礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

ヒトラー『わが闘争』における日本民族論

2016-09-05 07:33:04 | コラムと名言

◎ヒトラー『わが闘争』における日本民族論

 今月一日からの続きである。蓑田胸喜〈ミノダ・ムネキ〉の『ナチス思想批判』(原理日本社、一九四〇)から、「九、『マイン・カムプ』の日本民族論批判」を紹介してみたい。『マイン・カムプ』とは、言うまでもなく、ヒトラーの主著『わが闘争』のことである。

  九、『マイン・カムプ』の日本民族論批判
 ヒットラー総統は『マイン・カムプ』の中に、前記アリアン人種優越論から日本民族日本文化を論じた箇所で
『よく言はれることであるが、日本はその文化に欧洲の技術を取り入れたけれども、欧洲の科学や技術に日本的特色を焼き付けたといふのは事実ではない。日本文化が――欧洲人にはその内面的相違のために外面的に眼に付くといふことから――その生活の色彩を規定してゐるとしても、実際生活の基礎は最早特殊の日本文化ではなく、欧洲や亜米利加の、即ちアリアン民族の強大なる科学的技術的貢献である。この貢献の上に於いてのみ、東洋人も亦普通人類的進歩に追随することが出来るのである。これが日常生活のための戦ひの根底を与へ、武器やそのための機械をも供してをる。さうしてたゞ外的完成が次第に日本的特質に適合するであらう。
 然しながら、若しもアリアン人の影響が今日これ以上停止するか、欧洲や亜米利加が滅亡すると仮定した場合、科学や技術に於ける日本の興隆は猶ほ〈ナオ〉暫く持続し得るであらうか? 数年後にはすでに源泉が枯渇し日本的特色は得らるるであらうが、今日の文化は硬化して再び七十年前アリアン文化の波によつて揺り動かされた眠りに落込むであらう。それ故今日の日本の進步がその生命をアリアン的源泉に負ふてゐるのと同様に、灰色の過去に於いても亦外国の影響と外国の精神とが当時の日本文化の覚醒者であった。これが最もよき確証はその後代の骨質化と硬化との事実が示してゐる。かういふことは当該民族の根源的核心が喪失するか、またはその文化的領域への最初の進歩に衝撃や資源を与へた外的作用が其後欠如するに至つた場合にのみあり得ることである。一つの民族がその文化を本質的原質に於いて他の人種から得、之を摂取し消化し、而して外的影響の停止後には再び硬化するといふ如きことが確実であるとすれば、吾々はかくの如き民族は恐らく「文化支持者」と呼ぶことは出来ようが、決して「文化創造者」と呼ぶことはない。』(Mein Kampf S.318-9)
とやうに、日本民族の文化能力、本質価値に就いて事実認識の欠陥に基く誤断を示してゐることは、我等の衷心遺憾とする所である。この点に就いては著者は昭和十四年六月以来政府各当局者も研究考慮を促すと共に、直接駐日ドイツ大使館を通じて其の改訂を要請し来つて〈キタッテ〉ゐるのであるが同書は一九二五年に獄中に於いて執筆されたもので、一般独逸人の日本に関する研究や知識が当時にあつては特に欠けてをつたといふ事情を考慮すべく、加之〈シカノミナラズ〉そのこと自体実は現事変〔支那事変〕の思想的原因たる支那人の『排日侮日』の禍根と同様に、我が日本の非日本反国体風潮と不可分であるといふことを反対せしむるのである。然しながら『マイン・カムプ』は現在全世界を通じて一千万部以上も普及しつゝあるといはれてをり、前記の箇所が同書の最近版に於いても未改訂のまゝ今後も存続することは、日独防共・文化協定に徴しても,我等日本国民の最早黙過し得ざるところである。この見地からしても帝国大学の反国体学風の芟除〈サンジョ〉は、また断じて遷延を許されないのである。【以下、次回】

 蓑田胸喜の「ナチス思想批判」は、ヒトラーの日本民族、日本文化に対する評価が低いことへの反発から出たものらしい。この本には、ナチ思想におけるアリアン人至上主義批判はあるが、それ以上のものはない。ナチの「国民社会主義」、あるいは、同主義に基づいた諸政策については、ほとんど言及がない。

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