アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

買占めと市場価格、その2

2011年03月29日 | 生活
先日書いた記事「買占めと市場価格」はエピソードを書いたのみで何がいいたいのか曖昧なまま終わっていたけど…

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要するに、疑問に思ったのはこういうことだ。

しばらく前に、野菜がやたら高いっていうことがあって、たとえばプチトマトなんて「これ何の値段!?」と思うくらいの値札がついていた。

これはまさに、需要が供給を上回ったことによって(不作)、市場価格が上がったということだろう。消費者は値段を見て、買うのをやめるか、あるいは別の野菜を買ったかもしれない。私の場合は、弁当の中で「赤」の役割を、より価格が安定していたにんじんに求めたわけだけど(^^;; こういうのってなんていうんだっけ、「代替財」?? 一般的に、にんじんがプチトマトの代替財なのかどうかはおいといて。

その結果、品不足があっても、スーパーの棚はあっという間に空になるわけではなく、夕方になって買いに行ってもちゃんとプチトマトはあった。ただ高いだけでね。本気にほしい人はどうぞということだ。

つまり、市場価格が上下する仕組みというのは、値段というものを媒介にして、「ほしい本気度」になるべく合わせてモノをスムーズに(行列とか作ることなく)分配する機能を持っているのかなと思うんですけど。

そうしたら、米とかティッシュペーパーが、10時開店から一気になくなってしまったのは、適正な市場価格とはいえなかったのではないかというのが疑問点。

需要が一時的に高まったのを見て、すばやく値段を吊り上げておけば、買占め熱にうかされた人たちも、あ、三袋じゃなくて一袋にしておこうとか、無駄買いを抑制する効果があるだろう。そして、結果として棚が空になるまでの時間が大幅に伸びれば…そんなに焦りを生むこともなく(いつもより高いとしても買えば買えるのだから)、実は買占め熱もそんなに盛り上がらなかったのではないかと。

そして、あの場合、たとえば夕方までにきれいに売り切れるような値段設定っていくらくらいだったんだろうなというのも、興味あるところ。

スーパーがなぜそういう値段設定をしないのか、ほんとのところは私にはわからないんだけど、プチトマトの値段は上がるのに、ティッシュには高い値段をつけないというのは、

・仕入れ価格をベースに値段付けしているから。仕入れ価格には市場価格の仕組みが働くが、そこから先は需要が高まったからといって値段を上げる発想がない(需要が低かった場合値下げすることはある)。
・ティッシュや米には適当な代替財がなく、値上げをするとお客の反発を買うから。
・ティッシュや米などの値段は客にしっかりはっきり記憶されていて、他スーパーと比較される対象になるので、値上げすると特に気まずいから。

…以上、私の勝手な想像だけど(実際はどうなんだろう)。

値段を上げないですぐ売切れてしまうのが公平なのか、値段を上げてしまって高い値段を払える人しか買えないのが公平なのか、よくわからない。そもそも、スーパーが公平じゃなきゃいけないってこともないだろうし。っていうか、公平ってなに??

どちらの道をとったにせよ、赤ちゃんのミルクを作りたい親にとって水のペットボトルが確実に入手できる仕組みにはならない。その分は役所で配布するなどの対策をいちおうとったわけだね(配給!?)。

行列か市場価格か配給か…

--- 雑感1
今回の混乱時には、関西にいる人が、関東にいる親戚などに「米」とかを宅配便で送る流れがあり、それで関西まで品薄感が漂ったりしたようだけれども、それってあまり効率のよくない仕組みですよね?? それより、需要と供給で価格が決まり、価格が高めの場所へ物資が流れていくほうが素直かなと思ったりしました。

--- 雑感2
生協は、欠品も少なく、力強く生活を支えてくれるありがたい存在でした。前の週に注文をする仕組みなので、「一時の気の迷いで」買占めに走ることもなく、注文に合わせて商品の調達ができるところが優れもの。年間契約米のような、生産者にも安心をもたらす仕組みがあるのが強みなのかな。

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コメント (8)
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