◎映画『ニュールンベルグ裁判』のテーマは「忖度」
映画『ニュールンベルグ裁判』については、言いたいことがいろいろあるが、最も言いたかったことを、ここで述べておきたい。なお、「ネタバレ」が含まれているので、あらかじめ、ご承知おきいただきたい。
映画のラストシーンは、裁判を終えたダン・ヘイウッド判事(スペンサー・トレーシー)が、刑務所を訪ねる場面である。受刑中のヤニング元判事(バート・ランカスター)が、会いたいと言っていると聞き、帰国まぎわの多忙な中を、ヘイウッドは刑務所に赴いたのである。刑務所の独房の中で、ふたりは短い会話を交わす。
最後に、ヤニングが、「殺された何百万の人たちのことは知らなかった、これだけは信じてください」と言う。意外なセリフである。なぜなら彼は、法廷において、「われわれが強制収容所の存在を知らなかったと言うのか。私たちはどこにいたと言うのか。私たちに目も耳も口もなかったと言うか。たしかに詳細は知らなかった。しかし、それは知りたくなかったからだ」と陳述していたのである。
このヤニングの陳述は、間違いなく、裁判の流れを変えた。しかし、ヤニングは、今になって、強制収容所のことは知らなかったと言うのである。
これに対し、判事は、まったく表情を変えることなく、こう言う。
「ヤニングさん、あなたが無実と知りながら死刑にしたのが始まりです。」
この意味深長なラストシーンを、私は次のように解釈した。法廷におけるヤニングは、裁判の流れがナチ是認の方向に傾くのを恐れると同時に、ダン・ヘイウッド判事の意向を忖度して、そうした陳述をおこなった。自分が服役することを覚悟の上で、ナチ政権の罪、自分の罪を認め、かつ、ヘイウッドに協力しようとしたのである。しかし、帰国間際のヘイウッドに、「強制収容所のことは知らなかった」と言ったことで、ヘイウッドに、その「忖度」を見抜かれた。
ヘイウッドの言葉「あなたが無実と知りながら死刑にしたのが始まりです」の意味するところは、私見では、こうなる。
「かつて、あなたは、ナチ政権に忖度しながら、あるいはナチを支持する民衆に忖度しながら、無実の人間を死刑にしました。それが、何百万の人たちの犠牲の始まりだったのです。」
この解釈が見当はずれでないとすると、この映画のテーマのひとつに、「忖度」がある。無実の人間を死刑にしたのも忖度、強制収容所の実態を知らなかったのに知っていたかのように証言したのも忖度なのである。それにしても、ドイツ語や英語に、「忖度」に相当する言葉があるのだろうか。
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