気ままに

大船での気ままな生活日誌

花開く江戸の園芸

2013-08-26 09:26:52 | Weblog
江戸は当時、世界一のグリーン都市だったということを六義園の案内板で知り、驚いたことがある。六義園もそうだったが、当時は大名の上屋敷、下屋敷などが軒を連ね、競って立派な庭園をつくっていたことが大きい。加えて、江戸市民もまた、こうしたグリーン都市形成の下支えをしていたことが、この展覧会を観るとよくわかる。

えど博の”花開く江戸の園芸”展の序章に、英国の植物学者ロバート・フォーチュンの”日本訪問記”や”日本植物誌”が展示されている。その中で、彼は、江戸の園芸熱のすごさに驚き、江戸市民はわが英国より余程、文化的な生活をしているのでは、みたいなことを言っている。世界一の植木屋集中地帯であった染井や巣鴨周辺、また向島などの民間庭園を見学したようだ。もちろん、園芸関係の刷り物や錦絵なども観ていての感想だろう。

ロバート・フォーチュンが驚いたように、現代のぼくも驚いた。

たとえば、染井の植木屋伊兵衛のこと。書物の刊行が武士、僧侶など知識階級のみという時代に、園芸の手引きともいうべき”花壇地錦抄”などを著わした。 同書六巻五冊、ほか多数の園芸書が展示されている。これは、園芸史上、画期的なことらしい。また花屋小右衛門は”ツチアケビと名付ケル”という刷り物を出しているから、”新種”の発見を次々としていたに違いない。おお、すご、江戸の植木屋さん、花屋さん。

植木鉢の普及もこの時代から始まったとのこと。当時の植木鉢が、発掘された破片を含めて、陶器、土器などたくさん展示されている。形は現代とそう変わらない。このことは、庶民が自宅の庭に花を飾る時代になったということで、それだけ園芸花木の需要が爆発的に増加したということである。だから園芸家は、売れる花木をと、品種改良に精を出すようになる。

江戸園芸三花とは?と尋ねられて答えられる人はどれくらいいるだろうか。肥後六花といえば、椿、芍薬、花菖蒲、朝顔、菊、山茶花です。この中の三つですといえば、二つ位は当たるかもしれない。はい、花菖蒲、朝顔、菊の三つです。この品種改良には武士が深く関わっているんだそうだ。おい、おまえ、ほんまに朝顔かと言ってやりたいほどヘンシンした朝顔が、刷り物や錦絵に現れる。フォーチュンさんも実物をみたとしたら、あまりの多様さに腰を抜かしてしまうだろう。

朝顔もそうだけど、他の植物でも、武士は、”奇品”を好んだようだ。自ら、葉の形、斑紋など変わったものを育成したらしい。そのため、簡易温室(室)までつくっている。植物の種類も、万年青をはじめ、松葉蘭、南天、福寿草、長生草など多種多様だ。それらが、錦絵や刷り物で観ることができる。

そして、終章は、園芸文化の明治維新。 明治維新で、江戸文化は様々な分野で破壊されていく。園芸文化も例外ではない。武士が好んだ、斑入りの常緑植物などは消えていき、代わりに洋薔薇がもてはやされる。大名屋敷の庭園もほとんどが新政府の用地として取られ、緑は急速に減っていく。そして、現代の東京は、かっての世界一グリーン都市の面影は全くない。

本文では個々の錦絵などの作品にはほとんど触れませんでしたが、いいものがたくさんあり、楽しめましたよ。常設館の”市民からおくりもの2013”もなかなか面白かったです。これも、9月1日で閉幕。まだの人は急いで下さいね。





この日は、両国駅前の土俵のある居酒屋で昼酒(汗)


もうすぐ、秋場所だ。稀勢の里、初優勝の場所になるから千秋楽の席を取らねば。


下剋上? 稀勢の里はどちら側に入るのか、電話で聞いてみようかな。





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