気ままに

大船での気ままな生活日誌

”浮世絵・忠臣蔵” 神奈川県立歴史博物館

2010-12-18 08:58:48 | Weblog

赤穂浪士の討ち入りの翌日、12月15日に、横浜の、県立歴史博物館で開催中の”浮世絵・忠臣蔵”展をみてきた。見どころ満載、素晴らしい展覧会だった。はじめて知ったのだが、同館には丹波・浮世絵コレクションが約6000点もあるそうだ。コレクターの丹波恒夫氏は雪景色を好み(ぼくもそう)、雪降る場面の多い、仮名手本忠臣蔵の浮世絵を集め始めたようだ。今回の展示は、このコレクションが中心になっている。

第1章、その物語。広重の、大序(初段)から十一段すべて、とくに圧巻の討ち入り場面(十一段)は六図と、ずらりそろい踏みの豪華なものだった。前回、紹介した太田記念美術館では、このうち四つあるだけだった。もともとぼくは広重が好きだから、はじめの、この広重シリーズだけで、もう十分満足してしまった。

そして、豊国、国清(二代)、北斎、国芳ら多くの絵師たちによる各段の場面が次々と現れる。広重も、またこのコーナーでも、各段の、前述のものと違う絵がいくつも出てくる。巻之十二というのもあって、これは、塩治判官(内匠頭)のお墓の前で、高師直(吉良)の洗い首を差し出し、報告する場面もある。豊国(三代)が描いている。

第二章、英雄たちの肖像。ここでは国芳らによる、大星由良之助(内蔵助)を中心に、志士たちの肖像画。四十七士全員集合の、とくに白黒ギザギザ模様の火事装束を身にまとった義士たちの、さまざまな場面での”肖像画”も多数。

第三章、”忠臣蔵”を演じたスター。歌舞伎役者が演じた、名場面の数々。斧定九郎を演じる、市川団十郎。斧定九郎は落語の演目”中村仲蔵”に出てくる。今年、鎌倉芸術館で、小朝の噺を聴いた。仲蔵には斧定九郎の役がふられた。当時のこの役は目立たないもので、いじわるされたようなものだった。ところが、仲蔵、これまでの”斧定九郎”のイメージを一変させ、衣装、所作まで、さまざまな工夫をする。仲蔵の演技に客席は静まり返る、終わってもざわざわしている。その後、斧定九郎は重要な役となり、団十郎が演じるまでになったのだ。

第四章、愉快な”忠臣蔵”。歌麿の”高名美人見立て忠臣蔵十二枚つづき、広重の”見立滑稽忠臣蔵”、国芳は、”見立ててうちん(チョウチン)蔵など、お笑い忠臣蔵の数々。

そして、締めは、第五章、”忠臣蔵”と神奈川。仮名手本では、結構、神奈川が出てくる。大序の鶴岡八幡宮。お軽、勘平の戸塚、以上はフィックションだが、川崎の平間村(現在も地名は駅名として残っている)の軽部家に10日ほど、江戸入り前に大石内蔵助らが宿泊したのは史実である。軽部家のお墓は、ぼくの元実家の近くの多摩丘陵のお寺にある。

とても充実した、忠臣蔵・浮世絵展だった。忠臣蔵だけではなく、また丹波コレクションの展示に注意を払っておこう。

これから、歌舞伎の”仮名手本忠臣蔵”を観に行ってきます(汗)。

。。。。。

広重シリーズ

討ち入りの場面(渓斎英泉)

吉良を討つ場面(広重)

墓前報告の場面(豊国)

大星由良之助(国芳)と斧定九郎(豊原国周)

神奈川関係 早野勘平(戸塚)とおかる(保土ヶ谷) (豊国三代) 四十七市像(川崎称名寺)、軽部家のお墓は別のお寺。

おわりに色っぽい絵(月岡芳年)

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