ゴエモンのつぶやき

日頃思ったこと、世の中の矛盾を語ろう(*^_^*)

被災障害児に思い出を 田野畑の福祉事業所

2011年08月05日 01時07分36秒 | 障害者の自立
 田野畑村菅窪の福祉事業所ハックの家(竹下敦子施設長)で、障害のある子どもたちが夏休みの楽しい思い出をつくっている。NPO法人ふわり(本部愛知県、戸枝陽基理事長)を主体に被災した子どもらを受け入れ、憩いの場を提供。全国から駆け付けたボランティアが世話役を務め、仮設住宅などで慣れない生活を送り心労が重なる保護者らの負担軽減に一役買っている。

 受け入れ登録しているのは野田村から山田町までの発達や知的など障害のある児童ら約20人。勉強、ゲーム、水遊び…。3日は7人の子どもたちがボランティアと楽しい時間を過ごし、食事も共にした。

 受け入れは1日から始め、約1カ月間を予定。車2台でそれぞれの自宅からハックの家まで送迎している。8日には歌のイベントで盛り上がる。

 ふわりの事務局長でNPO法人ゆうゆう(本部北海道)の理事長大原裕介さん(31)によると、ニーズが想定の2倍あり、断らざるを得ないケースもあった。

 大原さんは「家族でいい思い出をつくってもらいたい」と運営にひた走り、竹下施設長は「帰りたくないという子もいて、やっていてうれしい」と温かい目で見守っている。

岩手日報

東日本大震災:香取市が災害復興会議 7カ年の計画作る考え示す /千葉

2011年08月05日 00時59分24秒 | 障害者の自立
 香取市は、東日本大震災の復興計画の推進に向け、専門家や関係団体らの意見を募る「災害復興会議」の初会合を3日、市役所で開いた。

 委員は、有識者のほか産業、福祉などの団体、国や県の関係者、市民ら17人で構成する。八木貴弘副市長は、時間がたち新たな課題も現れているとし、「さまざまな英知が必要とされている。協力をお願いしたい」と述べた。議長の岸井隆幸日大教授は「行政を奮い立たせるため、きたんのない意見をいただきたい」と呼びかけた。

 この後、市側が被害状況や課題を説明。その上で、市民生活、地域経済・産業、都市基盤の再生と災害に強いまちづくりを基本目標に、7カ年の計画を作る考えを示した。委員からは「障害者や1人暮らし高齢者の支援なども盛り込みたい」「市の情報提供が遅かった」といった意見などが出た。

 計画は年末に完成予定で、会議は今後2回開く。

毎日新聞 2011年8月4日 地方版


特集ワイド:この夏に会いたい/1 歌手・坂本九さん

2011年08月05日 00時51分01秒 | 障害者の自立
 ◆歌手 坂本九さん(1985年死去、享年43)

 ◇上を向いて歩こう 心つなぎ合わせて
 ♪上を向いて歩こう 涙がこぼれないように……。

 誕生してちょうど50年になる歌が、マグニチュード9・0の巨大地震によじれ、大津波にのまれ、レベル7の原発クライシスの続く列島に流れている。「上を向いて歩こう」。これこそが日本人の希望の歌なのか? でも、歌い手は1985年夏、日航機事故で帰らぬ人となった。坂本九さん、享年43。ニキビだらけの、あの笑顔に会いたい。

 そう願っていたら、封切られたばかりのスタジオジブリのアニメ映画「コクリコ坂から」のポスターに目が止まった。コピーが添えてある。<上を向いて歩こう>。夏休みで子どもだらけの映画館に入った。東京オリンピック前夜のミナト横浜を舞台にした少女と少年の淡く、切ない恋の物語。お茶の間の白黒テレビに「上を向いて歩こう」を歌う九ちゃんがいた。高度経済成長の明るさ、そしてピュアな若者の反発--時代は真っすぐだった。

 キャンペーンで東北の被災地にも足を延ばしてきた監督の宮崎吾朗さん(44)に六本木の喫茶店でインタビューする。九ちゃんに会いたいですか? 「ええ、聞いてみたいなあ。『上を向いて歩こう』は19歳で歌ったんでしょ。どんな思いだったかって。もともと宮崎駿のシナリオでは九さんの『見上げてごらん夜の星を』でした。でも、プロデューサーの鈴木敏夫が、あのころの少年にとって九さんの歌は『上を向いて歩こう』しかないよって。男の子が泣いちゃだめだって自分に言い聞かせている感じがいい。いじらしくて」

 新進監督の吾朗さん、たばこの煙をくゆらせ、ぽつんとこぼした。「小中学生のころかなあ。僕が涙がこぼれないように歩いていたのは。宮崎駿の息子だ、息子だって言われてね」。そして煙を吐き出し、3・11を経た新しい映画づくりへ思いをはせる。「父はなんとか戦争を知っている世代でした。でも、僕らは何もなかった。大きなイベントしかない。大学2年でバブルが崩壊したのかなあ。何もない。そこにこの震災。スーパーヒーローの大活躍はもういい。ファンタジーも違う気がする。舞台がどうであれ、普通の人を描きたい。そんな気持ちですね」

    ■

 「上を向いて歩こう」を作詞したころ、永六輔さん(78)は60年安保闘争の挫折のなかにあった。デモに明け暮れたが、政治を変えることはできなかった。♪涙がこぼれないように……永六輔の悔しさがにじむ、とも評された。ラジオの収録がすんだ赤坂はTBSでインタビューする。「弱ったなあ、僕のところに来られても。歌はメロディーなんです。僕は中村八大さんの曲にジグソーパズルみたいに言葉をはめこんだだけなの。九とはうまくいってなかった。だって、♪ウヘホムフイテ、アハルコフホフホフホフって妙な節回しでしょ。まあ、それはそれでいいんだけど。彼は保守の体質で、理想の家庭人、常識人になっていく。僕は正反対だし。2人の間に砂利が入っているような」

 その砂利、まだ消えません? 「つい先日、奥さんの柏木由紀子さんにばったり出会ったの。九とぎくしゃくしていたから、彼女ともぎこちなかった。僕にツンとしててね。それがなくなっていた。彼女は夫を亡くし、僕も女房を亡くしたのが関係しているのかもわからないですね。とっても優しかったの。九は努力していた。北海道だけで放送されていたテレビ番組『サンデー九』は9年も続き、地道に障害者問題に取り組んでいました。ずいぶん視野も広がっていた。この震災、もし九がいれば、すぐさま被災地に駆けつけ、手助けしたでしょうね」

 そういえば、震災後、河合塾が「復興と学び応援プロジェクト」として、全国の大学教員から中高生向け「学問のススメ」を募っていた。京大人文研准教授で音楽学者の岡田暁生さん(51)は「上を向いて歩こう」をリレーで歌ったサントリーのCMを取り上げた。<どんな政治家の言葉よりも、よほど「生きている意味」について確かな物語を与えてくれる>。どんな物語? 岡田さんは言った。「われわれの社会は頑張る物語しか持ち得ていない。でも、放射能が降り注ぐ。明日どうなるかわからない。諦念、大いなる畏れが『上を向いて歩こう』にはあった。だから心に響いた。こうした状況で、聴くに堪えるのは本物のみ。ガラクタは消えていくんです」

 再び永さん。「いろいろ解釈されてもねえ。繰り返しますよ。谷川俊太郎は『鉄腕アトム』ですら詞が先行してるの。僕のは曲が先行! いくら評価されたって、僕は逃げるしかないんだなあ。ヘヘヘ」。照れ屋のジグソーパズル氏は九ちゃんの評伝を書いている。「六・八・九の九」(中央公論社)。「上を向いて歩こう」が世に出た1961年の前後数年、重要ニュースを箇条書きしている。読みながら、気付いた。第五福竜丸事件から東海村の原子力発電所発足へ、九ちゃんデビューのころは、わが国の原子力時代の幕開けでもあったのである。「ああ、ホント、そうだった」

    ■

 さて、九ちゃんに会う旅も締めくくり。神奈川県茅ケ崎にある焼き鳥屋「鳥仁」に九ちゃんの兄、坂本照明さん(76)といる。九ちゃんはその名の通り、9人兄弟の末っ子。照明さんは6番目。「あいつの歌、少しは役立ってるんですかね。おっちょこちょいなところもあるんですが、真っ先に東北に飛び、歌ってるはずです。心をつなぎあわせるのが一番すごいことだ、なんて言って」。古い写真を手に思い出語りは続く。

 「昔、川崎の自宅近くに映画館があって、九は兄に連れられ、毎日のように通っていた。飽きずに見ていたのはスクリーンでなく、観客。まだまだ貧しかった時代、労働者や夜間中学の学生らがいてね。泣いたり笑ったり、その表情をじっと。九の歌で感動してもらえるとしたら、あのころの九が歌に染み込んでいるからかもしれません」

 ふと見ると、九ちゃんが焼き鳥を焼いている。まぎれもなくニキビ面の笑顔の九ちゃん! 永さん、おっしゃっていた。うわさをしているうちは生きているから、ひょっこり……。「いえ、いえ。彼は九の姉の息子。そっくりでね。アハハ」。♪悲しみは星のかげに……。違った。♪悲しみは煙のかげに……。九ちゃんのいたずらっぽい歌声が聞こえてきたようだった。

 ■人物略歴

 ◇さかもと・きゅう
 1941年、川崎市生まれ。少年時代、エルビス・プレスリーにあこがれる。「上を向いて歩こう」は「スキヤキ」と改題され、全米ナンバーワンにもなった。

毎日新聞 2011年8月4日 東京夕刊


臼杵市:津波災害時の避難用リヤカーと乳母車、購入補助へ /大分

2011年08月05日 00時46分55秒 | 障害者の自立
 臼杵市は津波災害時の住民避難のため、幼児や高齢者ら「避難弱者」を搬送するリヤカーと大型乳母車の購入補助制度を創設する。大分市などは自主防災組織に資機材購入費を補助するが、臼杵市は補助対象を病院や障害者支援施設、幼保育所にも拡大する。

 同市は東日本大震災後、10メートルを超す津波を想定した防災計画を策定中。海抜10メートル以下の地域に病院45、介護施設23、障害者支援施設9、幼保育所12があり、自主防災組織を含む計172組織・施設が補助対象になる。

 市が想定するリヤカーと乳母車は、軽量アルミ製で幅80センチ、長さ1・2メートル。折り畳みも可能。1台約16万円で半額補助(2台まで)する。中野五郎市長は「大地震が起きれば、20~30分で津波が来かねない。要援護者をいち早く避難させる役に立てて」と言う。

 9月定例市議会に100台分800万円の予算案を提案する。

毎日新聞 2011年8月4日 地方版


手話スピーチ発表会:手話で表現--桂川町 /福岡

2011年08月05日 00時42分09秒 | 障害者の自立
 手話スピーチの発表会がこのほど、桂川町土居の町住民センターであり、嘉飯山地区(飯塚・嘉麻市、桂川町)で手話を学ぶ人ら8組10人が日ごろの成果を発表した。

 同地区のろう者・手話の会でつくる実行委員会の主催で18回目。聴覚障害者だけでなく、知的・精神・身体障害者や手話を学ぶ健常者も参加した。

 聴覚障害がある三浦光さんは高校時代、和太鼓部に入ったエピソードを紹介。「音は聞こえないけれど、太鼓をたたくと振動が体に伝わり心地よい」。現在の仕事にも触れ「会社に手話通訳してくれる人がいたら友達がもっと増えるかなと思います」と結んだ。

 また粟生譲介さんは、ろう者との交流を振り返り「ろう者は耳が聞こえない代わりに、目で他人の心を読み取る力がある。私が落ち込んでいたとき、何も言わずに適切な対応をしてくれた」と大きな手振りで発表した。

 表現力豊かで熱のこもった手話に多くの人が引き込まれていた。

〔筑豊版〕毎日新聞 2011年8月4日 地方版