京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

カラフル地蔵たち

2018年02月23日 05時10分32秒 | 風景
嵯峨野を歩いていて、このお堂が気になった。
よく見ると何とも可愛いお地蔵さんがいた。
思わずカメラを取り出し撮影させてもらう。



地蔵盆の時のメイクだと思うけど、ここのお地蔵さんはカラフル。
近くに美術系の大学があるからなんだろう。
楽しそうに化粧されている。

神仏と人間は、こんな感じの付き合いがいいな。
いっしょに楽しく日常を暮らす。
「お地蔵さん、おはようさん!」
「お地蔵さん、こんにちは」
そんな感じで声を掛ける。



これらのお地蔵さん、嬉しそうに見えませんか?
人間とうまく付き合えている。
こんな感じでいいのです。
教団で大層なお経を唱えたり、お布施がたくさん飛び交ったりしないするのは、これからの時代でないように思う。
宗教でなく信仰でいい。
人間は、何かを信じたいものです。
でも信じる対象との距離間が難しい。



神仏との関係も、人間関係も、同じような距離間がいい。
どのような距離間か?
「温淡」がいいな。
温かく、淡く付き合う。
その逆は、ちょっと辛い。
「熱濃」は、暑苦しいし、長く付き合えない。



若い時、情熱的で突っ走る。
結果、うまく行かない場合が多い。
ほど良い距離間を保つことがいい。



「人」という字は、1がお互いに寄り添っている。
私は、そういうのはいややね。
「1ー1」がいい。
お互いに独立し、適度は距離間を持つ方が風通しがいい。
長続きする関係が保てるかも。


↑お堂の横にこんなのもあった

同じように「愛情」というのもいややね。
なんか嘘っぽい。
「愛情」から「情」を取り去った方がいい。
大きな「愛」で包み込む方がいい。
そんなの「情けない」というかもね。
私は、情けない人間です。
本当の本当は、「愛」というのもなんとなく胡散臭いかも。
人間が発する「愛」エネルギーを餌にする存在だってあるように思う。

「1ー1」→「○」というような感じかな。
なんか、わかったような、わからないような・・・。

◆おまけ

↑この子が現在我が家に居候中の子犬。名前は「もも」という。私は「くろ」と呼んでおります。次女が連れて里帰りなんです。3月には、帰るそうです。

和菓子
クリエーター情報なし
河出書房新社

↑京男の和菓子本が新装版になりました。初版を出版した2013年1月26日時の記事新装版が出版した2018年1月19日の記事をご覧ください。
(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

Twitter→@kyo_otoko
コメント (2)
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