気ままに

大船での気ままな生活日誌

鳥海青児とその時代/平塚市美術館

2019-08-13 05:54:12 | Weblog

おはようございます。

平塚市美術館に安野光雅展を見に行ったときに、隣りで所蔵品展が開催されていた。鳥海青児とその時代展。ぼくには、あまり馴染みのない画家で、回顧展も見たことがない。でも、美術館の図書コーナー見つけた美術全集では、(ぼくの好きな)岡鹿之助と鳥海青児が組みで一冊になっていた。岡鹿之助と並ぶすごい画家なのだ。

展覧会の紹介文によると、鳥海青児(ちょうかいせいじ、1902-1972)は、平塚を代表する油彩画家であるとのこと。関西大学在学中の1924 年に、春陽会で初入選し、絵画研究のため、1930 年に渡欧、ゴヤ、レンブラントの作品に惹かれた1933 年に帰国し、春陽会会員となる。1943 年に独立美術協会に移り、以降、同会を活動の場とする。はじめフォービスムの影響を受け、自然の重厚さを描く風景画家として出発した。その後、鳥海は、日本のみならず、中国、エジプト、イラン、インド、ペルー、メキシコなど世界各地に取材し、モチーフを静物、人物、建造物、遺跡などに広げる。

戦後は肉筆浮世絵、古裂、仏像、陶磁器など幅広く日本美術の蒐集と研究をはじめる。そして自身の画風も、平面的な単純なフォルムを基調とし、色彩も明るくなってゆく。洋画の日本画化を目指したようだ。

本展の目玉作品は、新たに当館に所蔵された”瀬戸の山”(1941 )である。1939年頃から日本美術に傾倒しはじめ、この作品も平安時代の横たわる仏像をイメージして描いたとのこと。

瀬戸の山(1941)

芦屋風景(1926)とグーベルヌマン広場(1932)

ぼくは重たい前半生の絵より、後半生の方が好きかな。

メキシコの西瓜(1961)

狸穴の森(1954)

鳥海と交友のあった同時代の画家たちの絵。当館所蔵。木村荘八、劉生、萬鉄五郎まで見られたのはうれしい。

木村荘八(ギターを弾く男(鳥海青児))1930

岸田劉生(石垣のある道(鵠沼風景))1921

萬鉄五郎(茅ヶ崎風景)1924

すばらしい展覧会であった。

それでは、みなさん、今日も一日、お元気で!

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