気ままに

大船での気ままな生活日誌

益田一と日本の魚類学展

2013-10-04 09:07:24 | Weblog
箱根登山鉄道の入生田駅前の神奈川県立生命の星・地球博物館で開催されている、”益田一と日本の魚類学展”を観てきた。最近、お魚の展覧会づいている。ちょっと前に、科博で深海展だし、その前は大野麥風展(大日本魚類画集と博物画にみる魚たち)だ。

益田一は、もともと魚類学を専攻していたわけではなく、映画監督になりたくて、慶応大学の文学部に学んだ。結局、映画の道に入らず、バンドマンとなりサックス奏者として活躍されたようだ。しかし、1959年にスキューバダイビングを覚えてから転機が訪れる。はじめは”魚突き”が目的だったが、次第に、魚観察に関心をもつようになり、さらに水中撮影を工夫するなどして、学問的にも貴重な魚類の写真を発表するようになった。新種を発見したり、さらには、画期的な魚類図鑑をいくつも作成するなどした。サックス奏者からスキューバダイビング、そして魚類学者へと華麗なる変身をとげたのだった。

展覧会は撮影可能だったので、写真をまじえながら紹介したいと思う。

1960年代の黎明期の伊豆海洋公園で行われていた、深場の魚の採集場面の再現。ダイバーは10~14リットルのダブルタンクを背負っている。


益田が工夫した水中撮影装置。ニコノス一刀流(笑)と称され、魚の動きの一瞬をすばやく撮ることができた。


数々の業績


マスダオコゼも発見




”魚類図鑑/南日本の沿岸魚”発刊。カラー撮影の魚類、1252種を載せた画期的なもの。それ以前の1935年、岡田らのカラー写真図鑑は魚類の数が少ない。1921年には魚類学の父といわれる田中茂穂(大野麥風の大日本魚類画集の説明文を入れた学者)の”原色日本魚類図鑑”は手書きの絵。


次々と図鑑を発刊。


いい人生でしたね、益田一さん。小田原に住んだ、茶人、益田鈍翁の血筋である。



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