いつかの公開講座で、鎌倉生まれの70歳代の先生が、鎌倉駅周辺の話をしてくれて、新参者のぼくには、へー、そうだったんだと、とても面白く聞かせていただいた。今でこそ、鎌倉生まれというと、誇らしく堂々といえるけど、自分たちが小学校の頃は、はずかしくて、先生に教室で、何処で生まれたの、と聞かれ、東京と答えてしまったそうだ(笑)。
鎌倉は古都とはいえ、幕府が滅びてから、しばらくして寒村となり、漁師さんや農業を営む人達が住民の主流だった。近代に入り、東京のお金持ちさんが、別荘を建てるようになり、また鎌倉文人たちが集まるようになり、その後、高級住宅街となっていったのだ。だから、小学校も、お坊ちゃん組と鎌倉生まれ組とが混在して、なんとなく子供心に引け目を感じていたのだそうだ。
先生が子供の頃、鎌倉駅の西口は裏駅といっていたそうだ。東口も、今のバスターミナルの場所が、当時はがらんとした広場で、そこで子供たちが野球をして遊んでいたそうだ。だから西口は、もっとさびれていて、もうただの出口(爆)に過ぎず、”裏駅”と呼ばれたのだろう。
今の大船駅も、東口と西口では、人出に雲泥の差がある。東口には近在では有名な庶民商店街(笑)、仲通りがあり、連日アメ横のように賑わっている。一方、西口は、すぐ傍に柏尾川が流れ、その向こうには大船観音さまの山があり、発展する余地がない。だから、山の向こうに住宅街や進学校で有名な学校などがあるだけである。
だから、大船の表駅は東口で、西口は裏駅です。ぼくは東口方面に住んでいます。えへん。笠智衆は西口方面に住んでいました。劇作家北条秀司も西口です。フラワーセンターも西口です。人のゆく裏に道あり花の山。ぼくも、西口のマンションの方が良かったかな。
東口仲通り
西口”裏通り” がらーん
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