水天宮本殿の中に“経度天測標”と“樺太島日露国境天測標”があります。
場所は本殿正面の右側の塀の中、隙間からちらと見ることができます。
1904~5年に発生した日露戦争は1905年9月5日に締結されたポーツマス条約で講和しました。
その結果樺太は北緯50度以南が日本領となりました。
1906年には日本郵船株式会社小樽支店で国境画定会議が行われ、
同年から1908年までオホーツク海から間宮海峡までの測量が実施されました。
その結果、天文緯度50度の通過点に4個の天測国境標石と17基の中間標石が置かれました。
その距離は約130㎞、森林を幅約10mに渡って伐採したそうです。
ここにあるのは中間標石です。
画像は経度天測標ですがこれが国境画定の際、海馬島などの経度を測定する基準点となりました。
中間標石はこの隣にあります。
調べてみると天測国境標石と中間標石は小樽から積み出されたそうです。
ここにある中間標石はその際に作られた予備の標石ということです。
中間標石にはナンバーが付けられていますが、
ここの標石にはナンバーが空白で“第 號”と刻まれています。
日露戦争、ポーツマス条約、樺太など。
小樽は日本史に残る歴史の舞台でもあるのです。