礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

大屋久寿雄の未発表遺稿『戦争巡歴』

2016-09-09 02:00:08 | コラムと名言

◎大屋久寿雄の未発表遺稿『戦争巡歴』

 今月五日、当方のブログ記事「国民から切り離された『覆面の大戦争』(大屋久寿雄)」(2015・9.20)に対して、アクセスが急増した。その日の東京新聞夕刊に、大屋久寿雄に関する大きな記事が載ったので、その記事の影響であろう。
 記事によれば、大屋久寿雄(一九〇九~一九五一年)の未発表の遺稿『戦争巡歴』が発見され、今月中にも、柘植書房新社から発売されるという。
 あわてて、大屋久寿雄著の小冊子を探したが、なかなか出てこない。昨日になって、ようやく発見した。一九四五年一二月一五日、時事通信社刊行、『終戦の前夜』〔時事叢書(6)〕である。
 ザッと読んでみた。今年になってから、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)などを読んだので、かなり予備知識がついている。その上で、『終戦の前夜』を読むと、やはり、これは貴重な文献だと思う。すくなくとも、『永田町一番地』よりは史料的価値がありそうである。
『終戦の前夜』は、まだ「はしがき」しか紹介していないので、このあと、順次、本文のほうも紹介してゆきたい。
 なお、『終戦の前夜』は国立国会図書館に架蔵されているが、インターネット公開はされていない。おそらくその理由は、著作権の確認が済んでいないからであろう。著者の大屋久寿雄は、記事によれば、一九五一年に亡くなっている。つまり、すでに著作権は切れている。一日も早い、同書のインターネット公開を望む。
 本日は、東京新聞記事から、大屋久寿雄のプロフィールを引用させていただく。

 大屋久寿雄(おおや・くすお) 1909年に福岡県千手村〈センズムラ〉(現嘉麻〈カマ〉市)で生まれる。東京の成城高校卒業後にフランスに渡り、リヨン大文学部で学ぶ。パリでは渡航中の作家林芙美子〈ハヤシ・フミコ〉、プロレタリア作家アンリ・プーライユと親交を結んだ。33年に同盟通信の前身の新聞聯合〈レンゴウ〉社に入社。37~39年に同盟通信特派員として中国北部、ハノイ、欧州に駐在。この間、汪兆銘のハノイ潜入をスクープした。太平洋戦争中に日本放送協会に出向。45年8月10日には日本のポツダム宣言受諾方針を軍や情報局の許可を得ずにいち早く伝えた対外放送に関わる。戦後は時事通信で事業局長となるが、51年に病死。

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