今年は嫁の重病が1年間を占め、気が重くなるばかりの1年でした。
というわけで、年末も正月も息子一家や娘夫婦も集まらないことにしました。
それぞれの家で過ごす正月にして、我が家老夫婦もおせち料理を簡略化することにしました。
正月はテレビがつまらないので、こうなると読書しかありません。
私は中学時代に川端康成の文章が好きで生家の書斎にこもって読み漁りました。
私の家には亡き父が残した書籍が書斎にいっぱいあり、「勉強します」と言っては
ひとり書斎にこもって陽が落ちるころまでいろいろな本を読みました。
大人になった私はそのころの読書が私の人間を形成したと思っています。
だから私だけ家族のみんなと人間が違うのだと思っているのです。
川端の文はゾクゾクするような色気があり、一人情景を描いては心を揺れさせていました。
そのころの癖が残っているのか、その後好きになった山本周五郎の文では”行間を読む”ようになり、
文に表していないのに行間から溢れる情景を想像して心を熱くしていました。
高校生になってからは三島由紀夫の文で多すぎる表現に戸惑いながら読み続けました。
その三島は忘れもしない1970年冬、率いる『楯の会』の青年たちと市ヶ谷の自衛隊駐屯地に突入し、
自衛官を集合させ「立ち上がれ!」と演説をしました。
その様子はテレビ中継され、全国民をテレビの前に釘付けにしました。
立ち上がるどころか三島演説にヤジを飛ばす自衛官たちを見て「そうか、その気にならないのか」と
力なくつぶやいた三島はバルコニーから総監室に戻り、切腹をして楯の会幹部が介錯しました。
テレビでは、そのすべてを見ていた当時の総監の記者会見もありました。
自分の演説が自衛官に受け入れられ、クーデターが起こるとは思っていなかったと思っています。
自宅に運ばれた遺体を訪問する川端康成氏の顔は歪んで見えました。
なぜ、そんな行動をしたのか、知識のない私には創作に行き詰った末に、
死に場所を探した”三島の美学”ではないかと思えるのですが・・・どうでしょうか。
あれから50年余が過ぎ、私は三島の本をこの正月はもう1度読もうと購入しました。
3カ月前くらいに北大路欣也さんの映画『八甲田山』を観たくて初めてアマゾンを利用しました。
アマゾン会員になったので、今回も古い三島文学を購入しました。
図書館とか電子図書とか利用するのは苦手なので本を注文しましたが、
届いた本4冊は新品そのもので大満足です。
『豊饒の海』4巻
今年のお正月は三島文学一色です。
ベンガル猫のKUUです。
珍しく病の中にいます。
ここ2週間ほど毎朝食べたものを吐いているので様子見でしたが、
昨日はとうとう病院へ連れて行きました。
とにかく食べ物には好き嫌いがあり、ちょっと慣れると「もう飽きたわ」と食べないので、
食べ物はいろいろ替えてきましたが、中にはオヤツ感覚で『グルメ』というものも加えていました。
その一種を小さいからか10gほどを丸のみしていて、消化せずに硬いまま吐いていたのです。
さすがに、これでは病院へ行くしかないでしょう。
動物病院でありながら予約せねばならず、「それでは困る」と
予約と予約の間に横滑りさせてもらいました。
みんな主治医持ちです。
ウチのKUUにも主治医がいます。
触診ではわからず、血液を採ったりレントゲンを撮ったりしました。
慣れない初めての”仕打ち”だったせいか、暴れたようです。
検査室から出てきたKUUは、私に向かって恨めし気な顔をして見せました。
結果は「腸の動きが悪い」ということと「胃の動きがよくない」ということで、
薬が出てそれを飲んでから1週間後にまた検査です。
キャットフードも”試し食い”と称して、2種類もらいましたが、
これは新しいモノだからか、喜んで食べています。
もうひとつ、明け方の寒さで吐くこともあると言われたんです。
猫は家の中で自分が一番過ごしやすい場所を見つけて過ごすと思います。
家族の布団では絶対寝ないKUUは、毎日リビングのソファのムートンの上で
気持ちよく寝てるはずです。
信じられないのですが、指摘を受けて昨夜は夜通しエアコンをつけてみましたが、
今夜からは明け方つくように、リモコンで入力しようと思っています。
KUUは野生のベンガル猫の子孫で、雄々しいはずなのに・・・
昨日は帰っても大きな声でギャーギャー鳴くばかりで、きっと怖かったのでしょう。
夜になってやっと落ち着いて寝ましたが、私たちが移動するとすぐに走ってきて
「どこにも行かないでぇ」と甘えていました。
お食事中
ムートンの上は気持ち良いのだ!と眠りに入ります