アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

理想の先生の条件!?

2014年02月25日 | ピアノ
とりあえず、考えているのはピアノの先生のこと(ピアノでなくても話は似ていると思うけれど)。

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理想のピアノの先生の条件というものを勝手に並べるならば:
・ピアノを弾くことについて、および音楽そのものについて造詣が深く
・かつ、それを伝える技術において優れていて
・なにより、お人柄が私の好みであること(^^;;

という感じでしょうか。いやほんと、好き勝手いってますが。何様~

でも、大人再開ピアノ(こじろうが個人レッスンに移ると同時に習い始めた)のときの先生って、まさにそんな先生だったと思うんです。

弱小ヤマハ教室で、この曜日この時間、といって指定しただけで出てきた先生として、アリエナイこの恵まれた出会い。

弱小ヤマハ教室にもピアノの先生はあまたあれど、この先生を越える人は見渡す限りいませんでした(単純に、演奏技術を比べてもね)。

この先生には、八年間習いました。

なにしろ、子どものころには、バイエルとブルグミュラー25番を終えただけの、しかもそれをツマラナク弾くことしかしなかった私に、最低限、「大人ピアノ」が楽しめるピアノの技術と表現の基本を教えてくれたのだからすごいことです。しかも、私は基礎練習一切せず、単に次々弾きたい曲を持っていくだけだったのに。

でも、八年目のときには、先生も、私も、お互いに、「なんかこのままではいかん」という悶々としたものを抱えていたと思います。何がいけないんだろう…

結局、私は、ヤマハ教室を辞め、Mixi経由でいろんなピアノサークルへ、さすらいの旅に出たわけですが。

この「旅」は、当たりだったと思います。ピアノがもっとずっと楽しくなったし、それにうまくもなったみたい(Shigさんと、スケルツオさんが言ったんだから間違いないよ!!)

先生に何か欠点があったからではない、説明しにくい体験を、なんといったらいいか…

と思っていたところ、今日、電車の中で読んできた本「街場のマンガ論」(内田樹)。(*)
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「正しいプログラムへの居着き」は間違っていない(「正しい」に決まっている)。けれども、そこに居着いては技術の向上が停止する。
「正しいこと」を「正しいから止める」ということは論理的には人間にはできない。そこで、「同じ一つの正しいことを別の言葉で言う二人の師」が要請される。
彼らは「同じ一つの正しいこと」を教えるのだが、使う言葉が違う。言い方が違う。それゆえ、教えられる方は「だから、何が言いたいんですか?」と困惑する。
けれども、これは困惑してよいのである。(中略) このような揺らぎに身を委ねるとき、私たちは「正しさへの居着き」から解き放たれる。
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ヤマハを辞めてから、ヨーコ先生、しぶかう先生、中川P先生と複数の先生にレッスンを受ける機会があったこと、あと、特に大きな影響を受けたと思うのが、akira先生の公開レッスン。それから、お金は払ってないけれど(^^;; オショーズにミニレッスン受けたり、あと、レッスンじゃないけれどいろんなサークルで聞く演奏ね…それらが合わさって、解放されて、ピアノはもっとおもしろいものになった。

人生って、楽しい。

(*) 上記引用のどこがマンガ論なのかと思うかもしれませんが、これは「バガボンド」について書かれた章の一部です。

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コメント (2)
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