。

そうしたことすべてが「常識あるいは前提」となるはずもない「現実」を生きるしかないのだから
「いいもの」を何とか伝えるしかない、としておく。
コメント
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