礫川全次のコラムと名言

礫川全次〈コイシカワ・ゼンジ〉のコラムと名言。コラムは、その時々に思いついたことなど。名言は、その日に見つけた名言など。

乾パン29万食、毛布4万枚を緊急配給

2016-04-14 12:11:15 | コラムと名言

◎乾パン29万食、毛布4万枚を緊急配給

 この間、中村正吾秘書官、および黒木勇治伍長の「日誌」によって、七一年前(一九四五年)の「今ごろ」の出来事を紹介している。出典は、それぞれ、中村正吾著『永田町一番地』(ニュース社、一九四六)、および黒木雄司著『原爆投下は予告されていた』(光人社、一九九二)である。
 本日は、『原爆投下は予告されていた』から、四月一四日から一六日までのの日誌を紹介する(八七~八九ページ)。なお、『永田町一番地』は、四月九日のあと、四月二八日まで、日誌が飛んでいる。

 四月十四日 (土) 晴
 午前七時、厠に行った後、洗面していた。昨日ぐらいまでは朝方の静かなときや夜間は、厠に行くとかならず白雲飛行場の友軍機のエソジン音が聞こえていたように思うのに、今日は全然聞こえない。隊長が先日言われた第五航空軍の精鋭の飛行部隊を台湾に出動させたのが昨日だったのか。そうすると、敵さんの昨日の空襲午後四時半は、おそらくその後だったのだろう。
 午前八時、上番する。田中候補生よりの申し送りはつぎのごとくであった。
「前任者田原候補生勤務中の午後十時のニューディリー放送でありますが、昨四月十三日、米軍のB29三百三十機がまた東京を四時間にわたり空襲し爆撃致しました」と。
「えっ、また東京を、東京だけを三百二十機で四時間も」
 自分は驚いた。かりに広東をB29三百三十機が空襲して爆撃したら、中山路をはじめ広東の街は完全に壊減し、建物という名のものはなくなっているだろう。同じことが東京にと思うと、果たして宮城〈キュウジョウ〉は安泰であろうか。さぞ宸襟〈シンキン〉を悩ましたもうたことであろう。それにしても、街はまだ燃えていることだろう。大震災の再来となりはしないだろうか。
 昨日の広東の空襲は聞けば、やはりP51二機、B29三機の珍しく戦爆連合で、白雲飛行場と天河飛行場を攻撃した模様だという。第五航空軍の全軍ほとんどが午前中に飛び立ったあとで、練習機数機を残すのみであったそうだ。昨日〈キノウ〉の今日で今日は静かである。
 正午のNHKのニュースが流れてくる。
 ――東京鉄道局が疎開無賃輸送の制限をはじめると発表した。建物疎開者、妊婦らを優先とし、小口荷物は一家族五コまでにお願いします。また東京都は十三日の都内の空襲罹災者に対し、乾パン二十九万五千食、毛布四万枚等を緊急配給すると発表しました――と。
 どうやら昨日の東京へのB29三百二十機の空襲は、緊急配給の乾パンと毛布で、その事実を認めたようでもある。【後略】

 四月十五日 (日) 晴
 安東兵長と二人で広東の街を歩いたのは三月二十五日の日曜日だった。あれから三週間ぶりで休日が回ってきた。あの休日の後は、新人の指導をはじめ本当に休日の後は恐い。今日の休日の後は何が待っているのだろうか。【中略】
 午後、退屈なることこのうえなし。煙草ばかりぷかぷかと流す。あまりにも暑いと何も考えること起こらず、支那人がのんびりと長い煙管【きせる】で、煙草をふかしているのがよくわかる。午後七時の夕食後は、午前零時からの勤務のことが気になって早く横になる。

 四月十六日 (月) 晴
 午前零時、上番す。下番者田中候補生の報告によると、「昨夜午後十時のニューディリー放送では昨日(四月十五日)、米軍B29約三百機は東京、川崎、横浜を空襲し爆撃した旨放送がありました」という。
 十二日、十三日につづいて、またも十五日、中一日おいて連続の東京空襲では、つぎからつぎへと焼けて川に飛び込む人も、あるいはいるのではなかろうか。
 親が子を失い、子が親を失い、家々はつぎつぎと焼かれる。われわれは子供の時代から関東大震災の話をいろいろと聞かされたが、またもや関東大震災が来たようにも思える。本当に陛下も宸襟【しんきん】を悩まされたことだろうと推察申しあげる。こうやって机の上で勤務していてることが勿体ないようにも思えてくる。【後略】

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