名古屋・名駅街暮らし

足の向くまま気の向くままに、季節の移ろいや暮らしのあれこれを綴ります。

映画「剱岳 点の記」を観て

2009年07月25日 | セカンドルーム

映画の一シーン

 

名古屋駅前のピカデリーで映画「剱岳 点の記」を観てきた。
50歳以上の夫婦割引料金を利用すると、3.600円が2.000円で入場できることをはじめて知った。
ずいぶん久し振りの映画鑑賞で、「何時以来だろう」と聞いたら、多分「タイタニック」が最後だとこたえた。

新田次郎の原作は読んでいたので、ストーリーは知っていたが、雄大な山や険しい岩場、野生動物など、大画面ならではの映像は美しかった。
記憶から遠ざかっていた剱岳の厳しい姿を垣間見ることも出来て、もう一度あの大岩壁に取り付いてみたいという思いもわいてきた。

測量士や案内人、山岳会、陸軍参謀本部、山麓の人たちの織りなす人間模様もドラマを盛り上げていた。
特に測量隊と案内人が目標に向かって進んでいく間に、信頼関係と一体感が芽生え、最初の登頂者を譲り合う姿や、先陣を争っていた山岳会も、目的は違うが剱岳登頂の困難さを知る山男として、測量隊の偉業を称える姿に感動した。
前人未到の山にまつわる初登頂や開山にについては、諸説が入り混じって興味が尽きないが、槍ヶ岳を開山した播隆上人も山頂で石仏を見つけたといわれるし、笠が岳も円空以前の痕跡があったと言われているので、測量隊が剱岳山頂で錫杖を見つけても不思議なことではない。
「雪を背負って登り、雪を背負って降りよ」という山中で出会った行者の言葉に導かれ、険しい雪渓を登り、垂直の大岩壁を攀じ登って、遂に山頂に三角点を設置した。
今も剱岳の山域には、案内人の宇治長次郎の名を冠して「長次郎谷」と呼ばれる急峻な谷がある。
剱岳の三角点は重い機材を運び上げることが出来ず、4等三角点のために、「点の記」に測量士柴崎芳太郎の名が記されることは無かった。
剱岳の登頂は名誉のためではなく、世のために役立つ仕事をするという、柴崎の生き様をそこに見ることが出来る。

人があまり登らない山の頂で、苔むした三角点の石柱を見つけたり、人工物に押しやられて半ば埋没しているような三角点もあるが、先人の苦労を知れば決してないがしろにする事は出来ない。

コメント (4)
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