「ダンス・ウィズ・ウルブズ」 1990年 アメリカ
監督 ケヴィン・コスナー
出演 ケヴィン・コスナー
メアリー・マクドネル
グレアム・グリーン
ロドニー・A・グラント
ロバート・パストレッリ
フロイド・レッド・クロウ・ウェスターマン
ウェス・ステューディ
モーリー・チェイキン
ストーリー
1863年秋、南北戦争の激戦地で足に重傷を負い、片足を切断されると思い込んだ北軍中尉ジョン・ダンバーは、北軍と南軍両陣営の眺み合いが続く中、決死の覚悟で単身馬を駆って敵陣に飛び込んだ。
戦闘が終わって一躍英雄となったダンバーは、殊勲者として勤務地を選ぶ権利を与えられ、フロンティアと呼ばれていた当時の最西部、サウスダコタのセッジウィック砦に赴任した。
見渡す限りの荒野のただ中の砦とは名ばかりの廃屋で、ダンバーは愛馬シスコ、そしてトゥー・ソックスと名付けた野性の狼とともに、1人きりの、しかし不思議に満ち足りた生活を送り始めた。
1カ月がたち、ダンバーはシスコを盗みに来たインディアンを慌てて追いはらう。
ダンバーが辺境に来て以来初めて出会った人間こそ、インディアンのスー族の聖人蹴る鳥で、長老とともに150人の部族を仕切っていた。
集落に帰った蹴る鳥は、風変わりな白人の話をし、将来のために彼と接触すべきだと長老たちに力説し、一方ダンバーも、インディアンとコンタクトを取りたいと望み、自ら乗り込もうと決意していた。
翌日、軍服を来て出掛けたダンバーは、途中で1人の目の青いインディアン女性が倒れているのを助け、集落まで送り届けた。
この事件がきっかけとなり、やがて、彼らは頻繁に行き来するようになる。
意志の疎通のもどかしさを解消するために立てられた通訳は、以前ダンバーが助けた拳を握って立つ女で、彼女は幼い頃に拾われてスー族に育てられた白人女性だった・・・。
寸評
相当以前の伝統的な西部劇においては、騎兵隊は正義の象徴でインディアンは悪の象徴だった。
そこでは、インディアンはたいてい野蛮な未開人で白人社会を脅かす者として排除されるべき存在だった。
そのような形で登場するインディアン=先住民に対するアンチテーゼ映画としてこの「ダンス・ウィズ・ウルブズ」は一つの到達点を示す作品だ。
片足を切断されると思い込んだダンバー中尉は自殺覚悟で敵陣の前を横切るが、その行為が引き金となって味方は勝利し、彼は自由に任地を選ぶ権利を得る。
彼が選んだのは開拓最前線基地で、更に彼はもっと先の廃屋となった砦が駐屯地となる。
そこを選んだ理由が、開拓されてなくなってしまう景色を見ておきたいというものなのだが、実際彼が赴いた先で映し撮られる景色は美しいの一言に尽きる。
やがて彼は先住民のスー族と交流を持つようになるが、このスー族が非常に人間らしい心を持ったインディアンとして描かれている。
彼らは素朴で誠実な人々として登場し、独自の文化を持ち、自然を敬い、自然と共生し白人とは異なる存在だ。
映画のなかでは白人の生活ではなくインディアンの生活が前面に繰り広げられ、「10頭の熊」、「風になびく髪」や「蹴る鳥」などインディアンひとりひとりの表情が観客に見えてくる。
インディアンは主人公と同列に並ぶ仲間として描かれ、観客は騎兵隊よりもインディアンのほうに親近感を感じるようになっていく。
それは声高に叫ぶことによってもたらされるものではなく、静かに観客の心に入ってくるという演出によってだ。
観客のまなざしはダンバーを連行する騎兵隊の小隊を全滅させたスー族と主人公ダンバー中尉の側にある。
崇高さを感じさせるインディアンの裏返しとして、白人側は強欲な存在として描かれ背を向けられている。
最初に到着した任地の司令官は小便を漏らしても分からないような状態で自殺し、騎兵隊の隊員は粗野で無学な者たちの集まりである。
白人のハンターが通った跡には皮を剥がれたバッファローの死体が数多く横たわっているといった状況だ。
無教養な隊員はダンバーの戦友とでもいうべきシスコという名の馬を撃ち殺し、ダンバーの友達でもあったツーソックスと言う名の狼を撃ち殺してしまう。
この狼は映画のタイトルにかかわる大事な狼で、狼は鎖に繋がれ護送されるダンバーのことを心配そうに遠目に見守っているのだが、その狼を騎兵隊員たちは面白がって争うように撃ち殺している。
映画の後半においては愚かで身勝手な白人の姿が執拗に描写され続けている。
ダンバーはそんな白人社会を捨て、ポロニー族との戦いを経てスー族の一員となることを選択する。
追手のことを考えダンバーは仲間の元を離れるが、その後スー族がどのような過酷な運命をたどったのかは描かれていないし、ダンバーが聞く耳を持った人に真実を伝えられたのかどうかも描かれていない。
ただフロンティアが無くなっていったことだけが語られるだけである。
種族間の戦闘とダンバーを救い出す際の襲撃以外にアクションシーンのない3時間に及ぶ作品だが、目を離させずにこれだけじっくりと見せる演出は素晴らしい。
ケヴィン・コスナー渾身の一作である。
監督 ケヴィン・コスナー
出演 ケヴィン・コスナー
メアリー・マクドネル
グレアム・グリーン
ロドニー・A・グラント
ロバート・パストレッリ
フロイド・レッド・クロウ・ウェスターマン
ウェス・ステューディ
モーリー・チェイキン
ストーリー
1863年秋、南北戦争の激戦地で足に重傷を負い、片足を切断されると思い込んだ北軍中尉ジョン・ダンバーは、北軍と南軍両陣営の眺み合いが続く中、決死の覚悟で単身馬を駆って敵陣に飛び込んだ。
戦闘が終わって一躍英雄となったダンバーは、殊勲者として勤務地を選ぶ権利を与えられ、フロンティアと呼ばれていた当時の最西部、サウスダコタのセッジウィック砦に赴任した。
見渡す限りの荒野のただ中の砦とは名ばかりの廃屋で、ダンバーは愛馬シスコ、そしてトゥー・ソックスと名付けた野性の狼とともに、1人きりの、しかし不思議に満ち足りた生活を送り始めた。
1カ月がたち、ダンバーはシスコを盗みに来たインディアンを慌てて追いはらう。
ダンバーが辺境に来て以来初めて出会った人間こそ、インディアンのスー族の聖人蹴る鳥で、長老とともに150人の部族を仕切っていた。
集落に帰った蹴る鳥は、風変わりな白人の話をし、将来のために彼と接触すべきだと長老たちに力説し、一方ダンバーも、インディアンとコンタクトを取りたいと望み、自ら乗り込もうと決意していた。
翌日、軍服を来て出掛けたダンバーは、途中で1人の目の青いインディアン女性が倒れているのを助け、集落まで送り届けた。
この事件がきっかけとなり、やがて、彼らは頻繁に行き来するようになる。
意志の疎通のもどかしさを解消するために立てられた通訳は、以前ダンバーが助けた拳を握って立つ女で、彼女は幼い頃に拾われてスー族に育てられた白人女性だった・・・。
寸評
相当以前の伝統的な西部劇においては、騎兵隊は正義の象徴でインディアンは悪の象徴だった。
そこでは、インディアンはたいてい野蛮な未開人で白人社会を脅かす者として排除されるべき存在だった。
そのような形で登場するインディアン=先住民に対するアンチテーゼ映画としてこの「ダンス・ウィズ・ウルブズ」は一つの到達点を示す作品だ。
片足を切断されると思い込んだダンバー中尉は自殺覚悟で敵陣の前を横切るが、その行為が引き金となって味方は勝利し、彼は自由に任地を選ぶ権利を得る。
彼が選んだのは開拓最前線基地で、更に彼はもっと先の廃屋となった砦が駐屯地となる。
そこを選んだ理由が、開拓されてなくなってしまう景色を見ておきたいというものなのだが、実際彼が赴いた先で映し撮られる景色は美しいの一言に尽きる。
やがて彼は先住民のスー族と交流を持つようになるが、このスー族が非常に人間らしい心を持ったインディアンとして描かれている。
彼らは素朴で誠実な人々として登場し、独自の文化を持ち、自然を敬い、自然と共生し白人とは異なる存在だ。
映画のなかでは白人の生活ではなくインディアンの生活が前面に繰り広げられ、「10頭の熊」、「風になびく髪」や「蹴る鳥」などインディアンひとりひとりの表情が観客に見えてくる。
インディアンは主人公と同列に並ぶ仲間として描かれ、観客は騎兵隊よりもインディアンのほうに親近感を感じるようになっていく。
それは声高に叫ぶことによってもたらされるものではなく、静かに観客の心に入ってくるという演出によってだ。
観客のまなざしはダンバーを連行する騎兵隊の小隊を全滅させたスー族と主人公ダンバー中尉の側にある。
崇高さを感じさせるインディアンの裏返しとして、白人側は強欲な存在として描かれ背を向けられている。
最初に到着した任地の司令官は小便を漏らしても分からないような状態で自殺し、騎兵隊の隊員は粗野で無学な者たちの集まりである。
白人のハンターが通った跡には皮を剥がれたバッファローの死体が数多く横たわっているといった状況だ。
無教養な隊員はダンバーの戦友とでもいうべきシスコという名の馬を撃ち殺し、ダンバーの友達でもあったツーソックスと言う名の狼を撃ち殺してしまう。
この狼は映画のタイトルにかかわる大事な狼で、狼は鎖に繋がれ護送されるダンバーのことを心配そうに遠目に見守っているのだが、その狼を騎兵隊員たちは面白がって争うように撃ち殺している。
映画の後半においては愚かで身勝手な白人の姿が執拗に描写され続けている。
ダンバーはそんな白人社会を捨て、ポロニー族との戦いを経てスー族の一員となることを選択する。
追手のことを考えダンバーは仲間の元を離れるが、その後スー族がどのような過酷な運命をたどったのかは描かれていないし、ダンバーが聞く耳を持った人に真実を伝えられたのかどうかも描かれていない。
ただフロンティアが無くなっていったことだけが語られるだけである。
種族間の戦闘とダンバーを救い出す際の襲撃以外にアクションシーンのない3時間に及ぶ作品だが、目を離させずにこれだけじっくりと見せる演出は素晴らしい。
ケヴィン・コスナー渾身の一作である。
自ら製作し、監督と主演もこなし、1990年度のアカデミー賞で7部門も獲得しているんですね。
3時間もある大作なのですが、中だるみもなく、最後まで飽きることなく観れましたね。
征服する者と制服される者。いつの時代でも、どこの国でも、この悲哀は変わりません。
理不尽で残酷で、とても切ない気持ちにかられます。
先住民が住む、未知の開拓最前線の砦に、ひとりで赴任していく主人公、ジョン・ダンバーをケビン・コスナーが情感いっぱいに演じています。
かつて、「アメリカインディアンの教え」というようなタイトルの本が、ベストセラーになったことがあります。
素朴で普遍的で理にかなった教えが、現代人の心を捉えたのだと言われていました。
アメリカ大陸に古くから住んでいた民族なのに、後から乗り込んで来た、よそ者に土地を奪われ、居留区に追い立てられてしまった彼らを思うと、胸が痛くなってきます。
だからと言って、征服者が悪、先住民が善と、一言では言い切れない部分もあるのだと思います。
時代の流れ、運命だったと言えば、少し聞こえはいいかもしれませんが。
考えてみれば、太古から、人間はそうやって同じような歴史を繰り返してきたのです。
このようにして、数え切れないほどの滅ぼされた文明があるのでしょう。
この映画は、人間の愚かしさがわかると同時に、人間の素晴らしさも共有できる作品だと思います。
ケビン・コスナーのファンならば、絶対にはずせない名作中の名作ですし、何よりアメリカ映画、それも西部劇が大好きな私には、バッファローの大群を見ただけでも、胸がジーンときてしまいます。
今はもうないものが、映画では観ることができるのです。たとえ、作り物だとしても。
本当に、この映画は傑作です。