ゴエモンのつぶやき

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福祉避難所:北九州市と福祉事業協会が協定 自然災害時に高齢者ら受け入れ /福岡

2010年12月31日 01時23分24秒 | 障害者の自立
 自然災害に備え、北九州市と北九州高齢者福祉事業協会(渡辺正孝会長)は、特別養護老人ホームなどに高齢者や障害者を受け入れる福祉避難所の設置に関する協力協定を締結した。【仙石恭】
 災害時に避難所として利用される小中学校や市民センターなどでの生活が困難な高齢者や障害者が対象で、施設の空きスペースを活用する。
 市は9月、協会加盟の67施設のうち土砂災害などが起きる可能性が低い48施設と協定を結んだが、取りまとめ役の協会との締結で、協力関係はより強固となった。
 締結式で、渡辺会長は「行政でできない部分の一翼を担うようしっかりやりたい」とあいさつ。北橋健治市長は「官の力では限度があり、お力添えいただければと思う」と述べた。

毎日新聞 2010年12月30日 地方版
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心身合併症:救急1日4カ所確保へ 東京都11年度から

2010年12月31日 01時16分16秒 | 障害者の自立
 身体疾患を発症した精神障害者の救急搬送が難航している問題で、東京都は11年度から、心と体の合併症の救急患者を受け入れる病院を1日4カ所確保する事業を始める。都内では「心身合併症」患者の救急搬送困難例が1日平均5件起きており、受け入れ態勢の充実が必要と判断した。厚生労働省によると、こうした患者の受け入れ拠点を本格的に設ける事業は全国で都が初めてという.
 都によると、心身合併症患者の受け入れが難航している背景には、精神科医がいない救急病院が多く、心と体の両方を治療できる体制が整っていないことがある。今回の事業で救急病院への精神科医の確保を促す。
 都は心身合併症を含めた搬送困難例を解消するため、病院間で受け入れを調整する「東京ルール」を昨年8月からスタートさせた。しかし、救急隊が受け入れ先の2次救急医療機関を見つけるまで20分以上かかるか、5カ所以上断られた「選定困難事案」の中で、精神疾患か薬物中毒(大半は過量服薬による自殺未遂)は今年10月まで計1766件に上り、全体の12%を占めた。
 ルールが適用されて、いったん医療機関に搬送されて応急処置を受けても、その後に身体疾患を専門的に治療する病院が見つからないケースも多い。東京消防庁の担当者は「精神症状が落ち着いていても、精神の患者というだけで病院に敬遠されることが相次いでいる」と説明する。
 都が始める事業は、心身合併症の救急患者を受け入れる医療機関を指定して補助金を出す。具体的には、内科や外科などの一般診療科がある病院1カ所を「拠点病院」に指定。常勤の精神科医を1年を通じて配置し、毎日1床以上を確保して搬送困難者2人を受け入れる。さらに原則1日1人を受け入れる「支援病院」を都内に毎日3カ所用意する。支援病院は輪番制も検討する。
 都は11年度予算原案に事業費7244万円を盛り込んだ。
 厚労省も同様の受け皿を整備する事業の後押しを始めた。これまでは救急の心身合併症患者を精神科病院が受け入れた場合、国の補助対象にしてきた。しかし、今年4月から主な補助対象を内科や外科などの身体疾患も診られる総合病院に変更。すでに静岡県と香川県がこの補助金を使って受け皿の確保を進めており、都も利用する見込み。

毎日新聞 2010年12月30日 11時01分
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追跡・累犯:2人殺害、49歳死刑囚 自動車盗繰り返し服役8回

2010年12月31日 01時11分29秒 | 障害者の自立
 ◇遠い福祉、凶行防げず 知的障害、更生施設にも限界  茨城県で5年前、女性2人を相次いで殺害したとして死刑を言い渡された男の最高裁判決が12月1日、確定した。知的障害を抱えていたが支援の網から抜け落ち、盗みなどで刑務所と社会を行き来した末の犯行だった。判決は犯罪を重ねた点も重視し、「犯罪性向は深刻かつ強固。知能の低さや成育歴の劣悪さを過度に評価することは相当でない」と極刑を選択した。再犯を防ぐ手だてはなかったのか。男の歩みをたどった。
 「お金に困って」「被害者に申し訳ない」。10~12月、東京拘置所で藤崎宗司(そうじ)死刑囚(49)と3度面会した。記者は発生当時、この事件を取材していた。
 藤崎死刑囚はスナックなどの飲食代の支払いに困り、強盗殺人を計画。05年1月18日、茨城県鉾田町(現鉾田市)で1人暮らしの女性(当時75歳)方に侵入し、絞殺して現金7万円余を奪い、10日後にも同町内の1人暮らしの女性(同79歳)方に侵入し、絞殺するなどした。
 事件からもうすぐ6年。アクリル板越しに見える藤崎死刑囚はぼんやりとした表情で、声は消え入りそうだ。再犯の理由を問うと、口ごもった後、唐突に「酒やめます」。死刑には「がっかり。借金返せなくなるから」と答えた。
 藤崎死刑囚は畑が広がる鉾田町で生まれ育った。中学もほとんど行っていない。卒業後、実家の農作業手伝いなどをしていたが、20歳から8度、刑務所に入った。他人の軽トラックを乗り回し、燃料が切れると放置する。近所の60代の男性は「宗司の姿を見ないと『今度は何で(刑務所)入ったんだ』とうわさになった。気は小さい男だった」と言う。
 逮捕時の簡易鑑定で中程度の知的障害とされ、20代のころの裁判では、刑事責任が減軽される心神耗弱と認められたこともあった。刑務所の知能テストでも小2以下の知的障害と診断された。だが、障害者福祉制度へつなぐ療育手帳を取得させた人はいない。両親は死別し、兄弟も障害のハンディを抱え、とても支援できる状況ではなかった。
 99年に刑務所を仮出所した際、自立・就労のため一時的に受け入れる関西の更生保護施設に入った。だが、すぐに罪を犯して刑務所へ逆戻り。この施設の現在の責任者は「障害への配慮はするが、専門施設ではないから限界がある」と語る。
 つながりかけた更生保護との縁も切れ、02年に満期出所した時は、何の支えもないまま実家に戻った。近所の紹介で草刈り作業のほか、漬物工場の住み込み従業員として大根抜きをした。動作は鈍く、日当2000円程度。それでも刑務所で字を覚え、他人に頼らず暮らした。
 そのうち、スナック通いの楽しみを覚える。焼酎を飲み、カラオケで因幡晃の「わかって下さい」を歌う。乾燥芋を手土産に持ってきたこともあった。行きつけの店のママは「寂しくて、構ってほしいんだな」と思ったという。飲み代のつけが重なり来店を断った。ほどなく凶行に走る。事件直後、明け方にもかかわらずママの自宅を訪ね、奪った金でつけを払った。
 藤崎死刑囚の存在は民生委員の間でも知られていた。だが、ある元委員は「おとなしいし、泥棒程度だったので、福祉施設へのあっせんなどは考えなかった」と明かす。
 死刑囚が20代のころ、保護司としてかかわった男性(82)がいた。「無力感がすごくある」とうなだれ、「更生保護施設はIQ(知能指数)が低い再犯者はなかなか受けないし、保護司は担当期間が過ぎるとタッチできない。彼のような人間は刑務所しか受け入れられない。それでいいのだろうか」と語った。
 被害者の弟(76)に会った。「2人もやったのだから命で償うのはやむを得ない」と言いつつも、「藤崎という人は生活するのもやっとの状態。親身に面倒見る人がいれば、とも思う」。
 あるじを失った死刑囚の家は今、竹やぶの中で雑草に覆われ、廃屋になっている。
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 ◆死刑判決が確定するまでの経過(取材に基づく)◆
1961年 8月   茨城県鉾田町(現鉾田市)で生まれる
   中学卒業後   地元で土木作業員や農業手伝い
  80年      自動車盗(窃盗)で中等少年院送致
  82年 8月   自動車盗と強姦(ごうかん)致傷で懲役2年
           公判で心神耗弱認定
  85年 3月   自動車盗に問われ、公判で心神耗弱認定
  86~87年ごろ 同罪で服役
  88~89年ごろ 同罪で服役
  90年      同罪で服役
  94年 3月   自動車盗の常習累犯窃盗で懲役2年2月
  96年 4月   刑期終了
     12月   同罪で懲役2年6月
  99年 3月   仮釈放後、関西の更生保護施設へ
      4月   自動車盗の常習累犯窃盗で仮釈放取り消し
      8月   同罪で懲役3年
  02年10月   8回目の刑期終了。実家に戻る
  05年 1月   女性強殺容疑などで逮捕
  10年12月   最高裁で死刑判決確定

毎日新聞 2010年12月30日 東京朝刊
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要援護者の異変、地域でキャッチ 舞鶴の3地区

2010年12月31日 01時03分34秒 | 障害者の自立
 舞鶴市南東部の森、行永、与保呂地区で、独居老人や障害者などを見守り、日常生活での異変の兆候をキャッチする地域福祉活動「あんしんネットワーク」が進んでいる。住民同士がきずなを深め、「互いに気遣う地域」を目指し、活動の輪を広げている。

 孤独死や災害時の救助が遅れる一因として、独居老人などの個人情報を住民間で共有できないことが全国的に課題となっている。人口1万6千人余りの同エリアでは2007年から、民生児童委員や自治会が、高齢者や障害者など要援護者の名簿を共有して支援に生かす取り組み「緊急・災害時SOSサポート」を始めた。それを日常生活面へと発展させて、今年10月に「あんしんネットワーク」組織を発足させた。

 ネットワーク会員に登録した住民は、郵便受けに新聞がたまっていたり、屋内の照明が点灯したままになっているなど近所で異変の兆しを感じたら、民生児童委員や関係機関に連絡する。これまで150人以上が登録し、会員ステッカーを、自宅玄関に張っている。

 ネットワーク発足メンバーで森民生児童委員協議会会長の村尾幸作さん(71)は「地域を一つの家族と見なし、会員の輪を広げたい」と話している。

要援護者の異変、地域でキャッチ 舞鶴の3地区

京都新聞
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原田真二さんコンサート 音楽で障害者と触れ合う 世田谷のNPO来月29日に開催 運営資金集めも

2010年12月31日 00時57分33秒 | 障害者の自立
 障害児・者の放課後や余暇時間の支援をするNPO法人・わんぱくクラブ育成会(世田谷区若林)は来年一月二十九日、運営資金を集めるため、原田真二さんのアコースティックコンサートを区民会館(同区世田谷)で開く。障害児と家族が音楽を楽しみ、障害者と関わりのなかった観客が障害者と触れ合い、NPO法人の活動をPRする機会にもする。 (松村裕子)
 NPO法人は二〇〇〇年、障害児の多い学童クラブを運営していた父母らが設立。現在は区内二カ所で障害児が放課後を過ごす「わんぱくクラブ」と、学校を卒業した障害者が仕事帰りにひとときを過ごす「ひかり」を運営する。ひかりには障害者が週一回集まり、卓球やカラオケ、夕食作りなどを楽しみ、仲間づくりやリラックスの場となっている。
 子どもの成長に伴い、ひかりの利用者は年々増え、現在は三十六歳までの四十四人。学童クラブと異なり区の補助がなく、毎年、コンサートを開いて資金を稼いでいる。
 原田さんは「キャンディ」や「シャドー・ボクサー」などのヒット曲があるシンガー・ソングライター。人気の曲を披露するほか、アンコール代わりに、舞台に上がったわんぱくクラブやひかりの利用者、会場の観客らと一緒に歌う。
 演奏中、障害児が声を発したり、動いたりするのは出演者らは了解済み。普段コンサートには行きにくい障害者と家族が、安価で気楽に生の音楽を楽しめるという。
 利用者の親で実行委員長の中島基子さん(52)は「例年、歌手のファンにも一体感が味わえ心が温かくなったと好評。あまり知られていない会の活動も知ってほしい」と多くの来場を呼び掛ける。
 午後三時から。三千円。問い合わせは、同育成会=電03(6450)8229=へ。
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