退屈日記

とりあえず日々のつれづれを。

「『神』を支える装置」について

2011-04-09 04:14:15 | Weblog
久方ぶりにyoutube。

個人的に「神」というものは
人間の「無力さ」を逆投射した「装置」だと思っている。

自分の「ひよわさ」を認めることで
むしろ「万能」を感じられるという仕組み。

キリスト教がらみの美術や音楽や教会はそれを支えていて
なるほどこれなら「神の実在」を信じても不思議はないと思われるけれど。

そこで敢えてバッハでなく「ハレルヤ」。

4人の「才能=神からの贈り物」を与えられたシンガーが
それぞれの魅力を表現しつつハーモニーを奏でる。

3500万以上あるアクセスのほとんどはおそらく「欧米のもの」。
少なくとも日本で話題になったことはないだろう(と思われる)。

ただしこの圧倒的な歌唱は「言語の壁」も越えるはずで。

「芸の力」というものがあるとすれば
このあたりを「基準」としたいもの。

わが国ではそれとは逆に
「何の芸も持たない者たち」による「必死さ」が売り物になったりする。

それらがあくまで「子どもの芸」だということを知った上で
それなりに受け止めるのがいいだろう。

おそらく「カワイイ」が世界の一部で評価されているのは
「芸の厳しさ」より「気軽な楽しさ」を選びたい人々の気持ちのせいだと思われる。

ここでいたずらな「二者択一」をするのではなく
それぞれの「文脈」で楽しむことができるのが「幸せ」か。
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「是々非々」について

2011-04-09 02:29:48 | Weblog
雨。午前中から降り出した模様。

「アーレント政治思想集成 2」を読み始める。

今のところさしたる収穫はなし。
もっともこちらがウッカリすることも少なくないので要注意。

「ユダヤ人差別」というのはヨーロッパには昔からあった。
ただし「死体を生産する」という形で人間を扱ったことはなかったと。

「強制収容所」というものの恐ろしさはむしろ
その「理不尽さ」に逆らわずにいた「犠牲者」が少なくなかったことだとも言う。

「ナチ」はヒムラーの指示の下で淡々と「仕事」をこなし
「カポ(囚人の管理職)」はこれまた淡々と「仕事」をこなした。

とりあえず「自分を守るために」行動した結果。

ところで。

津波に襲われる「歴史」を持つ三陸地方には
「津波てんでんこ」という言葉が伝えられているらしい。

言葉の意味は「津波が来たらとにかくてんでばらばらに逃げろ」ということらしいが
その背景には家族や他人を救おうとして逃げ遅れたために犠牲になった人々の多さがあるとのこと。

「他人を思いやること」がむしろいい結果を生まないこともある。

津波のような「天災」においてはむしろ
「臆病であること」が結果的に避難をためらう他人を促す「潤滑油」の役目を果たすらしい。

さまざまな局面ではそれぞれに「最良の行動のかたち」が異なる。
その事を「言い訳」としてでなく「世界の複雑さ」として捉える視点を持ちたいものではある。
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