みっく・じゃがの「ひとりごと日記」

日々思うこと、考えること、時には写真も

ウズベキスタン産・カモミールを染めて織る

2015-01-27 12:09:46 | 日記

    昨年、夫がパミール高原に旅行してウズベキスタンでカモミールを買ってきてくれたという話をしました。

           これですね、カモミール(ウズベキスタン産)

          

             これを染めたのがこれです

             シルク平巻糸1/6

          

    その後、他のものを織ったり、教材を作ったり、染めをしたり、

            やっと、今日、織り上げました。見てください。

            

                   マフラー 幅40㎝ 長さ220㎝          

          この技法は《蜂の巣織り》というものです。

          先日の《ワッフル織り》というものと似ていますが、共に【特別組織】という部類に属します。

          浮き上がっている部分と沈んでいる部分が交互になっていて、ハチの巣を思わせるということでしょうか。

          もちろん、裏はその逆の模様織りになっているわけです

          模様のアップは こちらからどうぞ。

 

    やっと、これでパミール土産の染色材料は終わりました。

    「どうなった、どうなった」とうるさくせっついていた夫も、やっとこれでおとなしくなるでしょう。

    これで、小物はひとまずお休みして、いよいよ絵織りの大作に入ります。

    まずはドロウイングをしますので、今日から、私は絵描きになります。

    教材もまだ足りないので心残りですが、そんなことしていると個展はできませんので、

    ここらあたりで思い切らねばならないのです。

    せめて体が二つほしい・・・私です。

          

          

          

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教材ラッシュ!

2015-01-16 11:42:17 | 日記

    いつも言っていますが、カルチャースクールで教えるのは好きではありません。

    カルチャースクールだけではなく、教えること自体が得意ではないのです。

    『教える』と簡単に言いますが、優しく教えられるか、厳しいけどきっちり教えられるか、

    私は後者を取りたいのです。

    せっかくお金を出して習うのに、いい加減な妥協で教えられるとしたら、

    私ならゴメンです。

    時代も違うのでしょうが、私が習っているときは、お金を払っていても「教えていただく」気持ちでした。

    厳しいこともずいぶん言われましたが、そんなことがあって「今の私がいる」、そう思えます。

    でも、今は生徒に厳しいことも言えず、「まぁ、それでもいいかな?」などと言っている私です。

    以前、二人の生徒さんに、この人たちは、しっかり習ってきている人たちなので、私が習ってきた厳しさを伝え、

    「こんなふうにしたら止めたくなる?」と尋ねたところ、

    二人ともはっきりと「はい、止めます。だってお金払って、そんな気分悪いこと嫌です」と言いました。

    はぁぁ、彼女たちでさえ、そうなんだな、とガッカリしました。 

    自分を抑えて、いい顔して教える・・・その時間が、果たして自分にとって有意義なことか・・

    そんなことで、カルチャースクールは止めたいといつも思っているのです。

    そんな私に教えられる生徒さんたちは気の毒です。(自虐のセリフ)

    で、12月で終了しようと思っていたところ、生き生きとしている生徒さんたちを前に言えず、

    それでは3月で辞めよう!と思っていたところ、年末28日に事務局担当者から電話があり、

    「先生、新年1月5日に体験希望の人が4人います。材料は間に合いますか?」とのこと。

    28日で5日だぞーーと思いましたが、体験教材はいつも用意しているので「大丈夫です」と応えました。

    ところがところが、です。この4人とも「次回からレッスンお願いします」ときましたねぇ。

    しかも、レッスン中に突然の見学者  この方も「次回からお願いします」ですよ。

    合計5人も増えることになったのです。

    それで「3月で辞めます」なんて言えますか 言えませんよねぇ。

    教材は46まで作っています。一番古い人が「次は?次は?」という勢いでいます。

    辞めるつもりだったので、教材も作らずにいたのが、そうもいかなくなり、急きょ作ることになりました。

                テーブルセンター

             

             「レイドイン」という技法です。

             緯糸を織りながら模様を入れながら織ります

             

                  沖縄花織りのコースター

             

              沖縄読谷村に伝わる織りです。

              これも一見刺繍に見えますが、織りながら刺繍糸で模様を入れて織ります。

              細い糸を使い、2本どりで詰めて織ります。

         

                       織成(しょくせい)織りの壁掛け

                 

                      織成(しょくせい)というのは奈良の正倉院宝物殿にも

                      納められている日本古来の織り方です。

                      枠を織りながら、透けた織りの中に模様を織りいれます。

 

    偶然ですが、この3作品は裏を見て織ります。

    特に、丸みを出す模様(花・葉・花瓶)は裏を見て織り、織りあげた裏こそが表になるのです。

    そんなわけで、短期間にこれだけ作りましたが、まだ続きます。

    心では、そんな暇はないと思いつつ、試練の日々()が続きます。

    

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ケヤキを染めて織る

2015-01-13 19:43:20 | 日記

    昨年11月に染めたケヤキを織りました。

    私は生の植物は基本的にミョウバンを媒染剤として使います。

    理由は、できるだけ生の色にしておきたいからです。

    鉄や銅で媒染すると、化学の力が加わるからです。

    ですが、11月に手に入れたケヤキは、どうも染め上がりの色が薄くて存在感がなくて、

    鉄媒染してみることにしました。

    11月に染めたケヤキ・鉄媒染です。(絹平巻糸1/6)

    

    今までのケヤキはミョウバン媒染で、赤茶色の落ち着いた色に染まっていました。

    それが、わがマンションの庭木はどういうわけか、今回は弱かったようです。(そんな表現が正しいかな?)

    そのため、2綛だけは鉄媒染にしました。

    さて、お鍋の中の糸を繰りながら、織りは『ワッフル織り』にしようと決めていたので、

    暮れから織り機に『ワッフル織り』仕様で、糸をかけておきました。

    昨日、織りあがりました。(27×200cm)

    4枚綜絖で5羽筬(1㎝=5本)で織りました。

      

    なぜ、『ワッフル織り』というか、それは織り上がりの模様がワッフルに似ているからです。

    大写しは下記写真をクリックしてください。

      

    この模様織りはウールの糸のほうが映えるかもしれません。

 

    暮れから体調が悪かったり、正月にかけて京都へ旅したり、そのほかイロイロあったり、

    遅れましたが、新年一発目の作品です。

    この≪織り≫という作業は、私の心を真っ白にし、雑念を払いのけてくれました。

    カルチャースクールの教材が底を尽いていて、その作業もありつつ、

    これからは個展作品に専念したいと思っています。

    あっ、娘の嫁入り仕度もあるんだった・・・

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悲しい話

2015-01-08 20:11:09 | 日記

    2015年も始まり、すでに歩き始めています。

    いろいろの方から年賀状をいただき、笑ったり感心したりして読んでいます。

    そんな中、夫の大学の寮の友人で家族ぐるみの付き合をしてきたS氏から

    珍しく年賀状が来なくて「どうしたのかしら?」と言っていたのです。

    ところが、共通の友人T氏の年賀状に「Sが去ってから寂しくなりましたね」と書いてあったのです。

    「えっ!?どういうこと?」とT氏に電話をかけてみて、夏にS氏が亡くなっていたことを知りました。

    私たちの驚きと悲しみは突然やってきました。

    家族ぐるみでお付き合いをして、奥さまとも知り合っていたのに、なぜ?

    家族葬だったと聞きましたが、親しくしていた友人にも亡くなったことを知らせてもらえないんでしょうか?

    せめて、葬儀が終わったあと、または年賀状の時期に「喪中につき・・・」というお知らせもないとは・・・

    T氏は同じ地域で医者をしている同士という縁があるから知っていたと言います。

    「私たちって、そんな存在でしかなったのね」とか「私たちには知らせないようにという遺言でもあったのか」

    とか、いろいろな気持ちが錯綜しました。

    いずれにしても悲しい話です。

    奥さまやご家族のお気持ちは、私たちには図るべくもありません。

    私の夫は自分が先に死んだとして、誰にも知らせなくていい、家族だけで見送ってくれと言っています。

    それでも、私は生前仲良くしてくれた友人には、死後にでもお知らせするつもりでいます。

    このマンションでも、最近はだんな様が亡くなっても内緒にしている方が増えました。

    奥さまは「亡くなったことを信じたくない」という愛情でそうさせているのか、と思ったりします。

    ですが、そんなことは、大事なだんな様が生きてきた証(あかし)を否定することだと思うのは私だけでしょうか?

    S氏の死去はその事実の悲しみとともに、夏から今まで他人から知らせてもらうまで知らなかったという悲しみで、

    私たち夫婦は、当分立ち直れそうもありません。

    

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外国と仲良くするということ

2015-01-06 17:06:28 | 日記

    年末から京都へ行っていましたが、皆さん「京都は中国人が多かったでしょ?」

    という言葉をかけられました。

    昨日から始まったカルチャースクールでは「秋に京都に行ったのに中国へ行ったみたいだった」

    という声があり、笑いました。

    たしかに、中国の方々は多いです。

    でもその他の国々からもたくさん来てますよね。

    この狭い日本に、なぜに 大勢が外国から来るのか、

    テレビで観ましたが「日本は安全で国民が優しいから」という声が圧倒的です。

    まずはインターネットからの情報でしょうが、私たちが注目していないところまでも

    外国の方々は入り込んでいます。

 

    以下書くことは 決して中国を貶しているのではないことを最初に明言しておきます。

    中国では江沢民の教育方針によって、幼い時から「日本は鬼畜」と教えられてきました。

    それによって日本をけなすことは愛国という言葉で、どんなことも許されるのです。

    ですが、昨今、インターネットにより、日本の状況を見て「行ってみたい国」になっているようです。

    そして、訪れてみた。。。どうでしょう。

    日本の自由と安全、食べ物のおいしさ、女性のおしゃれ、買いたい商品の多さ、国民の温かさ、等々。

    「日本はそれほど悪い国ではない」と思って帰国して、インターネットに書き連ねているようです。

    そういう人が多くなればなるほど、中国人民が抱く日本への好感度が定着して、

    やがて、日中両国は 中国共産党や日本政府の思惑にかかわらず、良好な関係へと進展するはずです。

    そんなことを、ふと考えたりしています。

    写真は行きつけの餃子屋さんから数年前にいただいた正月のお守りです。

        

    新宿にあるこの店は、初め、シュウマイ屋さんでした。

    さまざまなシュウマイがあり、おいしいタレで頬ばって食べたものでしたが、

    東日本大震災でフクシマの原発が暴発したとき、慌てて逃げ出して帰国してしまいました。

    大丈夫!と思ったか、帰ってきたときは別人になったのか餃子屋さんになりました。

    餃子もおいしいですよ。でも、あのシュウマイが食べたいなぁ~


    皆様に ご心配いただきました左手親指付け根の腱鞘炎ですが、今日、整形外科で診察を受け

    「ここらで治療を休みましょう」とドクターから言われました。

    聞くところによると、まったく元には、もう戻らないとのこと。

    一度壊れた筋は元には戻らないのですね。

    電気治療を受けて、劇的に良くなりまして、この正月休みに、治療をしなかったわりには、

    特に痛みも出ませんでした。

    低気圧が近づくと痛いこともありますが「そこのところは なだめつつ、共存していってください」ですって。

    「織り機に向かうときはサポーターを忘れずに」とも言われましたが、

    そんなことをしていると繊細な作業はできませんので、まぁ、ぼちぼちいきます。

    ご心配いただき、ありがとうございました。    

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新年のご挨拶

2015-01-04 14:15:10 | 日記

    遅ればせながら、明けましておめでとうございます。

    年末31日から家族3人で京都へ行っていました。

    娘が、今年春にやっと結婚、ということで、家族の思い出旅行をしました。

    計画は大学4年間、京都で過ごした夫が「思い出に残る絶景を紹介する」と言いまして。。。

    ところが、30日、私は「このまま死ぬかもしれない」と予感するほど体調を崩してしまいました。

    何だか知らないけど、体に力が入らず、頭痛がして、お腹の調子も良くない(ごめんなさいね)。

    31日は決死の覚悟で頭痛薬と下痢止めを持って新幹線に乗りました。

    食事は30日から摂っていないし、水だけ飲んでいてどうする!とも思いましたが、

    この辺りはO型の性格、「なんとかなるさ」と開き直って京都へ到着。

    この日は夜になって出かけ、八坂神社で年末を迎え、黒谷で除夜の鐘を撞く予定でした。

    清水寺あたりで雨が降ってきて、あとは本降り・・・

    いろいろ歩き回り、八坂では威勢のいいお兄さんから「さぁ、これからやでぇ」と

    言われましたが、もう除夜の鐘を撞くことを諦め、4条通りをゾロゾロ歩いてからバスに乗り

    駅まで帰りました。

    ふと振り返ると京都タワーです。

     

    むかし、このタワーを見ては「なんと愚かなものを」と思いましたが、

    今の京都の変わりようを見ると、このタワーが最も京都らしく思われます。

    夜空にそびえるロウソクのようでした。

    

    2015年1月元旦、ホテルの窓から見た初日の出です。

      

    元旦は伏見稲荷へ行くよ、ということで、JRを使いやってまいりました。

      鳥居ですね。一番新しい寄進者はTV朝日で2014年10月の寄進でした。ピッカピカでしたよ。

      

    千本鳥居にいよいよ足を踏み入れます

      

    ここへ来たかったんですよ!

    実は、右端に写っているのは、夫なのですが、私はモザイクの仕方がわからず、

    それでもこの写真を使いたかったので、写真を現像してから顔を隠してパチリして、

    そして載せました。

    どなたか、コメント欄でモザイクの方法を伝授してくださるとありがたいです。

    まったく、人の写真に、黙って顔を出すなっつうの!!

    しかし、その後、夫は「もうダメ!引き返そうよ!」と弱気の発言。

    そんなことできるか!と私たち女ふたりは頂上まで行きました。

    そうすると、こんな景色が一望できたのです。

      

    別れたところで待っていた夫は「寒かった。寒かった」と連発。

    確かに上では寒風が吹きすさび、寒かったですが、着てるものが「ポーラテック」という

    北極でも過ごせるもの、フードをかぶれば風も遮断します。

    元気いっぱいの女たちを従えて、弱気の夫は「ここでしか食べられないもの」として

    薦めてくれたものがこれです。『スズメの焼き鳥』

       

    3本セットで1800円也!

    子供のころ、北の国では〝焼き鳥”といえば『スズメ』でした。

    かわいそうと言えばかわいそうですが、私には「おいしかったもの」として記憶に残っています。

    むかしから 海外では 当地ものを何でも食べるという主義の娘は大喜びでした。

    伏見稲荷では《家内安全》の御札を買いましたが、もうひとつ。くっふふ

      

    《達成のかぎ》なんていうものを買っちゃいました。

    これ27㎝もあるんですよ。

    この《かぎ》を持って、私は今年の個展に向かうのです!!

    このあと、人に流されるように駅について、京阪電車で宇治に行きました。

    まだ、1度も来たことがない、いや?修学旅行で来たかな?

    覚えてないけど、私が「私だ」と思うようになってからは初めてです。

    宇治大橋から宇治川を眺めます。流れが速いのね。

       

    『源氏物語 宇治十帖』なども原語体で読んだにもかかわらず、この地へ来たのが初めてとは・・・

    しばし川面を眺めながら、物思いにふけりました。

    さて、次は平等院です。

            

    あまりに煌めいて、鳳凰は写りが悪いです。中にも入ってみました。

    早く帰らないと雪が本降りになりそうなので程々にしました。

 

    1月2日はずっと遠くへ上賀茂神社へ行きました。

    前日の大雪がウソみたいに晴れましたが、上賀茂神社は、この通りです。

      

    お日さまに雪がキラキラときれいでした。

      

    ここは、夫が「なんとしても連れて来たかったところ」だそうで、

    なるほど、眼下に見える京都市内はもとより、奈良の生駒のほうまで見える景色は最高です。

    神社の中は、時代劇ファンにはたまらない、有名なロケ地で、何度も見た景色がありました。

    その後、詩仙堂へ。

    ここは、結婚したばかりに二人で来たお寺です。その時は春でしたが、冬の、雪の詩仙堂は格別です。

      

       向きを変えて

      

    この美しさ、娘もいつまでも覚えておいてほしいです。

    散々 歩いて 疲れて、ふと見上げると、大文字山の『大』の字に雪が・・・

       

    この日のお昼ご飯は、夫が「連れてきたかった」と言う〔おめん〕。

    うどんやさんですが、ここで私は〈京のお雑煮うどん〉というものを食べました。

    京都で関西風のお雑煮を食べたかったのです。それに日本酒

    これで、すっかり私は元気になりました。 まだまだしつこく生きれそうです。

    ところが夫はその夜から熱を出して寝込み、翌日は娘と二人で京都水族館へ行きました。

    そんなこんなの京都旅行、雪で新幹線が少し遅れましたが、東京に戻ってきました。

    さぁ、明日はカルチャースクールが始まりまっす!

    今年もよろしくお願いいたします。      

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