礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

軍の政治関与は軍人勅諭に反する大逆(石原莞爾)

2018-01-25 01:13:40 | コラムと名言

◎軍の政治関与は軍人勅諭に反する大逆(石原莞爾)

 榊山潤著『石原莞爾』(湊書房、一九五二)から、石原莞爾が、一九四一年(昭和一六)三月に、待命となった際の「挨拶文」を紹介している。本日は、その三回目(最後)。

四、軍と政治
自由主義政党の没落により軍に政冶的負担のかかつて来たのは真に出むなき時の勢でありました。然し一日も速かに軍は其の本然の任務に専念し得る様にならねば遂に勅諭〔陸海軍軍人に賜はりたる勅諭〕の御精神に反し奉る大逆に陥り、当然の結果として軍内の不統一を来し〈キタシ〉国運を危からしむるに至るべきことを恐れ心安かなるを得ないのであります。
満洲国は外形急速な進歩をして居るものの内容これに伴はず民心の不安は軽視し得ぬ状態にあります。其の根本原因の一は政治に責任のないことであります。尨大な特務部を擁して軍が政治を指導して居た時代は兎に角〈トニカク〉、今日の関東軍には其の様な機能はありません。而も満洲国政府は全責任を以て政治に当つて居るとは申されませぬ。深く考へねばならぬ大問題が此処に伏在して居ります。
国内に於ても軍が政治的行為に近よる程度が日に大きくなりつつあるではないでせうか。軍に対し「幕府的存在」等と蔭口を申す者が生じて来たことは事実であります。此の如き誤解が大きくなれば自然国内政治にも全責任を積極的に負ふ者がなくなる恐れがあります。国家の為最大の危険信号と申さねばなりませぬ。
私は政治行為は文官である大臣次官に限るべきものと堅く信じて居ます。局長以下大臣の幕僚は大臣の政治行為に必要なる資料を整理し大臣を補佐するのであつて断じて自ら政沾的行為をなすべきものではありませぬ。勅諭の御精神と確信します。又軍以外の職務に出て居る軍人の一日も速かに軍隊に復帰し得るに至らんことを念じて居ります。
五、自由主義の清算
軍中央部並高等司令部の執務は下級者より事を運ぶ連帯式の自由主義的方式であることは断じて否定出来ませぬ。世に革新を迫るに先ち〈サキダチ〉軍自ら革新せねばなりませぬ。病根深く私の経験では師団司令部でさへ幕僚の熱心なる努力にもかかはらずまだ自由主義的傾向を清算し切つたとは申されませんでした。
「幕僚が方針を定め上官細部を修正する」のが実に今日依然一般ではないでせうか。世間で軍部の不統一を云々するのは必ずしも不当とのみは申されません。
此の根本改革については陸大〔陸軍大学校〕教育や業務処理方式の果敢な革新を必要とするのですが、特に重要なのは人事の根本的刷新と確信致します。
温情主義の平等人事を一抛し司令官、隊長たるに適する少数の徳と力ある人を永く其位置に止まらせねばなりません。これを空想とするならば軍の革新は全く夢と申す外ないのです。全体主義の根底は此責任ある人事であります。特に師団長と連隊長が最も肝要と考へます。
盛〈サカン〉に唱えらるる事務簡捷や軍の能率化も此指導者原理を断行し得ない限り結局空文に終ります。人を信頼出来ず文書による事務方式では軍の能率は決して揚りません。これは私も連隊長二年間師団長一年半身を以て深刻に体験したところであります。
隊長を尊重し其の全責任の下に敏活果敢に軍務を処理せしむる為には中央部の職員や高等司令部の幕僚は特に謙讓にして礼儀を正さねばなりません。幕僚の適任者は永く幕僚勤務に服せしむべく無理に短日月の隊附勤務は却て〈カエッテ〉弊害をも生じます。
以上少々乱暴の申分もありませうが悪口屋で通つて来ました私の現役最後の赤誠こめた苦言として御許しを願ひます。
最後に私の今後の生活予定について申上げます。私は現役を退いたならば軍事学特にフリードリヒ大王とナポレオンの研究に従ふ考で、永年これを楽しみにして参りました。相当に資料を集めて居ります。ところが中耳炎後記憶力と読書力が著しく減退し、昨年から少しづつ心掛けて見ましたが遂に大体断念致しました。甚だ未練があるのですが致し方ありません。
私の最終戦争論は勿論未熟なものですが、決して時局便乗の一夜漬のものではありませぬ。三十年近くの空想と若干の研究の結果で、少しは世に問ふ価値があるかと考へますからその説明を求めらるるところには喜んで御話しする考であります。
「民族協和」「東亜連盟」は満洲建国の所産であり私は之を昭和維新の重要な指導原理であると確信するものであります。勿論私には深い理論的説明は不可能ですが十年間の体験により、有力な人々が表はれる迄の若干年の間は私の体験談も少しは意義あるものと考へます。今日迄と同様私の意見を求めらるる方々には私の力の及ぶ限り常に喜んで所信を御伝へする決心であります。これが私として今後君恩の万分の一に報ずると共に満洲事変並今次事変〔支那事変〕の英霊に回向〈エコウ〉する唯一の道であると確信致して居ります。
居を 京都市上京区等持院上町五二番地 に定めました。今後兎角御無沙汰勝〈ガチ〉となる事と存じますから不悪〈アシカラズ〉御許し下さい。   敬具
  昭和十六年三月        石 原 莞 爾

 若干、コメントする。この「挨拶文」の中では、特に「四、軍と政治」の内容が重要ではないか。ここで、軍の政治関与は、軍人勅諭(陸海軍軍人に賜はりたる勅諭)に反するということを、ハッキリ指摘しており、また、それが「軍内の不統一を来し国運を危からしむる」可能性があるという警告も発しているからである。
 なお、『石原莞爾』(一九五二)では、石原の挨拶文のうち、「一、軍人精神の反省」から、「五、自由主義の清算」の最後、「却て弊害をも生じます。」 までは、小さい活字で組まれている。つまり、挨拶文内の「所見」という位置づけになっている。しかし、『小説 石原莞爾』(一九五四)では、活字の大きさに変化がなく、このあたりの位置づけが明確でない。この点、ひとこと、読者諸氏の注意を喚起しておきたい。

*このブログの人気記事 2018・1・25(東欧の反ユダヤ主義がなぜか1位、9・10位も珍しい)

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