礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

昭和18年(1943)のヘイトスピーチ

2014-12-12 05:14:43 | コラムと名言

◎昭和18年(1943)のヘイトスピーチ
 
 本年一〇月二五日は、「東京名物・神田古本祭り」の初日だった。この日、古書会館で、計三冊を買い求めた。そのうちの一冊、仲村研『山国隊』(学生社、一九六八)については、同月二七日のコラム「『宮さん宮さん』と丹波山国隊歌」のなかで言及した。
 あとの二冊というのは、クルト・コフカ著、平野直人・八田眞穂訳『発達心理学入門』(前田書房、一九四四)、および矢部貞治『デモクラシーとは?』(日本放送出版協会、一九四六)である。古書価は、それぞれ、三〇〇円、二〇〇円だったと記憶する。
 本日は、このうち、『発達心理学入門』について紹介したい。実は、この本で最も注目すべきは、その本文ではなく、「後記」である。
 戦中における言論家、文化人の発言には勇ましいものが多いが、この本の「後記」は、それが特に極端である。このことは、心理学に関心を持つ知人から、かつて聞かされたことがあった。そのことを聞いていたからこそ、この本を買い求めたのである。なお、私が入手したのは、一九四三年一〇月二〇日発行の「再版」である(初版は、同年六月二〇日発行)。
 とにかく、同書の「後記」を引用してみたい。

 後 記
 心理と云ふ言葉が今日位多く使はれてゐる時代は、日本の歴史の何処〈ドコ〉を探しても無いであらうし、又今日位多くの心理学書が出版された事もないであらう。
 しかし、心理々々とわめきちらしてゐる人々が、果して正確にその言葉の意味を知つてゐるかどうか、と云ふ点になると、いさゝかうら淋しいものがある。と同様に、汗牛充棟もたゞならぬ心理学の本の中で、科学的に見て正しい心理学書が何冊あるであらうか。その数を数ヘてみて十指に満たぬのに驚く人も多いであらう。
 大東亜戦争は、これをはつきり言へば、有色人種対白色人種の争闘であると云ふことが出来る。白人の云ふ如く、果して有色人種が彼等より劣つてゐるものであるならば、この戦争の帰趨〈キスウ〉は既に見えてゐると言つてよいであらう。しかし吾々はさうは思はない。人類学的に見て、人種学的に見て、果たまた〈ハタマタ〉心理学的に見て、吾等日本人が白人如きに劣つてゐるとは断じて考へられないのだ。彼等はこの地球上から日本人の影を消してしまふ、と豪語してゐる。それならばよし、吾等も彼等をして地球上より消滅せしむるであらう。白人の一人も居なくなつたこの地球上は、何とさばさばとした住み心地のよいものとなるであらうか、考へただけでも楽しいではないか。
 さて、白人が一人もこの地球上に居る必要がないにしても、彼等が創造した科学だけは此方〈コッチ〉へ取り上げねばならない。それでなくては、数百年もの間彼等を此の地球上にたゞ住まはせた事になるではないか。家を借りても家賃が要るのに、地球を貸しておいたのにたゞといふべらぼうな話はない。
 と考へて、本書の訳述は起稿されたのである。くやしい話だが、一番最初に述べた如く、現在の日本には真の心理学者が非常に少い。そこでそれ白人の科学取り上げなる手段をめぐらして、現代心理学の巨星の一人クルト・コフカの著書を槍玉にあげたのである。由来日本人は清濁併せ呑む国民と言はれてゐる。現在は濁は必要ない故こいつは遠慮なく吐き出して、清だけすゝり込めばよい。本書もその清としてかまふことはないから、腹一杯がぶ呑みをしてかまはない。どうせ相手は先が長くないのだから、早くやらねば損である。
 先に述べた心理学の三巨星とは、ケーラー(Wolfgang Köhler)レヴイン(Kurt Lewin)及びこのコフカ(Kurt Koffka)である。三人共以前はドイツの禄を喰んだ〈ハンダ〉身でありながら、現在では怨敵アメリカヘ寝返りを打つた奴輩〈ヤツラ〉であるから、どうせ皆ルーズベルトと共にこゝ三年の命しかないあわれな連中だ。こうなると巨星も虚勢に通ずるから妙である。
 本書の原書は、“The Growth of the Mind”と云ひ、原著のドイツ語版に増補改訂を加へた英訳で、参考文献としてはこの英訳の方が選ばれ、ドイツ語版は今では価値なきものとされてゐる。
 武力戦には勿論勝たねばならぬ。と同様に科学に於ても絶対に勝たねばならぬ。その意味に於て、数少き心理学書の一〈ヒトツ〉として本書を世に送る事が出来るのは訳者望外の喜びである。本書により、あまりにも心理々々とわめき散らされた為に、頭が混乱してしまつて、何が何やら判らなくなつてゐる人々に、少しでもその正確な意味が判つてもらへたら、本書の訳述の目的は達せられたのである。又本書が、第二国民の養成上少しでも役立つならば、これぞ敵の武器を刹用して敵を制し得たものとして、訳者は逆立ち〈サカダチ〉でもせねばおつつかない事になる。
 少し与太〈ヨタ〉をも並べたが、以上の事は決して冗談事ではない。原書の難解な言ひ廻しを、如何にしたら易しい日本語に直せるか、と云ふ事は訳者の最も苦心した処で、原著者の序文にも見られる如く、原書はもともと教師及び専門家の為に書かれたものであるのを、本書は一般的に、又解読的に翻訳したものであつて、ごく読み易く書いたつもりである。しかしそれだからと云つて、原文にある語句を一字一句も除いた処はない。原文と参照して読まれても決してそんな個処〈カショ〉はないから、もし専門家の人で原書を御持ちの方はどうぞ対照して御読み下さる様におすゝめしておく。
 本書の発行に当りて、原書をお貸し下さつた松村康平氏に御礼を申上げねばならぬ。氏は先年九月名誉あるお召しを受けて、今ば何処の戦場にゐられる事か、氏の応召以前に於ける種々なる御指示は如何に吾々を勇気づげはげまして呉れた事か。はるかに氏の武運長久を祈る。まだまだ御礼を申上げねばならぬ方々は多々あるが、こゝには述べきれないから略させていたゞく事にするが、本書は決して吾々のみの微力で出来上つたものではなく、多くの方々の御尽力により出来上つたものである事は云ふ迄もない事である。
 昭和十八年三月    平野直人/八田眞穂 記

 以上が、「後記」の全文である。憎悪(hate)の対象は異なるが、今日におけるヘイトスピーチに通ずるものがある。【この話、続く】

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