宗谷岬の南方の丘にある宗谷岬公園から一つだけご紹介します。
1875年、ロシアとの間で「樺太千島交換条約」が締結され宗谷海峡が国境になりました。
この望楼はロシアとの国交が悪化した1902年に国境の防備として作られた要塞で、
任務は当時最強と呼ばれたバルチック艦隊の監視だったそうです。
日露戦争終結でその使命を終えましたが、
その後は無線通信基地や対潜水艦監視基地として使われていました。
今は観光施設、望楼に上がることができ、中の様子も覗き見ることができます。
建っている場所は周辺に何もない吹きっさらしの丘の上。
夏はともかく冬の強風が吹き荒れる時期はどんな様子だったのでしょう。
時代は明治、今のような暖房はない中ここに詰める軍人の生活はどうだったのか。
いくら任務とはいえ過酷だったのでないか。
本当はどうだったかわかりませんが。