ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

「絆」に頼る危険性:もっとも社会的に弱い人が、もっとも排除されやすい

2014年10月15日 01時11分30秒 | 障害者の自立

絆が作られないどころか、もともとの絆が破壊されるようなケースも珍しくなかった。

被災前の近隣住民が丸ごと引っ越したような地域でも、仮設住宅の環境の劣悪さが従来の親密な関係を破壊してしまうという問題が起きていた。避難所で助け合って築いた関係性や、もともとの地縁的なつながりに、仮設住宅への入居後に亀裂が走るというケースだ。

たとえば、仮設住宅の構造的な問題が、親しかったはずの近隣の住民との関係を窮屈なものにしていた。仮設住宅は建物が密集しすぎていて、棟と棟の間が非常に近い。窓を開ければすぐに隣の棟の玄関があるから、気軽に窓を開けることも難しい。音が響くため、深夜遅く風呂に入ることすらままならない。隣の家のいびきも漏れてきて、精神的に追い詰められてしまうという声も聞かれた。隣の生活音に文句をいうわけにもいかず、我慢を続ける中で体調を悪化させた被災者もいた。

いくらもともと仲の良い人たちであるとはいえ、距離が近すぎれば逆に負担になる。仮設住宅においてもてはやされた「絆」は、こうした住民たちの生活の困難を背景に、彼らを支援するための制度の不在を埋めるかのように、広がっていった

(中略)こうした無闇に繰り返される「絆」に疲れ、自治会やイベントに参加することができなくなり、孤立を深める住民もいた。だがイベントに参加している住民たちの目には、彼らは「絆」を大事にしない自分勝手な住民に映っていた。こうして、仮設住宅のなかで新たな分断が生まれるようになっていた。

こうした分断が、より敵対的な関係に変容する事例もあった。ここでも思い起こしてほしいのが、Bさんの母親のケースだ。重病を抱えていた彼女は、仮設住宅に住んでいながら、近隣住民と支えあうどころか、ごみも出せないと非難を受けていた。病気で動けず、支援を必要としていたBさんの母親は、仮設住宅で除け者にされ、敵視されていた。

文句だけで空回りする「絆」が、「自立」できない被災者を除け者にする敵対性と結びついたとき、それは社会保障を受けさせないための圧力となってしまう

「絆」、つまるところ「民間の支え合い」というのはすばらしいものです。が、基本的な力学として「もっとも社会的に弱い人が、もっとも排除されやすい」ものであることにも注意が必要です。「ゴミを出せないくらい弱っている重病人」が、実際に仮設住宅において排除されていた、という話は象徴的です。

民間の支え合いというのは、「わかりにくい困難を抱える人」「近寄りがたい人」を排除してしまいがちです。たとえばアルコール依存症、薬物依存症、各種の精神疾患に苦しむ方々が地域社会から排除されてしまう、というのはよく聞く話です。

より身近なところでは、うつ病で苦しんでいる人を「頑張れ!本気を出せ!俺たちは同じ会社の一員じゃないか!」と「よかれと思って」叱咤激励するような絆たっぷりの職場も、同種の排除メカニズムを持っているといえるでしょう。

基本的に、顔が見える関係性というのは「危ない」んです。助けを求める側はリスクを覚悟で自分をさらけ出さなくてはいけませんし、助ける側も何らかの負担を背負うことになります。「絆」は美しいものですが、根深い問題に対する対処法にはなりにくいものです。

ひねくれ者のようでアレですが、絆という言葉に対しては斜に構える必要があるといえるでしょう。「絆」があればすべてオッケー!みたいな態度は論外です。むしろ絆に頼る場合は、新しい問題が発生しうる、と考えるべきです。地域社会でも、学校でも、家族でも、会社でもそれは同じだと思います。

被災地の課題を切り取った良著です。被災地の問題にかぎらず、社会的な課題の解決に関心がある方はぜひ。

もう少し思い切っていうのなら、「ブラック企業」とほとんど同じような構図が、被災地には横たわっている。

「絆」や「日本は一つ」というスローガンの陰で、被災者の間には「分断」が生まれていた。行政職員の削減の中で生活困窮世帯まで行き届かない支援。

赤紙(建物の応急危険度判定での「危険」の表示)の貼られた家の中で耐え抜いていた世帯もあった。障害者や認知症のお年寄りを抱えた世帯は、避難所にも仮設住宅にも行けずに放置された。彼らは介護保険制度すら利用できていなかった。

また、生活基盤を奪われたままに無理な条件での自立が求められ、いつまでも自立できない住民に対しては、次第に「絆」ではなく、「甘えだ」などの非難と攻撃が牙を剝くことになった

 


持てる力 発揮ゴール アクアスロン皆生大会

2014年10月15日 01時04分32秒 | 障害者の自立

 障害者・児による水泳とマラソンの複合競技大会「第8回全日本チャレンジドアクアスロン皆生大会」(同実行委主催)が12日、鳥取県米子市のどらドラパーク米子水泳競技場と米子陸上競技場周辺で開かれた。県内外の選手81人が熱い声援を受けながらゴールテープを目指した。

 障害者が自分の力を最大限に発揮し、地域で暮らすことへの自信を持つことなどを目的として開かれている。今年はキッズ、チャレンジ、スペシャル、チャンピオンの4コースに鳥取、島根両県と兵庫県、福岡県の6~70歳が出場。約400人のスタッフが運営に協力した。

 水泳25メートル、ランニング500メートルのキッズコースには10人が出場。パートナーの声援や補助を受けながら奮闘し、最後は笑顔でフィニッシュしていた。

 キッズコースで優勝した米本直倖君(10)=県立米子養護5年=は「疲れたけどうれしい」と笑顔。パートナーとして一緒に走った鳥取大学医学部保健学科4年の川本洸さん(22)は「とても楽しくて、ゴールしたときは本当にうれしかった。参加して良かったです」と話していた。

笑顔でパートナー(左)とゴールするキッズコースの出場者=12日、米子市のどらドラパーク米子陸上競技

2014年10月13日     日本海新聞


原因は2パターン? 「過呼吸」になった時の対処方法とは

2014年10月15日 01時02分07秒 | 障害者の自立

こんにちは。メンタルフリーライターの木田あゆみです。

今回は、過呼吸についてお話をします。過呼吸はなりやすい人、なりにくい人それぞれですが、心療内科の先生のお話によると、心理的なストレスや呼吸の激しい運動でも起こることがあるそうです。

●もし過呼吸になったらどうすればいいの?

心療内科の先生のお話によれば、『昔はペーパーバック法と言って、紙袋を軽く隙間が空くように口と鼻に当て、呼吸をするといいとされていましたが、今では口をすぼめてゆっくり呼吸すると良い』とされているそうです。

ただ、過呼吸が運動などの一過性のものであれば上記の応急処置でもいいのですが、心理的なストレスが原因の場合、何度も過呼吸に苦しめられることもあります。そんなときは心療内科に受診して、正しい過呼吸への対処方法を知ることが必要になります。

●過呼吸を放置したらどうなるの?

過呼吸は苦しくなると、指や手のしびれなども引き起こすこともあり、意識が朦朧とすることもあるので、油断は禁物です。普段から過呼吸で悩まれている方は、心理的なストレスが原因のことも考えられます。

私も以前、過呼吸で苦しんでいたことがありましたが、原因は仕事のストレスだったようです。結局転職して安定剤の服用で収まるようになりました。過呼吸に限らず、さまざまな心身症は精神疾患の入り口になる可能性がありますので、過呼吸で苦しんでいる方は早めの通院をお勧めします。

過呼吸自体はさほど怖い心身症ではないのですが、悩んでいる方は十分気を付けるようにしたいですね。

(ライタープロフィール)
木田あゆみ(メンタルフリーライター)/地方でフリーライターをやっています。精神障害者当事者でもあり、セクシャルマイノリティやセーフティネットの問題にも取り組んでいます。当事者目線での記事が好評で、数年前に出版したセーフティネットの電子書籍は2000ダウンロードされた実績があります。また、紙媒体でも通常のフリーライターとして活躍していた実績もあり、どのような記事でも書けるのが強みです。一方で、ボランティア活動にも取り組んでおり、主にLGBTについての活動を中心に地方で頑張っています。雑食ライターなので、どのような仕事でも条件が合えば請け負います。

2014年10月13日 19時00分    日刊アメーバニュース