京男雑記帳

洛中で生まれ育った京男が地元視点で見た日常風景や話を雑記的に掲載

憧れ三角?

2017年06月28日 04時19分49秒 | 風景・和菓子
そろそろ夏越祓やね。
もう半年経った。
挨拶に「はやいでんなぁ・・・もう半年経ちました」となります。
そんな時「このぶんでいくと、もうすく死にまんなぁ・・・」と応えてあげてください。会話が弾みますよ。


↑新日吉神宮の茅の輪

私の子供の頃は、冷蔵庫がなかった。
国産の冷蔵庫は昭和30年代ぐらいから一般家庭で使い始めた。
いわゆる三種の神器(さんしゅのじんぎ)の時代。
白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫の三種。
これは、家庭にとって革新的なものでした。


↑千本玉寿軒「氷室」

遠い記憶で、洗濯機にゴムのローラーが付いていて、洗った洗濯物をしぼっていたのを憶えている。
テレビも白黒画面に「月光仮面」のマンモスコングが映っていた。子供心に「ちょっとチャチやな・・・映画の「キングコング」を見ていたからでしょうね。
冷蔵庫は、一番古くからあったように思う。冷蔵庫の中に銅板が貼ってあり、氷屋さんが大きな氷を持ってきて、その氷で冷やすというワイルドなもの。


↑くず、黒こしあん

電気冷蔵庫がなかったから京都市内では、魚といえば塩鯖か鱧、泥鰌・鰻・鯉・鮒だった。外食でも「海鮮丼」や「ローストビーフ丼」なんてなかった。肉といえば「かしわ(鶏肉)」ぐらいなもんでした。
炊飯器なんてのもなかった。夏のお風呂だって庭で盥を出して行水。夜は蚊帳を吊って寝ていた。扇風機もよく考えたら無かったかも・・・。もりろん、電話なんてのも全家庭になかった。ネットも当然ないですよ。
トイレなんかも汲み取り式だった。近隣の農家が汲みに来たはった。肥料にする為です。私は経験ないけど、野菜とかをくれはったそうです。
トイレがあの頃、怖かったものです。
街が暗く、家庭の照明も暗かった。


↑音羽屋「水無月」黒糖外郎、小豆

平安時代ならもっとワイルドでした。
夏は、暑気払いにいいしの人らは、冬の氷を氷室で保存し、出してきて甘葛(あまずら)で甘味をつけて食べていた。
その頃は、砂糖なんてものは日本になかった。蜂蜜はあったと思うけど。


↑紫野源水「水無月」本葛製

清少納言姉さんも『枕草子』でかき氷のうえに甘葛シロップをかけて食べたと書いたはります。
でもそんなことは、宮中の人らで、我々同様の庶民たちは、氷室から氷に甘葛シロップなんてできなかった訳です。
どうしたかというと、三角形(氷を象徴しているらしい)の食べ物をつくって、暑気払いをしたのだそうです。
三角形の冷や奴とか、三角形の大根の漬物、三角形のおむすび、三角形のカマボコ、逆三角形のお兄さんやお姉さん、三角関係で涼をとっておりました。


↑京都鶴屋「水無月」葛

「水無月」という京都固有のお菓子(商標の関係で他府県に広がらなかったらしい)を庶民は食べておりました。
いつから「水無月」ができたのか、ようわかりません。
この「水無月」というお菓子、最近あまり食べたくなくなった。
外郎が嫌なんだろうな・・・田舎臭い感じがするからかも。
本葛の透明感のあるのが最近のトレンドやね。
だから、全面的に憧れでもないお菓子となりました。

和菓子
中村 肇
河出書房新社

↑これから暫くの間、京男の和菓子本のお知らせをさせてもらいます。説明は1月27日の記事をご覧ください。(色のかわっている部分をクリックすると表示されます)

Twitter→@kyo_otoko
コメント (2)
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