◎元々社「民族教養新書」発刊の辞(1954)
書棚を整理していたら、吉野作造著『新井白石とヨワン・シローテ』という本が出てきた。一九二四年(大正一三)の『主張と閑談 第一輯(新井白石とヨワン・シローテ)』(文化生活研究会、一九二四)ではなく、その第二版『新井白石とヨワン・シローテ』(文化生活研究会、一九二四)でもない。戦後の一九五五年(昭和三〇)に、民族教養新書(元々社)の一冊として出た『新井白石とヨワン・シローテ』である。
この民族教養新書版は、赤松克麿が校訂し、巻末に、「校訂者の言葉」と題する解説を書いている。赤松克麿は、新人会で吉野作造の指導を受け、その次女と結婚し、一九二八年(昭和三)の衆議院議員選挙では、吉野作造の郷里、宮城一区から立候補するなど、吉野作造とは浅からぬ縁がある。
民族教養新書版の『新井白石とヨワン・シローテ』で、まず紹介すべきは、この赤松による解説だと考えるが、この解説の紹介は、都合で、連休後にしたい。本日は、民族教養新書の発刊の辞、すなわち「民族教養新書を刊行する主旨」を紹介してみよう。
民族教養新書を刊行する主旨
日本の歴史がこれまで経験したことがないやうな悲惨極まる敗戦の結果、既存の権威は地に落ち、道徳の支柱は折れ、国民的結合の原理は解体された。若い人々は何を信頼し何に依存してよいのか、目標に迷つてゐる。ニヒルな気持から目前の享楽に耽るか、手取早く破廉恥な犯罪者になりさがるかさもなければ赤い国から与へられた侵略主義的指令に従つて無自覚的に踊らされるロボツトと化し去るか、いづれを見ても自己の理性に従つて思惟〈しい〉し、自己の意志に従つて行動することが甚だ困難になりつつある。
自己の理性に従つて思惟し自己の意志に従つて行動するには、どうしても自分自身が如何なる存在であるかについて誤らざる自覚と反省を前提とし、同時に世界各国に於ける正確な客観的事実の認識が必要である。この叢書を刊行するに至つた動機もまたここにある、従つて叢書の果すべき課題を次のやうに要約することができよう。
一、世界の現実的情勢と日本人の置かれてゐる立場について真実なる事実を報告すること。
二、世界史的視野の下に最も本質的な文化的教養を身につけるために公平にして正確なる基準を提供すること。
三、終戦以来の卑屈な劣等感を払拭して日本人の独立人格としての人間性の尊厳を確立すること。
四、不安定な動揺と混乱の中に自己を喪失せる疑似インテリの植民地型文化を清算して一般民衆のための健全なる常識の涵養に資すること。
幸にこの叢書が広く読省の支持を得て光栄ある祖国日本の再建に一つの礎石たらんことを切望するものである。 (監修者 民 族 学 術 協 会)
この「発刊の辞」には日付がない。ちなみに、民族教養新書の刊行開始は、一九五四年(昭和二九)である。
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