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おじさんの映画三昧

旧作を含めほぼ毎日映画を見ております。
それらの映画評(ほとんど感想文ですが)を掲載していきます。

ゼロ・グラビティ

2025-03-09 08:44:55 | 映画
「ゼロ・グラビティ」 2013年 アメリカ


監督 アルフォンソ・キュアロン
出演 サンドラ・ブロック / ジョージ・クルーニー
声の出演 エド・ハリス

ストーリー
医療技師としてライアンは初めての宇宙飛行に参加していた。
指揮官であるマット、そして同僚のシャリフと共に宇宙空間で作業をしていた。
それぞれの作業を行っていた三人だったがそこへヒューストンの管制室から、ロシアの人工衛星が破壊されたことにより発生した宇宙ゴミが近付いているため、避難するように命令が入る。
避難を試みた三人だったが、宇宙ゴミがスペースシャトルに衝突し、その衝撃で三人は宇宙に投げ出されてしまい、シャリフは宇宙ゴミが衝突して死亡した。
残されたライアンとマットだったがパニックになりながらもマットの冷静な指示で、何とかライアンを自分の体にロープでつなぐことに成功する。
シャリフの遺体を回収し、スペースシャトルから通信を試みた二人だったが応答はなかった。
内部は大きく損傷しており、乗員は全員が死亡し、無重力で漂っていた。
何とか通信を試みたかった二人は国際宇宙ステーションへと向かった。
国際宇宙ステーションに到着した二人だったが、そこもすでに破損しており、かろうじて残っていた宇宙船で、中国の宇宙ステーションへ避難することをマットが提案。
ところが到着間際に燃料切れを起こし、減速することが出来ずそのまま宇宙ステーションに衝突してしまった。
なんとか開かれたパラシュートにひっかかり助かったライアンだったが、ロープで繋がれたマットは宇宙に放り出されてしまい、このままだと二人とも助からないと判断したマットは、ライアンにロープの切断を命令。
最後まで抵抗したライアンだったが、苦渋の選択でロープを切断。
マットは何もない宇宙に体一つで放り出されてしまった。


寸評
話は実にシンプルで、宇宙空間で次から次への危機に襲われながら、それを乗り越えて生還する一人の女性宇宙飛行士の物語である。
ハッブル宇宙望遠鏡の修理のために宇宙空間で三人が船外活動をしている。
無線でジョークのやりとりをしながら作業をしているのはアメリカらしい。
無重力状態なので地上のようにスムーズな作業は出来ないが余裕たっぷりで慣れたものだ。
しかしそこに大量の宇宙ゴミが襲来して、船はボロボロとなり宇宙飛行士たちは2人を残して全員死亡。
残った2人がサンドラ・ブロックとジョージ・クルーニーで、映画はその二人しか登場しない。
3Dを意識した構図で宇宙遊泳が映し出され、本当に彼らが宇宙空間で作業しているように見えるのがすごい。
僕はこの映像をどのようにして生み出したのだろうとばかり考えていた。
そして近い将来にはこのようなことがじっさいに起きるだろうなとも思った。
宇宙には地球上から打ち上げられて出来た宇宙ゴミが大量にあると聞く。
宇宙ステーションにそのゴミがぶつかるかもしれないことは容易に想像できる。
そして船外活動で弾き飛ばされた時は、宇宙飛行士自身が行方不明者となって宇宙を漂うことになってしまうであっろうことをまざまざと見せつけられる。

地球上では紛争が起きているのかもしれないが、宇宙では世界は一つを生み出せるのだろうか。
アメリカの宇宙船がボロボロになり、彼らは国際宇宙ステーションへと向かう。
国際宇宙ステーションもすでに破損しており、かろうじて残っていた宇宙船で今度は中国の宇宙ステーションへ避難するようにマットが提案する。
地上ではアメリカと中国が覇権を争っているが、宇宙では協力できると言う事か。
乗組員は全員避難してしまっていたが、ライアンは無事な別の飛行船を発見する。
言葉に壁に苦戦しながらも、何とか宇宙船の軌道に成功し、ステーションともに落下する宇宙船は大気圏で無事分離に成功することは分っていても拍手喝采だ。

ライアンは亡くなった娘の事をマットに話す。
娘との想い出のシーンは出てこない。
娘は天国に近い宇宙に居るわけではない。
娘との思い出が地球に残っていて、ライアンはその思い出の地に戻る決心をする動機づけとなっていたと思う。
それを促すのがジョージ・クルーニーなのだが、まさかあの状態で都合よく戻ってくるのは出来過ぎだと思ったら、そういうことだった。
ライアンは地球にたどり着く。
そこで彼女は重力を感じて立ち上がる。
仲間をすべて失った彼女だが、これからも強く生きていくことだろう。
悪戦苦闘するライアン以外に何もない映画だが、サンドラ・ブロックの頑張りだけは評価できる。
第一の功労者は、宇宙の静けさと暗くて広い宇宙を表現した映像だろう。
僕は3D版を見ていないが、この映画は3Dで見てこそだと思う。

夜の大捜査線

2025-03-08 08:51:38 | 映画
「夜の大捜査線」 1967年 日本


監督 ノーマン・ジュイソン
出演 ロッド・スタイガー シドニー・ポワチエ ウォーレン・オーツ
   リー・グラント スコット・ウィルソン ジェームズ・パターソン
   クエンティン・ディーン ラリー・ゲイツ ウィリアム・シャラート
   ビア・リチャーズ

ストーリー
ミシシッピーの田舎町スパルタの警官サムは深夜のパトロール中、町の実業家が殺されているのを発見した。
知らせを受けてビル・ギレスピー署長自らが現場へ急行し早速捜査に当たった。
気負いたったサムは駅で列車をまっていた黒人をいきなり容疑者として逮捕した。
ところがその黒人はバージル・ティッブスというフィラデルフィア警察の殺人課の優秀な刑事で、休暇で帰っていたのだった。
初めて殺人事件を扱うギレスピーはベテランのティッブスの協力を頼みたいと思ったが、人種偏見の強い土地柄、どうしても頭をさげることができなかった。
犯罪学に通じた彼は、死体の検分から始め、殺人捜査に不慣れなギレスピーたちをリード。
黒人への差別意識の強いギレスピーも最初はティップスから指図を受けることに腹を立てますが、その有能さを渋々認め、その助手として捜査に付き添った。
やがて警察はコルバートの所有物だった財布を持つ若者を拘束した。
ギレスピーは今度こそ真犯人だと色めき立つものの、ティップスは若者を取り調べた結果、死体から財布を奪っただけだと結論づける。
そしてティップスが怪しいと見たのが、エリック・エンディコットという帝王と呼ばれる町有数の農場主だった。
彼は被害者のコルバートの進歩的な考え方に反対していた。


アメリカ社会が潜在的に持っているであろう黒人差別を、殺人事件を捜査する黒人の敏腕刑事を通して描いた作品で、黒人がエリートで白人がダメ人間と言うのが当時としては珍しい設定だったと思う。
事件の起きた場所は人種偏見の強い土地柄で、随所でその事が描かれる。
激しい人種差別ではなく、しみついてしまっている差別意識として描かれているのが根深いものを感じさせる。
ロッド・スタイガー演じる警察署長は殺人事件が専門でないとはいえ、容疑者が現れると調べもせずにすぐに犯人と決めつけてしまうのだが、まるで「犬神家の一族」に於ける加藤武の警察署長のようだ。
それに対してシドニー・ポワチエの刑事は沈着冷静でキレキレの頭脳の持ち主として描かれている。
犯行時刻の推察では検死を行った医者の間違いを鋭く指摘する。
容疑者が逮捕されて連行されてくると、彼が犯人でないことを論理的に説明する。
警察署長の面目丸つぶれで、被害者の奥さんも黒人刑事の優秀さを町長に訴えている。
シドニー・ポワチエの指摘は逐一もっともで観客を納得させるものだが、サスペンスとしての鋭さはない。
被害者の財布を持って逃走したハーヴェイが逮捕されるが、なぜ彼が容疑者として浮かび上がったのかは描かれていないので、最初から犯人探しの盛り上がりに欠けている印象を持つ。
巡査のサムが逮捕されるのも唐突感がある。
町で一番の農園主で帝王と呼ばれるエンディコットが黒幕らしく描かれているが、殺されたコルバートの工場建設に反対していた事を、サスペンスとしてならもっと描き込んでおいても良かったように思う。

僕はこの作品はサスペンスを追求するのではなく、潜在的な差別にメスを入れることを主眼としているように感じ、その為に人物描写などを丁寧に行っていると思った。
この町では黒人がKKKのような集団に襲われることはないが、白人たちは差別意識を持ち続けている。
エンディコットの綿花農場で働いているのは黒人ばかりで、まるで奴隷制度が存在していた時代のような光景だ。
警察署長は嫌われ者であることを自覚していて孤独である。
黒人のティッブス刑事を自宅に招き入れ孤独感を語るが、黒人に同情されるとたちまち感情をあらわにする。
潜在的な感情を表す秀逸なシーンだったと思う。
そして所長はティッブス刑事に「黒人の自分の方が優秀なのだと証明したいだけなのだ」と核心を突く言葉を投げつけられることで、黒人のティッブスも自分が受ける差別への反感を抱いていることに気付いたと思う。
それが彼をしても犯人を見誤らせた要因となっているのが奥深い。

ティッブス刑事の登用を主張したコルバート夫人は班員逮捕を知ってどうしたのか、逮捕されて投獄されていたハーヴェイとサムはどうなったのかなどは分らずじまいであるが、最後にこの作品らしいシーンが用意されている。
一連の事件が解決して、ティッブスはギレスピー署長に送ってもらい列車に乗り込むため駅にやって来る。
そこでギレスピー署長はティッブスのカバンを運んでやっている。
白人の警察署長が黒人のカバンを持ってやっているのだ。
ギレスピー署長がティッブスを呼び止めると、ティッブスは厳しい顔つきで振り返る。
ギレスピー署長は多少きまり悪い様子を見せつつも微笑みかけ、ティッブスも笑みを返す。
白人と黒人の融和と言うには甘いかもしれないが、いいラストだったと思う。

ゆきてかへらぬ

2025-03-07 17:29:59 | 映画
「ゆきてかへらぬ」 2025年 日本


監督 根岸吉太郎
出演 広瀬すず 木戸大聖 岡田将生 田中俊介
   トータス松本 瀧内公美 草刈民代
   カトウシンスケ 藤間爽子 柄本佑

ストーリー
京都。
まだ芽の出ない女優、長谷川泰子は、まだ学生だった中原中也と出逢った。
20歳の泰子と17歳の中也。
どこか虚勢を張るふたりは、互いに惹かれ、一緒に暮らしはじめる。
価値観は違う。
けれども、相手を尊重できる気風のよさが共通していた。
東京。
泰子と中也が引っ越した家を、小林秀雄がふいに訪れる。
中也の詩人としての才能を誰よりも知る男。
そして、中也も批評の達人である小林に一目置かれることを誇りに思っていた。
男たちの仲睦まじい様子を目の当たりにして、泰子は複雑な気持ちになる。
才気あふれるクリエイターたちにどこか置いてきぼりにされたようなさみしさ。
しかし、泰子と出逢ってしまった小林もまた彼女の魅力に気づく。
本物を求める評論家は新進女優にも本物を見出した。
そうして、複雑でシンプルな関係がはじまる。
重ならないベクトル、刹那のすれ違い。
ひとりの女が、ふたりの男に愛されること。
それはアーティストたちの青春でもあった。


寸評
谷崎潤一郎が妻の千代を佐藤春夫に譲ったいわゆる「細君譲渡事件」もあり、とかく文士と呼ばれる人は僕のような通俗人には計り知れない男女関係を生み出すことが多いようだ。
そうでないと良い作品が書けないのかもしれない。
中原中也、小林秀雄による長谷川泰子をめぐる三角関係も歪な関係である。
それぞれを木戸大聖、岡田将生、広瀬すずが演じているが、主人公は広瀬すずの長谷川泰子であろう。
作品は青春映画の系譜に入るだろうが、困難を乗り越えて大人になっていく大抵の青春映画とは一線を画している。
泰子は中原中也と小林秀雄の才能を認め、そして彼らに愛される。
共に自由奔放な泰子と中也は同棲を始めるが、やがて泰子は中也への不満から、正反対とも思える小林秀雄のもとへ走る。
小林は料理を初め何もできない泰子に尽くすが、三人それぞれが生き方を求めてぶつかり合い、泰子は精神異常をきたしてしまう。
泰子は小林といても中也の影を感じて狂い始め、小林はたまらず泰子から離れていく。
泰子と同様に小林と中也はお互いの才能を認め合い、三人が関係を深めていく様子は凡人僕には想像できない世界である。
中也と小林を虜にした長谷川泰子は、彼らにとって随分と魅力的な女性だったのだろう。
演じた広瀬すずには内面から湧き出る妖艶さが欲しかったように思うのだが、彼女も歪な男女関係を経験すれば素晴らしい女優になるのかもしれない。
中也の葬儀に泰子が現れるが、それを受け入れた中也夫人は賢婦人に見えた。
セリフは少ないけれど泰子との対比を際立たせていた。
実際の中也夫人も立派な人だったのではないだろうか。

アレンジメント/愛の旋律

2025-03-06 10:00:23 | 映画
「アレンジメント/愛の旋律」 1969年 アメリカ


監督 エリア・カザン
出演 カーク・ダグラス フェイ・ダナウェイ デボラ・カー
   リチャード・ブーン ヒューム・クローニン
   キャロル・ロッセン ダイアン・ハル

ストーリー
エディ・アンダーソン(カーク・ダグラス)は、貧しいギリシア移民出身だったが、今では広告業界の切れ者として声望もあり、美しく、知的な妻フローレンス(デボラ・カー)と愛する娘エレン(ダイアン・ハル)との恵まれた生活を送っていた。
が、ある日交通事故にあったことから、アンダーソンの人生は変わってしまった。
アンダーソンは、周囲の人々の言葉も耳に入らず、ただ昔関係のあった女、グエン(フェイ・ダナウェイ)のことだけを考えるようになった。
グエンの持つ純粋さが、アンダーソンを魅きつけたのだ。
病が癒えたアンダーソンは、グエンのこと、会社のこと、生き方についての疑問など妻にすべてを打ちあけた。
しかし、フローレンスはそれを理解することができない。
その後、飛行クラブでセスナ機試乗中、アンダーソンは、ドアをあけて身を乗りだした。
誰の目から見ても異常なこの行為により、彼は飛行禁止命令を受けた。
そんな時、アンダーソンは、実父危篤の報を受け、病院に向かう。
一方グエンは、同じニューヨークのグリニッチ・ビレッジに、父親が誰か分からない我が子と住んでいた。
彼女に再会したアンダーソンは、再びグエンの虜となり、情事に我を忘れる。
こうしてすっかり変わってしまった彼を、周囲の人々は精神異常だ、と言いあう。
そして、アンダーソンの情事の現場を見たフローレンスも、精神病院に入院させる旨の請願書にサインする。
アンダーソンは全財産をフローレンスに譲り、精神病院に入院した。
アンダーソンが退院した時、すべてを失った彼を待っていたのは、グエンだった。
2人はグエンの子供も交え、貧しいながら水入らずの平穏な暮らしを始める。
人生半ばにして自分をすっかり変えてしまった巨大な闘いで、現在の静かな生活を勝ち取ったアンダーソンは、人間というものの不思議さ、いとおしさを考えるのだった。


寸評
カーク・ダグラスが演じている男は、エリア・カザン自身みたいな男なので「アレンジメント」は半自伝的な作品と言える。
そう思うと、これはカザンがグチをこぼしているような内容で、当時も今もあまり同調できない。
アンダーソンは豪勢な邸宅に何人も召使を置いて住み、奥さんも美人で聡明そうで、何不自由ない生活を営んでいるように見える。
しかし彼には生き甲斐と言うものがない。
そこから彼のグチとも言うべきことが語られる。
公告の仕事は大衆をだますペテンの様なものだと思うが、それなら仕事を変わればいいじゃないかと思う。
妻は上流階級に居たいばかりに自分を拘束している監視人だと思うが、それならさっさと離婚すればいいではないかと思う。
それも出来ずにアンダーソンは会社の奔放な女の子に手を出して、元の生活に戻れなくなる。
落ちぶれている父親とも暮せなくなっている。
アンダーソンは妻と弁護士から狂人扱いされて財産をとり上げられ、精神病院に入れられてしまう。
結局、地位も名声も捨て去った男は、女との生活に安らぎを見い出すしかなかったというお話である。
世の中は嘘ばかりだとグチり、本当の自分になれと言っているようにも思えるのだが、そういうアンタはどうなんだとの反感もあり、僕にエリア・カザンはもういいかなと思わせた作品となった。

赤目四十八瀧心中未遂

2025-03-03 08:06:22 | 映画
「赤目四十八瀧心中未遂」 2003年 日本


監督 荒戸源次郎
出演 大西滝次郎 寺島しのぶ 新井浩文 大楽源太
   大森南朋 榎田貴斗 大村琉珀 沖山秀子
   内田春菊 絵沢萠子 麿赤兒 赤井英和
   大楠道代 内田裕也

ストーリー
すべてを捨てたのか、それとも、すべてに捨てられたのか……。
判然としないが、ただひとつ確かなことは、この世に自分の居場所がない、ということだった。
そう思い定めて、男(大西滝次郎)は尼崎にたどり着いた。
男の名は、生島与一。
焼鳥屋「伊賀屋」の女主人・勢子ねえさん(大楠道代)は、生島が薄暗い店先に立ったとき、身を捨てようとしながらも捨てきれないでいる生島の性根を、一瞥で見抜く。
生島は、勢子にあてがわれた古いアパートの一室で、来る日も来る日も、焼き鳥屋で使うモツ肉や鳥肉の串刺しをして、口を糊するようになる。
串1本に対して3円。1日に1000本は刺してゆく。
周囲の誰もが、勢子すらがそんな生活をしていて、よく平気でいられるもんだな、と生島に言う。
しかし、男はただひたすらに串を刺してゆく。
生島の前に現れたのが、若く美しい女・綾(寺島しのぶ)だった。
猛禽のような凄い目の光を放つ女。
その目に魅入られたら、もはや逃れる術はない。
自らは「ドブ川の泥の粥すすって育った女やのに」と言うが、菩薩のような微笑をたたえた女でもある。
親子ほどの年のはなれた刺青師・彫眉(内田裕也)と暮らし、女の背中には一面に迦陵頻伽の刺青が翼を広げていた。
臓物の臭いのこもる生島の部屋で、彼女が白いワンピースを脱ぐと、背中の迦陵頻伽がほの暗い光の中に揺れる。
二人はやがて関係をもち、綾は生島に自分を連れて逃げるよう懇願する。
綾を連れ、生島は尼ヶ崎、大阪天王寺、赤目四十八瀧をさ迷う。
しかし、ふたりは死にきれず大阪へ戻るのであったが、その途中、綾は生島と別れ、ひとり博多へ向かうのだった。


寸評
寺島しのぶ はこの映画と「ヴァイブレータ」の両方で大胆なヌードを披露して映画界の主演女優賞を独占した。
彼女が女優として一皮むけるきっかけになった映画である。
母親からはヌードはダメと大反対されたようだけど、ここで決断しなかったら今の彼女はなかったであろう。
母親も緋牡丹の刺青を少しだけ見せていたが、ここでの寺島しのぶは遥かに大胆なものだ。
時代が生み出した大スターの母親だが、演技力では娘の方が上だと感じさせ、親に反抗する気持ちがあったのかもしれないが兎に角吹っ切れている。

映画は長まわし気味の映像が続いて2時間半以上の長丁場になるが、だれることはない。
大楠道代と内田裕也がさすがの存在感を見せている。
特に内田裕也の刺青師は演技をしているのか、これが地なのか分からない雰囲気を出していてバツグンである。
主題になる赤目四十八瀧は実に美しい。
主人公たちは近鉄電車に乗って三重の赤目口に向かう。
それまでに雑多な町を映し続けた後にでてくるので、コントラストの効果もある。
赤目四十八瀧には多種多様な滝がある。
僕はずっと以前にゴールデンウィークを利用して写真仲間の二人と滝の写真を撮るために行ったことがある。
近鉄の赤目口駅からバスに乗って10分ほどで赤目滝に着くが、名張市はいいところだが三重県なので我が家からは遠く感じた。
入り口に水族館の様なものがあって、その料金が入山料のようなものだったと思う。
ゴールデンウィーク明けに尿崩症を発症したのだが、当初は病名も分らず滝道の無理が原因かと思ったがそうではなかった。
赤目にはそんな思い出がある。

生島はダメ男だ。
結局一緒に死ぬことも、彼女の手を取ってどこか遠くへ逃げることも出来ず、だらしなく下駄を足に引っ掛け、無様に彼女を見送ることしか出来ない。
男は死にながら生き、女は死を見据えながら生きる。
女は強い。
この映画は男の弱さ、情けなさ、そして甘えを容赦無くあぶり出して断罪する作品だったと思う。
荒戸源次郎と言ういかつい名前の監督にとって、今のところこれが最高傑作だろう。

アメリカを斬る

2025-03-02 08:14:17 | 映画
2019/1/1より始めておりますので10日ごとに記録を辿ってみます。
興味のある方はバックナンバーからご覧下さい。

2020/9/1は「あ・うん」で、以下「青い山脈」「續 青い山脈」「青い春」「赤い河」「赤い靴」「赤線地帯」「赤と黒」「赤西蠣太」「秋日和」
と続きました。

「アメリカを斬る」 1969年 アメリカ


監督 ハスケル・ウェクスラー
出演 ロバート・フォスター ヴァーナ・ブルーム
   ピーター・ボナーズ マリアンナ・ヒル
   ハロルド・ブランケンシップ ピーター・ボイル

ストーリー
1968年、シカゴ。
あるテレビ局のニュース・カメラマンであるジョンは交通事故や家事など、きまりきった日常のニュースの撮影の仕事に追われていた。
しかし、そんな単調な仕事のくり返しの毎日でも、彼は少しも嫌気がさしたりしなかった。
彼には「俺はいつも自分の仕事をしているんだ」という自負があった。
それは、彼のひとつの夢につながっていた。
それは、録音担当の親友ガスと一緒に、シカゴのスラム街に移ってくるアパラチア山地の貧民の実状をドキュメンタリー・フィルムで紹介するという夢だった。
彼には看護婦をしているセクシーな女ルースという恋人がいたが、彼女に対する恋心はアイリーンに出会ってから次第に冷めていってしまった。
アイリーンはアパラチア移住者街に住み、父のない息子を育てるためひとり苦闘していた。
父のない息子を育てるためのアイリーンの苦闘区を取材しているうちに、ジョンとアイリーンはいつしか愛し合うようになっていた。
だが、テレビ局のニュース・ディレクターは、ジョンが他の仕事のをおろそかにし、アパラチア人の問題に夢中になっていることを理由に、彼に解雇を言い渡すのだった。
生活基盤を失ったかに見えたジョンだったが、そんな彼を若い映画製作者ペニー・ベイカーが拾いあげた。
1968年の米民主党全国大会と、その期間の若者の反戦デモの取材に当たった。
やっとジョンは、生傷をむき出しにしてうごめいているアメリカの現実と、本当に向かい会える場所を見つけたように感じた。
その仕事は、大変激しい混乱の中に彼を倦き込み、劇的に展開される現実の姿が彼の前に露呈されていた。
懸命に取材を続けていたジョンのところへ、アイリーンが不安な様子でかけつけて来た・・・。


寸評
僕はこの作品を試写会で見たのだと思う。
ハリウッド映画とは一線を画したアメリカン・ニューシネマと呼ばれる作品が登場してきた頃だ。
「俺たちに明日はない」や「明日に向かって撃て!」ほどヒットしなかったし、「イージーライダー」ほどの話題にもならなかったが、僕はアメリカン・ニューシネマの作品として忘れられない。

映画は、民主党の大統領候補を決める全国大会が開かれた当時を舞台にして、現実的なものと劇的なものを織り交ぜながら当時のアメリカ社会と若者たちの姿を描いていく。
はっきりとしたドラマがあるわけではない。
大会の会場となったインターナショナル・アンフィシアターや、連日激しいデモが行われていたミシガン湖に面したグラント公園で起こった出来事など、現実を映しとる数々の事件を映しとっていく。
アパラチア地区の貧しい人々のことも語られる。
登場人物も少ないので、ドラマというよりドキュメンタリーのような感じの映画である。
最後にドラマらしいことが描かれる。
アイリーンの息子が鳩を探しに出かけたまま戻らないので、ジョンは取材を中止して彼女とともに少年を探すため車を走らせる。
しかしそのすぐ後で、ハンドルをきりそこねた車は街路脇の樹木に追突して二人は死んでしまう。
それは、いつかジョンが取材していた交通事故の光景と同じで、日常的な出来事の一つだった。
激動する現実のそばで、当事者となった自分たちに起きた不条理な出来事である。
鳩は平和の象徴だ。
少年が探しに行った鳩はまだアメリカの空を飛んでいるのだろうかと問いかける。
それはベトナム戦争に突き進んでいたアメリカに平和を求めるメッセージでもあった。

花笠若衆

2025-02-28 14:49:11 | 映画
「花笠若衆」 1958年 日本


監督 佐伯清
出演 美空ひばり 大川橋蔵 桜町弘子 高島淳子 三条美紀
   堺駿二 星十郎 長谷部健 吉田義夫 澤村宗之助
   清川荘司 柳永二郎 大河内傳次郎 明石潮 香川良介

ストーリー
花のお江戸は吉原の花魁道中の真最中に、町娘を相手に無理難題をふっかける白鞘組の雷太郎(清川荘司)、その悪侍を見事なタンカでやっつけたのが男伊達の江戸家吉三(美空ひばり)である。
その吉三、男姿ではあるが、実は但馬の扇山、牧野内膳正(明石潮)の息女雪姫で、双生児として生れたばかりに、これを忌む風習から江戸の侠客吉兵衛(大河内傳次郎)にあずけられ育てられた身の上だった。
その頃扇山城では、妹千代姫(美空ひばり:二役)をめぐってのお家騒動が勃発していた。
千代姫と神月家の次男又之丞(大川橋蔵)をめあわせようとする鈴木伝左衛門(香川良介)一派と、雪姫を探すことを口実に、江戸家老田島主馬(澤村宗之助)の娘早苗(桜町弘子)を姫に仕立てて、お家横領を企てる馬場兵部(柳永二郎)一派の争いがこうじて、ついに伝左衛門は殺された。
更に馬場一派は白鞘組を手先に、雪姫探索の手を、吉兵衛の回りにものばしはじめた。
この時、吉三の許へ吉原で知り合った若侍が訪れて来た。
彼こそは、内膳正の内命を受けて雪姫を捜す神月又之丞、しかし、自分の素性と牧野家の内紛を聞かされても吉三は、今さら嫌だと又之丞を追い返した。
又之丞の動きを知った主馬は、白鞘組に彼を襲わせ、吉兵衛を殺した。
これには吉三も決心して、女姿にかえり又之丞と扇山に向けて出発したが、いつしか吉三は又之丞に心惹かれて来るのだった。
だが執拗な主馬は途中吉三たちを山中におびき寄せて、岩をおとして崖から転落させた。
やがて扇山城では内膳正が早苗の扮した雪姫と対面をすませ、扇山五万三千石は馬場、田島らの手におちたと思われた時、「暫く」の声と共にあらわれたのは、今は美しい姫の姿になった吉三と又之丞だった。
それから数カ月、祭りに賑わう江戸の町に、これを見物する千代姫と、又之丞、そして又之丞を妹に譲った男伊達・吉三の姿があった。


寸評
歌う映画スターの第1号は松竹の高田浩吉と言われているが、僕は東映の高田浩吉しか知らない。
ある時期の日活には歌う映画スターとして石原裕次郎、小林旭、赤木圭一郎らがいた。
ヒット曲をモチーフにしたり、主題歌がヒットした映画もあった。
石原裕次郎には「夜霧よ今夜も有難う」や「赤いハンカチ」「二人の世界」「俺は待ってるぜ」など多数ある。
小林旭には「ギターを持った渡り鳥」の渡り鳥シリーズがあった。
赤木圭一郎は「霧笛が俺を呼んでいる」などで哀愁を帯びた歌声を聞かせてくれた。
倍賞千恵子や鶴田浩二も歌う映画スターの一人かもしれない。
仮に歌謡映画と言うジャンルがあるとすれば、思い浮かぶのは誰を差し置いても美空ひばりであろう。
昭和の大歌手だが、東映では連続的に主役を張れた唯一の女優と言っても過言ではない。
出演する作品では必ず彼女の歌が何曲か披露される楽しい映画となっているが、内容的にはどれも平凡なもので量産によって生み出されたものだったと思う。

「花笠若衆」はひばり映画らしい特徴が詰まっている。
冒頭のクレジットが表示されるシーンから美空ひばりの歌声が流れる。
場面の所々でも歌が流れ、そのシーンは5,6カ所はあるだろうか。
「これこれ 石の地蔵さん 西へ行くのは こっちかえ・・・」で始まる花笠道中は二つのシーンに分けて1番と2番が唄われていて、レコードもヒットしたと記憶している。
美空ひばりは二役もよくやっていて、ここでもは吉三と千代姫、雪姫の三役を演じている。
一方が男装、一方が女装というのもよくあるパターンであった。
千代姫、雪姫が対面する場面や、吉三と千代姫が対面する場面は単純な処理だが楽しい。
原作がひばりの母親である加藤喜美枝だから、当初からひばりをイメージして書かれたものだと思う。
「一番悲しかったのは小林旭と結婚したことで、一番うれしかったのは小林旭と離婚したことだ」と言ってはばからなかった母親だから、娘一筋の人だったのだろう。
相手役は万年の美青年・大川橋蔵で、汚れ役をやった映画はヒットしなかった。
立ち廻り、エキストラ、セットなど懐かしく思えることが満ち溢れている。
総天然色、東映スコープによるこの様な作品が毎週生み出されていた時代だった。
歌で始まり歌で終わる、ひばり映画である。

戦国自衛隊

2025-02-27 14:44:41 | 映画
「戦国自衛隊」 1979年 日本


監督 斉藤光正
出演 千葉真一 中康治 江藤潤 速水亮 にしきのあきら
   三浦洋一 かまやつひろし 渡瀬恒彦 小野みゆき
   竜雷太 三上真一郎 田中浩 岡田奈々 夏木勲
   小池朝雄 薬師丸ひろ子 真田広之
   
ストーリー
伊庭三尉(千葉真一)を隊長とする21名の自衛隊員は、日本海側で行なわれる大演習に参加するために目的地に向かっているとき“時空連続体の歪み”によって400年前の戦国時代にタイム・スリップしてしまった。
東海には織田信長が勢力を伸ばし、上杉、武田、浅井、朝倉らが覇を競いあい、京へ出て天下を取ろうと機をうかがっていた時代。
成行きから彼等は、のちの上杉謙信となる長尾平三景虎(夏木勲)に加担することになり、近代兵器の威力で勝利をもたらした。
戦いの中で、伊庭と景虎は心が通じあうなにかを感ずる。
隊員のひとり菊池(にしきのあきら)は、恋人和子(岡田奈々)と駈け落ちすることになっていたが戦国時代にスリップ、和子は約束の地で菊池を待ち続けた。
三村(中康治)は農家の娘みわ(小野みゆき)に出会い、恋に落ちていく。
そんな中で、矢野(渡瀬恒彦)は、自分たちだけで天下を取ろうと、加納(河原崎建三)や島田(三上真一郎)を誘って反逆を起こして魚村を襲い、手あたりしだいに女を犯すが、伊庭たちの銃撃のはてに殺される。
近代兵器を味方につけた景虎は、主君小泉越後守(小池朝雄)の卑怯さに我慢がならず、春日山城で斬り殺し、天守閣からヘリコプターにぶら下がって脱出する。
そして戦車が春日山城を陥落させた。
その勢いで景虎と伊庭は京へ攻め上がろうとする。
景虎は浅井・朝倉の連合軍と戦い、伊庭は川中島で武田信玄(田中浩)と戦闘をまじえることになった。
「歴史がなんだっていうんだ。俺たちが歴史を書きかえるんだ」と、自衛隊員と二万人の戦いが始まった。
戦車、ジープ、ヘリを駆使しての互角の勝負、そして目指す武田信玄の首を取ることにも成功するが、その激しい戦いの中で、伊庭たち隊員も死んでいった。
隊員の中で生き残ったのは、農夫となってその時代に生きようと決意した根本(かまやつひろし)だけであった。


寸評
自衛隊が戦国時代にタイムスリップして戦うと言う奇想天外な物語である。
最新兵器を誇る自衛隊が戦国武将と戦えば楽勝の筈だが、そこには自虐的とも思える不安が読み取れる。
自衛隊は専守防衛、戦ったことない集団なのだ。
実践となれば歴戦の戦国武将に勝てるのか、自衛隊はいざとなれば戦えるのか。
そんな疑問を読み解くのは、うがった見方なのだろうか。
制作年度もこの映画には影響が大きかったと思う。
この映画の自衛官たちの姿は、全共闘運動の夢に破れた若者たちの姿にシンクロする。
天下を取ると公言する伊庭三尉などは連合赤軍の生き残りのようだ。
自衛隊の装備で戦うが、彼らがやっている戦いでは、やがて実弾は尽きるし燃料だって尽きる補給のない戦いなのだ。
公開された時は、勝ち誇っているようでも敗北した挫折を味わった世代が世の中に出た時代だった、
だから、続編の「戦国自衛隊1549」は面白くなかった。

理屈など置いて映画を見れば、自衛隊が上杉謙信に味方して戦う内容は、角川映画らしく製作費をつぎ込んだだけあって楽しめる。
千葉真一や真田広之のJACメンバーがスタントマンを使わずに活躍するし、薬師丸ひろが竜雷太と刺し違えるシーンがあったり、真田昌幸に扮した角川春樹が機関銃で撃たれて悶死するシーンや、岡田奈々が相馬の馬追を見ながら菊池が来るのを待ち続けるなど見せ場を随所に盛り込んでいる。
面白いのは武田軍の人海戦術によって自衛隊が敗けてしまう展開だ。
ヘリコプターは低空ホバリングの際に忍び込んできた武田勝頼によって墜落させられる。
戦車は人海戦術で動きを封じられるし、装甲車は落とし穴にはまって動けなくなってしまう。
人海戦術によって敗北するのは、ベトナム戦争における米軍と同じだ。
日本が仮想敵国とする中国などもそれが可能な人口を誇っている。
タイムスリップの決め事として歴史を変えないことがあると思うので、武田軍が史実と違う滅び方をしても歴史を変えたことにはならない。
「自衛隊と戦国武将、どっちが強い?」という子供じみた疑問へトライする作品となっている。

ロストケア

2025-02-25 07:08:13 | 映画
「ロストケア」 2023年 日本


監督 前田哲
出演 松山ケンイチ 長澤まさみ 鈴鹿央士 坂井真紀
   戸田菜穂 峯村リエ 加藤菜津 梶原善 やす(ずん)
   岩谷健司 井上肇 綾戸智恵 藤田弓子 柄本明

ストーリー
ケアセンター八賀の職員、斯波宗典(松山ケンイチ)は若くして白髪だらけな風貌ながらとても献身的な介護士。
親切な仕事でセンターの利用者からも好感を持たれ、新人の由紀(加藤菜津)や同センターの同僚真理子さん(峯村リエ)、センター長の団元晴(井上肇)からも信頼される好人物だった。
ある日、利用者の自宅でその父親とセンター長である団が亡くなっているのが発見された。
借金があり金にだらしなかった彼は事務所にある利用者の合鍵を持っており、窃盗目的で犯行に及び、その最中に足を滑らせて階段から落ちての事故死である可能性が濃厚で、検察はその線で早期の解決を図るように担当検事である大友秀美(長澤まさみ)に指示していた。
しかし屋内に落ちていた注射器の存在だけが不明の中、犯行近くの防犯カメラ映像から斯波がアリバイの証言と異なる行動をとっていたことが判明する。
彼を取り調べると、利用者が心配で利用者宅へ赴いた所、団と鉢合わせとなって口論の末にもみ合い、階段から転落死させてしまったことを語る。 
正当防衛を主張する斯波宅の家宅捜索を行い、3年間分の介護ノートを見つけたが、そこには心を尽くした介護の様子が記されていた。
それとは別にケアセンター八賀での利用者の死亡件数が県内平均よりも多いことがわかり、介護ノートと合わせて調査を行うと、斯波の休日に亡くなることが多いことと、別の利用者宅から盗聴器を見つけたことから彼を追及すると、斯波は殺人を認めて介護している家族のためであると語り42人の老人を殺害したと自供した。
最初の一人は斯波自身の父親(柄本明)だった。
数年前に斯波は認知症が進んで行く父親の介護のために職を辞めたが、父親の年金だけでは食べて行けず生活保護も受けられず、困窮の果てに死にたがる父親を手にかけた。
それが、介護老人を殺すことは救いだという彼の思想の始まりだった。


寸評
家族の絆のために生じる介護問題に一石を投じている作品である。
まず介護士たちの献身的な姿が描かれ、その代表者が斯波宗典で、新人で見習の由紀は明るく親切なそんな彼を尊敬している。
彼らは訪問介護していた羽村洋子の母親の葬儀に出かけた帰りに居酒屋に立ち寄る。
そこでベテランらしい女性職員の猪口真理子が「良かったんじゃない、娘さんもまだ若いし束縛から逃れて再婚も出来るかもしれない」というようなことを述べる。
その発言に由紀はむくれるが、介護に疲れ切った家族なら助かったと思うだろう。
僕は母親の介護につきっきりではなかったが、同居していた母親との関係に手を焼いていて、亡くなった時にはホッとした気持ちが湧いたことも事実である。
親子だからという厄介なことから逃れられて肩の荷が下りた気がしたのだが、描かれている介護にかかわっている家族も同じような気持ちになったのではないか。
介護者がなくなったと後の梅田美絵(演・戸田菜穂)は疲れ切っていたのに、子供を自転車に乗せ笑顔を見せて颯爽と走っている。
同様に羽村洋子(演・坂井真紀)も明るさを取り戻し、再婚を考えられる人とめぐり逢っている。

斯波は家族と言う絆が介護現場を悲惨なものにしていると言う。
彼は殺したのではなく助けたのだと言うのだが、その考え方も間違いではないのかもしれないと思ってしまう。
大友検事の長澤まさみが、斯波の松山ケンイチと対峙する場面では、検事の大友が斯波に論破されているように思える。
それは介護問題に手を差し伸べない国を非難しているように見える。
それを補うのが綾戸智恵の老万引き犯が大友に刑務所に入れてくれと懇願するシーンだ。
彼女は生活苦に苦しんでいて、食事があり医療の面倒も見てくれる刑務所の方が良い暮らしができると訴えて大友を困らせている。
貧困問題に対する国への抗議だったように思う。

大友の母親(演・藤田弓子)は老人ホームに入っていて、認知症が出てきている。
裕福な大友は施設に入れて介護から逃れることが出来ているが、皆がそうできるわけではない。
一人で介護に係わっている人の苦労は計り知れない。
父親の介護に掛かり切りにならざるを得なかった斯波は働くことも出来ず、生活保護を申請するが受け付けてもらえず冷たくあしらわれる。
介護は一人で背負ってはいけないと思うが、しかし家族が介護のメインであることから逃れることは出来ない。
あなたがしてほしいことを、あなたが行いなさいというキリストの言葉が斯波の行為に重くのしかかる。
裁判の傍聴人に「母親を返せ!」と叫ばせているのは、斯波を犯罪者として決定づける為だったのだろうが、僕はむしろ斯波は遺族のすべての人から感謝されながら死刑判決を受けた方がメッセージとして強烈だったように思う。
斯波が言うように介護士は不足している。
僕の為にも、待遇改善を図り将来に備えて欲しい。

子連れ狼 子を貸し腕貸しつかまつる

2025-02-24 08:36:50 | 映画
「子連れ狼 子を貸し腕貸しつかまつる」 1972年 日本


監督 三隅研次
出演 若山富三郎 富川晶宏 露口茂 真山知子
   藤田佳子 内田朝雄 渡辺文雄 伊藤雄之助
   内藤武敏 加藤嘉

ストーリー
子を乗せた箱車に、“子を貸し腕貸しつかまつる”墨痕鮮やかな旗差物たなびかせて進む狼人の姿が、街道の人々の眼を惹いていた。
人呼んで“子連れ狼”。
いかに困難な依頼も必ず果たす凄腕の刺客と恐れられている拝一刀親子流浪の姿だった。
その拝一刀(若山富三郎)の胸には、柳生一族への怒りと恨みが激しく燃えていた。
拝一族が勤める公儀介錯人の役職を狙った烈堂(伊藤雄之助)率いる柳生一族は、一刀に“徳川への反逆”の汚名を着せ、職を追い、妻(藤田佳子)をも殺害したのだった。
この窮地を脱した一刀は一子大五郎(富川晶宏)と共に、血と屍の魔道に生きることによって、怨念を柳生一族に叩きつけようとした。
ある日、殺しの依頼がきた。
依頼者小山田藩江戸家老市毛(内藤武敏)の狙いは、国家老杉戸監物(内田朝雄)一味の、世嗣暗殺計画を壊滅させることだった。
一味が、世間のはみ出し者たちばかりが寄りつく峡谷の湯治場にひそんでいることを知った一刀は、早速目的地に向った。
子供連れと侮りいたぶる無法者たちの暴言暴挙にも耐えた一刀は、枕探しお仙(真山知子)の命を救うため衆人のなかで、彼女と肌を合わせる恥辱に動ぜず、ただひたすら時を待った。
暗殺計画決行を伝えるため監物が湯治場に姿を現わし、その機会がやってきた。
計画遂行のためには手段を選ばぬ一味は、秘密維持のため湯治客の皆殺しを図った。
騒然となった湯治場の中を大五郎を乗せた箱車を押した一刀が、一味に向って進んでいった。
手裏剣の名手紋之助(松山照夫)、道場破りのしがらみの丹波(波田久夫)など曲者ぞろいを相手に一刀の業物同太貫の豪剣が唸っれた。
そして箱車が武器に一変し、小山田三人衆も、監物も倒れた。
累累と横たわる屍を残して一刀は立ち去り、涙で見送るお仙の瞳に大五郎の可愛い笑顔がにじんで消えた。


寸評
かつて人気を博した時代劇漫画があった。
漫画アクションに連載された小池一夫原作・小島剛夕画の「子連れ狼」である。
ドラマ化されて、主人公の拝一刀をテレビは萬屋錦之助、映画は若山富三郎が演じた。
「しとしとぴっちゃん、しとぴっちゃん・・・」という橋幸夫の歌う主題歌も大ヒットして、人気歌手だった橋幸夫を復活させた。

拝一刀は冥府魔道に生きる鬼となって殺戮と非道の刺客道をたどるのだが、一子大五郎にその事を告げて生死のどちらを選ぶかを決めさせる。
胴太貫を選べば父と共に刺客道を行き、手まりを選べば母の待つ黄泉の国へ送ってやるつもりだったが、大五郎は本能的に胴太貫を選んだ。
こうして子連れ狼のありかたは決められた。
親子はどちらが先に死のうが、それが宿命ならば仕方がないと言う覚悟が出来ており、それだけに立ち廻りは壮絶なものである。
父なれば子の心を、子なれば父の心をという結びつきが命を懸けた瞬間に発揮される。
親子の断絶を真っ向否定する結びつきである。
大五郎は拝一刀が繰り広げる修羅場を、瞬きもせず見つめている。
大五郎が見ている世界は、今で言えば紛争地の子供たちが見ている世界と同じなのだ。
大人たちの殺し合う姿を子供の目を通すことで、当時の紛争を批判していたのかもしれない。

僕は現役時代に物流センターへ出張に行った折、地元の名士でもある刀剣収集が趣味と言うセンター長のお宅を訪問して胴太貫を持たせてもらった。
錆びてはいたがズシリと重かった。
こんな重い物を振り回していたのかと、武士の腕力の凄さを体感したのだった。
大五郎が乗っているのが箱車である。
いわゆる乳母車なのだが武装されていて、その仕掛けも見どころである。
底に分厚い鉄板が張られており、手すりや取っ手に刃物が仕込んであり衝撃を与えると刃が飛び出す。
つなぎ合わせば長槍にもなるもので、ジェームス・ボンドも顔負けの装備品であった。

ケイン号の叛乱

2025-02-23 19:00:13 | 映画
「ケイン号の叛乱」 1954年 アメリカ


監督 エドワード・ドミトリク
出演 ハンフリー・ボガート / ホセ・ファーラー
   リー・マーヴィン / ヴァン・ジョンソン
   ロバート・フランシス / E・G・マーシャル
   メイ・ウィン / キャサリン・ウォレン

ストーリー
1943年、プリンストン大学を卒業したウィリー・キースは、ナイトクラブの歌手をしている恋人メイ・ウィンに別れを告げ、海軍少尉候補生として駆逐艦ケイン号に乗りこんだ。
ケイン号では艦を切り回しているのは艦長デヴリースではなく、むしろ副官のマリク大尉であったが、間もなく艦長交代が行われ、新艦長のクィーグ中佐が着任した。
ウィリーはクィーグのデヴリースとは正反対なキビキビした態度に感心した。
魚雷の曳航演習中、クィーグが1人の水兵を叱責することに夢中になって指揮を忘れたため魚雷の曳航綱が切れてしまうという事件が起きた。
この事故の説明のため、ケイン号はサンフランシスコに入港し、ウィリーはメイとともに休暇を過ごした。
休暇が終わって艦に帰った乗組員たちは艦長が事件の責任を部下一同になすりつけたことを知った。
クィーグへの信頼は一挙に失われた。
ケイン号は直ちに機動部隊に加ってクェゼリン群島に向かったが、この上陸作戦でクィーグは満足に任務が遂行できず、大変な臆病者であることを暴露してしまい、インテリのキーファー大尉は彼を偏執狂だといった。
事実、クィーグは冷蔵庫の苺が紛失したといって乗組員の身体検査をする有様だった。
そんな矢先、艦は猛烈な台風に遭遇し、艦長に指揮を委せていたら沈没も免れぬと思ったマリクは決然クィーグに反抗して艦の指揮をとり、皆の応援を得て艦を救った。
艦はサンフランシスコに帰港し、マリクとウィリーは反逆罪で軍法会議に附されることになった。
体勢は明らかにマリクたちに不利だったが、弁護人グリーンウォルド中尉は巧妙な質問で2人の無罪の判決を勝ち取ったのだが・・・。


寸評
ハンフリー・ボガートが珍しく嫌われ役をやっている。
前半はハンフリー・ボガートが演じる艦長の人となりが描かれる。
人となりと言っても艦長の悪い面ばかりで、やたら細かいことに執着し、自分のミスを認めず人のせいにする。
臆病者で海岸までの教理を偽って逃亡を図るなどで、乗組員たちとの確執がメインとなっている。
戦争時において、もしも指揮官の判断能力が劣っていたらというタブーに挑んだ作品と言える。
冒頭で、海軍で叛乱が起きたことは一度もないとの言い訳めいた但し書きが表示されるのは、たぶん撮影に協力したであろうアメリカ海軍への配慮だったのだろう。
小説を執筆中のキーファー大尉は艦長のクィーグを偏執狂と決め込んでいる。
キーファー大尉の主張はもっともだと思われるが、それでも副官のマリク大尉は艦長を擁護している。
軍隊における命令とはそういうものなのだろうが、命じられれば疑問に思っていても乗組員は服従している。
前半における二人の大尉、組織の上下関係を重視するマリク大尉と、冷静に客観的な意見を述べるキーファ大尉のキャラクターは後半に効いてくるので描き方は重要なのだが、上手く処理されている。
やがて艦長の無能ぶりが露呈して、マリク大尉がケイン号を操縦することになるが、命令系統を重視していたマリク大尉が指揮権を奪う決断をするのが前半の山場となる。


マリク大尉が指揮権を奪ったことは軍率違反の可能性があり、彼はキースと共に軍法会議にかけられることになってしまう。
後半はその裁判劇である。
後半の裁判劇では何と言ってもマリク大尉の弁護人グリーンウォルド中尉を演じたホセ・フェラーの頑張りだ。
不利な裁判で、やる気があるのかないのか分からない態度を見せながら見事な反撃を試みる。
最後にマリク大尉の無罪を勝ち取るが、圧巻はその後でのパーティーでぶちまける彼の思いである。
裁判で自己保身に走る乗組員が出てくるが、グリーンウォルドは彼への非難だけではなく、乗組員全員の責任も指摘する。
そして前線で過酷な戦いに身を置いてきたクィーグ中佐に同乗の言葉を添えている。
この裁判劇がむしろこの作品の言わんとするところである。
登場人物全ての、人としてのありようを問うている。
問われてみれば、自分の過去を振り返ってみると思い当たるふしがあるのだ。
寄らば大樹の陰、朱に交われば赤くなる、とどのつまりが自己保身、人が行ってしまう哀しい習性だ。


途中でキースとメイの恋の顛末が挿入される。
キースはマザコンのような所があり、メイはそれが不安で二人の仲は微妙だ。
しかしキースの母親を含めた三人のエピソードははたして必要だったのだろうか。
描かなければ女性が登場しない映画になってしまうからなのかもしれないが、母親との関係や結婚に至るまでの経緯などがなく、なくても良かったような気がする。
作品の評価は高いらしいが、僕はそれほどの作品とは思えなかった。
たぶんメイの話が余分だと感じたからだろう。
先日NHKのBSで放映されたので再見したが、印象は変わらなかった。

道頓堀川

2025-02-22 20:32:19 | 映画
「道頓堀川」 1982年 日本


監督 深作欣二
出演 松坂慶子 真田広之 山崎努 佐藤浩市
   渡瀬恒彦 加賀まり子 柄本明 古舘ゆき
   カルーセル麻紀 名古屋章 大滝秀治
   横山リエ 花井優 浜村純 安倍徹

ストーリー
邦彦(真田広之)がまち子(松坂慶子)に会ったのは、母の納骨の日の早朝だった。
彼が大黒橋の上で道頓堀の絵を書いている時に、足の悪い犬を追ってきた彼女と会ったのだ。
邦彦は道頓堀川に面した喫茶店「リバー」の二階に住み込み昼は美術学校に通い、夕方からは店で働いていた。
「リバー」のマスター武内鉄男(山崎努)の一人息子・政夫(佐藤浩市)は邦彦の高校時代の同級生であり、日本一の玉突きの名人になるといい武内と衝突、家を出ていた。
武内は精進おとしだといって、邦彦を行きつけの小料理屋「梅の木」に連れていった。
邦彦はそこでまち子に再会した。
彼女は店のママで、もとは芸者だが今は不動産業を営む田村(安倍徹)がパトロンだった。
その日から邦彦はカンバスにまち子と足の悪い犬の絵を書くようになった。
しばらくして犬がいなくなり、邦彦とまち子は道頓堀川筋を探したが見つからなかった。
そのお礼にとまち子は邦彦を夕食に誘い、その夜「梅の木」の二階で二人は結ばれた。
ビリヤードで次々と勝っていた政夫は試合に必要な金を作るために、邦彦が学資を払うために高利の金を借り、返済に困っているとまち子をだました。
政夫の裏切りを知った邦彦は「リバー」に置き手紙を残して店を出た。
息子の不始末を知った武内は政夫を探して千日前のビリヤード「紅白」を訪れ、そこの女主人ユキ(加賀まり子)から政夫が東京まで勝負に出かけたこと、そして、ユキがかつてビリヤードしていた武内にどうしても勝てなかった玉田(大滝秀治)という老人の孫娘であることを知らされる。
武内は息子と未来を賭けて勝負しようと思い「紅白」で特訓を始めた。
その頃まち子はパトロンと別れアパートを借り、邦彦と生活しようと邦彦を探して口説いた。
邦彦が学校を卒業するまでの二年間だけでいいから一緒にいたいというまち子に、邦彦は大きくうなずいた。
「紅白」では東京から勝負に負けて帰った政夫と武内の試合が始まった。
試合中に武内は政夫が幼ない頃、ビリヤードのために妻の体を他の男に売り、金を作ったことを告白した。
父と子の争いを見ていられなくなった邦彦は外へ出ると、「リバー」の常連のかおる(カルーセル麻紀)が、幇間の石塚(柄本明)に包丁を振りかざしているのを見た。
それを止めようと邦彦は二人の間に入るが一つきに刺されてしまう。
帰りの遅い邦彦を待ちながらまち子は窓の外を見ると、いなくなったあの犬がエサを漁っていた。
犬を抱き上げ頬ずりするまち子の後を、赤く点滅させたパトカーが、道頓堀の方向へ消えていった。


寸評
大阪ミナミの街を背景にして、暗い過去を背負い、厳しい現実と向き合う個性豊かな男女を配して、鉄男と政夫の確執を絡めながら、邦彦とまち子のせつないラブストーリーが描かれていく。
喫茶店「リバー」を経営する鉄男は凄腕のハスラーだったが、息子の政夫が同じ道を歩もうとしているので「お前の玉突きは博奕と一緒や」と非難する。
そんな父親を息子は嫌悪して親子の確執が生じている。
まち子は小料理屋のママだがパトロンがいる。
その他にも、覚せい剤に溺れてすっかり落ちぶれたハスラーの渡辺(演・渡瀬恒彦)や、彼の妻で邦彦と政夫の同級生だった踊り子のさとみ(演・古舘ゆき)、殺気漂う幇間の石塚に貢ぐオカマのかおる、娘時代に鉄男に助けてもらったという陰りのあるビリヤード店の店主ユキなど、誰もが個性豊かだ。
大国橋で二人は「何をしてええのかわからへん」と言う。
ただ毎日を平凡に過ごしているだけの二人は道頓堀と言う閉鎖社会でしか生きられない似た者同士なのだ。
鉄男は「道頓堀でにぎやかに暮らしている人間は、心の中で何か寒い風が吹いとんのとちゃうやろか」と言うのだが、それは登場人物たちに内在しているものだと思われる。
道頓堀を舞台にし純情物語だが、しかし、今の道頓堀からはこの映画のような世界は想像できない。
インバウンドの人々でごった返す道頓堀は、この頃の道頓堀とは随分変わってしまった。
もっとも僕はミナミ派ではなくキタ派だった。
この物語はキタには似合わないと思う。

旗本退屈男 謎の竜神岬

2025-02-21 09:37:57 | 映画
2019/1/1より始めておりますので10日ごとに記録を辿ってみます。
興味のある方はバックナンバーからご覧下さい。

2020/8/21は「アイズ・ワイド・シャット」で、以下「愛と喝采の日々」「愛と哀しみのボレロ」「愛と青春の旅だち」「愛と追憶の日々」「愛の渇き」「愛のむきだし」「逢びき」「アイリス」「アウトレイジ ビヨンド」「アウトロー」と続きました。

「旗本退屈男 謎の竜神岬」 1963年 日本


監督 佐々木康
出演 市川右太衛門 里見浩太郎 桜町弘子
   美空ひばり 東千代之介 北条きく子
   堺駿二 山形勲 八代万智子 清川虹子
   沢村精四郎 阿部九洲男 上田吉二郎
   平参平 和崎隆太郎 小田部通麿

ストーリー
玄海灘の怒涛に臨む竜神岬は、天刑病舎があるため世人が恐れ近づがぬ謎の岬だった。
ある夜、この岬から医師祐軒(村居京之輔)と大橋(和崎隆太郎)が逃亡を企て、重傷を負った大橋は祐軒の家にたどり着いて息絶えた。
祐軒の娘みゆき(北条きく子)は父の身を案じて岬へ向ったが覆面の一団に襲われた。
危機を救ったのは折よく来合わせた早乙女主水之介(市川右太衛門)の諸羽流青眼崩し。
主水之介は黒田藩に武器弾薬などの禁制品密輸入の疑いありとして、探りに来たのだ。
父の安否を尋ねて家老桜井兵部太夫(山形勲)を訪れたみゆきは、意外にも監禁され、隙をみて抜け出したところを目付役早川左馬助(東千代之介)に助けられた。
助手である網元の若主人若十(里見浩太郎)と連れだって岬にやって来た主水之介は、強引に病舎を案内させ何事かを掴んだ。
折から満月の夜が訪れ、主水之介は桜井が竜神岬に出かけたとの注進を受けて駆けつけた。
潮が満ちて日頃海面の上にある洞窟が格好の水路となり、華麗な地下の大広間に次々と密輸品が運びこまれていた。
洞窟に忍び入った主水之介は、芳蘭(美空ひばり)と名乗る不思議な女に会った。
先代黒田侯と恋仲だった彼女は兵部太夫の策略により侯が命を絶つと、その復讐だけを生き甲斐に機をうかがっていたという。
明けて博多名物どんたくの日、大広場には城主忠継(沢村精四郎)の席も設けられその最高潮に達した時天刑病人の不気味な一団が押しよせて広場は騒然となった。
それをみて兵部太夫らは忠継公を包囲した。
慌てふためく役人、町人共の中にゆうぜんと割って入った男、主水之介だ。
人々の制止も聞かず一群にとびこむと、病人を装った逆賊を相手に獅子奮迅の大活躍。
修羅場と化した広場も、左馬之助の活躍もあって騒ぎは収まった。
お家乗っ取り、さては幕府顛覆を計った兵部太夫も主水之介の慧眼の前に崩れ去ったのである。


寸評
かつて「チャンバラ映画」と呼ばれ愛された時代劇が存在していた。
チャンバラとは刀で斬り合う音と様子を表すチャンチャンバラバラの略で、斬り合いををクライマックスにした作品のことで、子供の頃は仲間たちとチャンバラごっこをして遊んだものだ。
「旗本退屈男」はその中の代表的なシリーズで、合計30本が制作され「旗本退屈男 謎の竜神岬」は最後の作品である。
リアル感のないこの時代劇スタイルは過去のものとなっている。
主演は市川右太衛門で旗本退屈男は彼の代表作兼代名詞でもある。
衣裳は超派手で、額に真っ赤な三日月の刀傷がある。
どだい刀傷があんなにまっ赤な筈はないのである。
派手な衣装は大柄な右太衛門には似合っていたので、不思議と違和感がなかった。
そして悪と対決する前にお決まりのセリフを吐く。
「人呼んで退屈男、天下御免の向こう傷、直参旗本・早乙女主水之介(さおとめもんどのすけ)、諸羽流正眼崩し(もろはりゅうせいがんくずし)、剣の舞のひと差し舞って見せようか」
このセリフが出ると待ってましたとばかりに拍手喝采なのだ。
彼のセリフは「まかり通る」など大層なものが多いのだが、それも旗本退屈男の雰囲気作りに一役買っていた。
退屈を前面に出しているので、極めて明るいチャンバラ映画であった。
僕は後半の作品しか見ていないが、戦前から撮られていて全て市川歌右衛門が主演しているからすごい。
33年間にわたり同一人物を演じていたことになるから、あの「男はつらいよ」の渥美清より長いということで、その事に驚いてしまう。
昭和の歌姫・美空ひばりはこのシリーズの何作かに出演しているが、最後となるこの作品でも出ている。
この作品では脇役だが、美空ひばりは東映の中では女優として唯一プログラムピクチャの主役を張り続けることが出来た人だ。
歌手として不世出の歌い手であったが、女優としての出演作も多い稀有な存在であった。

退屈男はプログラムピクチャのシリーズ物なので毎回同じパターンである。
退屈男の早乙女主水之介は1200石の直参旗本であるが、無役のため何もすることがなく、退屈ばかりしている。
そこでブラリと出かけると、待ってましたとばかりに事件が起きる。
この男は退屈して困っているものだから、退屈しのぎで首を突っ込んでいく。
女にもてて、腕っぷしが強いから深みにはまってもビクともしない。
最後は派手な着流しに三日月傷を見せて流麗な立ち回りを見せて終わる。
このパターン、他の役者がやるとキザっぽくて決まらない。
右太衛門だから絵になったのだ。
映画にとっていい時代だったのだと思うが、この作品の頃には陰りが見えていたと思う。

セプテンバー5

2025-02-20 08:38:57 | 映画
「セプテンバー5」 2024年 アメリカ / ドイツ


監督 ティム・フェールバウム
出演 ピーター・サースガード ジョン・マガロ
   ベン・チャップリン レオニー・ベネシュ
   ティム・フェールバウム ジヌディーヌ・スアレム
   コーリイ・ジョンソン マーカス・ラザフォード
   ベンジャミン・ウォーカー

ストーリー
1972年9月5日、ミュンヘンオリンピックでパレスチナ武装組織「黒い九月」によるイスラエル選手団の人質事件が発生した。
事件の発生から終結まで、その一部始終は当時目覚ましい技術革新が進んでいた衛星中継を通して全世界へと生中継された。
だが、全世界が釘付けになったこの歴史的な生中継を担当したのは、ニュース番組とは無縁のスポーツ番組の放送クルーたちだった。
エスカレートするテロリストの要求、錯綜する情報、機能しない現地警察。
全世界が固唾を飲んで事件の行方を見守るなか、テロリストが定めた交渉期限は刻一刻と近づき、中継チームは極限状況で選択を迫られる。


寸評
ミュンヘンオリンピックにおける「黒い九月」が行ったテロ事件を扱った作品として、スティーヴン・スピルバーグ監督の「ミュンヘン」がある。
「ミュンヘン」は当時のゴルダ・メイア首相と上級閣僚で構成された秘密委員会がイスラエル諜報特務庁(モサド)に対して、ミュンヘンオリンピック事件に関与した者の情報収集を行なわせ、これに基づき委員会は暗殺の対象者を決定して、アヴナーという工作員をリーダーに暗殺計画を実行していく、ミュンヘンオリンピック事件の後日談であった。

本作はテロ事件を現地から生中継した人々の視点から描いたサスペンスである。
シーンのほとんどがオリンピック中継のための現地コントロールルームを主な舞台とする放送スタジアムに限定されている。
あの狭い空間だけのやり取りで緊迫感を生み出したのは立派だ。
スタジオはテロ現場ではなく、彼らが襲われることはないのに緊張感が途切れない。
政府、警察の対応の不手際もあったようだが、そのことは描かれず彼らの実況中継で警察の動きが犯行グループ側に筒抜けだったことだけが取り上げられている。
実行犯の再現シーンなどを盛り込まず、あくまでもテレビクルーの判断や行動に絞り込むことで、ドキュメンタリーのような効果を生み出している。
1時間半ほどにまとめ上げているのもよい。
本当にあったことだと分かっていると、殺人などが起きなくても、狭いスペースでも、サスペンスが描けると言うことを証明した作品だ。
最後に事件の結末がテロップされるが、その後に起きたイスラエルによる報復は示されなかった。
いつも思うことなのだが、民族と宗教による対立の根深さは僕の想像を超えるもので、すべての人が平和を望んでいるはずなのになぜ紛争は起きてしまうのだろう。

トロイ

2025-02-19 07:08:04 | 映画
「トロイ」 2004年 アメリカ


監督 ウォルフガング・ペーターゼン
出演 ブラッド・ピット エリック・バナ オーランド・ブルーム
   ダイアン・クルーガー ショーン・ビーン
   ブライアン・コックス ピーター・オトゥール
   ブレンダン・グリーソン ジュリー・クリスティ
   
ストーリー
長年に渡って戦いが繰り返されていたトロイとスパルタの間に和平が結ばれた日、トロイ王子パリスはスパルタの王妃ヘレンと禁じられた恋に落ち、駆け落ち同然にトロイへと彼女を連れ帰ってしまう。
ヘレンの夫であるスパルタ王メネラオスはこれに激怒し、ギリシアの諸王国の盟主にしてメネラオスの兄であるミュケナイ王アガメムノンを頼る。
アガメムノンはこれを口実にトロイを征服しようと、ギリシア連合軍によるトロイ侵攻を決定した。
ギリシアの勇者アキレスは自分や兵士たちを駒としか見ていないアガメムノンに対して不満を抱いていたが、親友オデュッセウスの頼みを受け、自分を尊敬する従弟のパトロクロスを伴ってトロイへと赴く。
先陣を切って飛び込んだアキレスとミュルミドンは瞬く間に浜辺を守るトロイ軍を蹴散らし、アキレスは救援に駆けつけたヘクトルに再戦を約束して引き上げた。
アキレスが自分の指示を無視した事に腹を立てたアガメムノンとの敵対関係は決定的なものとなり、アキレスは戦闘を放棄した。
パリスは戦争を終わらせて故郷を救うため、メネラオスとの一騎討ちに挑むことを決意する。
パリスは防戦一方に追い込まれて助けを求め、ヘクトルは約定を破って助太刀してメネラオスを殺してしまう。
激怒したアガメムノンは一斉攻撃の命令を下すが、アキレスとミュルミドンを欠いたギリシア軍はヘクトル率いるトロイ軍に打ち負かされた。
自軍の窮状にもかかわらず戦わないアキレスに耐えかねたパトロクロスは、アキレスの影武者としてミュルミドンを率いて戦場に赴きヘクトルに挑むが敵わずに討たれ、ヘクトル、トロイ軍、ギリシア軍は、アキレスと思っていた人物の正体がパトロクロスであったことに衝撃を受けて戦いを止めた。
パトロクロスが殺されたことを知ったアキレスは激怒し、たった一人でトロイ城門の前まで戦車を走らせヘクトルとの決闘に挑みヘクトルを討った。
度重なる敗戦にギリシア軍は勝算なしと見て撤退の準備を進めていた。
しかしオデュッセウスは兵士が子供の土産にと作っていた木彫りの馬を見て起死回生の作戦を思いついた。
トロイへの供物として巨大な木馬を造って撤退したと見せかけ、木馬がトロイに運び込まれたら中に隠れた兵士が門を開け、待機していた軍勢で攻め込もうというのだ。
アキレスはミュルミドンたちを帰還させ、心を通じ合ったトロイのブリセイスを助けるため木馬の中に乗り込む。
木馬の策略に騙されたトロイは、瞬く間に炎上する。
ギリシア兵による一方的な破壊と略奪が市民を襲う中、アガメムノンはプリアモス王を殺し、ブリセイスを捕えるが逆に刺殺される。
ブリセイスを探し求めるアキレスはとうとう彼女を助け出すが、そこに兄ヘクトルの復讐に燃えるパリスが現れ、アキレスに矢を放つ。
踵を射抜かれて崩れ落ちるアキレスはさらに胸に矢を受け、ブリセイスに逃げるよう伝えて息絶える。


寸評
僕は歴史物が好きなので「トロイ」も劇場で見たのだが、期待したほどの作品ではなかったと思った記憶がある。
NHKのBSで放送すると言うので手元のパンフレットを見返したが、やはり感激は湧いてこなかった。
先日のテレビ放送で再見しても、やはり感想は変わらなかった。
描かれているどれもが中途半端な描き方で、どこに思い入れを持てばよいのか分からないのだ。
トロイ王子パリスとスパルタの王妃ヘレンとの禁じられた恋の描き方は深くはない。
アキレスとヘクトルの従妹で捕虜となったブリセイスとの関係も同様だ。
アガメムノンとアキレスの確執も図式的に描かれているだけなので、アキレスの参戦が劇的な物に見えない。
戦いのスペクタクルも大軍をCG処理で見せながら描かれているが迫力に欠けている。
衣裳的に敵と味方の区別がつきにくいので乱戦になっているだけの印象である。
内容的にどこまでが史実あるいは神話に忠実かは知る由もないが、ギリシャ神話のトロイの木馬が描かれるのは当然だろう。
アキレスはトロイ戦争に参加し、たった一人で形勢を逆転させ、敵の名将を討ち取るなど向かうところ敵なしの力を誇ったが、戦争に勝利する前に弱点の踵を射られて命を落とし、アキレス腱の由来となった話も盛り込まれている。
断片的に知っている事柄の確認としては都合の良い作品だが、僕はイマイチのめり込むことが出来なかった。
だから20年経っても同じ感想を持ったのだと思う。