ちょいとたどり着いた考えでも書いておこうッ!
「ゆっくり練習する」とか「メトロノームに合わせる」とか、「限界に挑戦する」とか…いろいろな言葉が添えられてきたし、自分もレッスンのときにも使ってきたし、何なら自分が練習するときにも考えてきた。
「in Tempoで確実にできるように」と思ってメトロノームに合わせてやると、モノによっては非常に都合良く気持ちよく上手くなったような感じにできるのだけれど、モノによっては非常に面白くなく、調子悪く、音がおかしくなったりとあまりよろしくない。
では、「ゆっくり練習しよう!」と今度はテンポをゆっくりにしてやってみる。
それはそれでとてもいい時もあれば、逆にオーバーブロウっぽくなったり、息が足りなくて失速して調子が狂ったり、なんだかノリが悪くてやたら味気なかったり、上手くできないからテンポ速めでやーろう!みたいにくじけたりする。
限界に挑戦ってのは、例えばアメリカの教本などによくある、1ページ終わるまでマウスピースを口から離さないだとか、ワンブレスで長いフレーズを吹くだとか、ハイトーンやペダルトーンを練習するとか、超高速でとか超絶技巧的なものとか、pppやfff…とにかくそういう練習。
これも「成し遂げた感(普通は「達成感」という気がしてきた!)」があって気持ちがスッキリするときと、やらなければよかった…と後悔するくらいに調子が狂うときと2通りある。
では、これらの練習のキーワードが間違っているのか?と言えば、時として正しく時として正しくないってことで、これはきっと多くのレッスンや練習の場で繰り返されてきた、「あの先生はこういった」「こっちの先生はこういった」の議論と同じく表裏一体なんだろうな。
で、今さらだけど、ようやく気がついた!
「脳みそがパニックにならない」そういう練習をしていくのがいいんじゃないかって!
つまり、「全部脳みそなり身体なりが把握してる状態」を少しづつ拡大していくように練習を進めていくってこと。
もしもテンポが自分にとって、ほんの少しで速すぎる、でもとりあえずやることはできる、その状態で練習していくのではなく、これならすべてが完全に余裕だ!と思えるスピードに落とし、音色や身体などすべてが自分の思い通りに操れるぜ!うひひ!というあたりからスタートして、その感覚で行けるテンポの上限を伸ばしていく。
音量がオーバー過ぎて、頭がちょいとボーっとして「まぁ、こんなもんでいいのかな?」という状態ならば、そんなもんじゃ駄目なので、余裕で吹ける音量に落とし、そこから徐々に余裕で行ける範囲を広げていく。
テンポが遅すぎて息が続かなくて訳が分かんない状態なら、テンポを少し上げて心身ともに楽に吹ける状態から、次第にテンポを落とせるようにする。あるいは、息を途中でもいいからゆったりと吸って、身体がパニクらないようにする。
自分の中で、「余裕」という範疇を増やすように練習する。
だから、ちょっと何やってんだか分かんないけど…という状態とか、上手くいかない…とかいう状態から何かを始めようとしない。絶対に余裕で行ける、その状態を「拡大」する。
「できる範囲で」というと範囲を「狭める」感じに思いがちだけど、できる範囲そのものを「広げる」ように練習する。
できないことを練習するんじゃなくて、できることを広げていく。
できてないところをできた状態にするために、どこから始めたらいいか、それを考えて練習を組み立てていく。
心身ともに自由になったところで自由に音楽の表現ができる。その範疇を広げていく。
絡まった糸を無理に引っ張りながら編み物をするんじゃなくて、ちゃーんとほどいてから編んでいく、そんな気分かな~?
「ゆっくり練習する」とか「メトロノームに合わせる」とか、「限界に挑戦する」とか…いろいろな言葉が添えられてきたし、自分もレッスンのときにも使ってきたし、何なら自分が練習するときにも考えてきた。
「in Tempoで確実にできるように」と思ってメトロノームに合わせてやると、モノによっては非常に都合良く気持ちよく上手くなったような感じにできるのだけれど、モノによっては非常に面白くなく、調子悪く、音がおかしくなったりとあまりよろしくない。
では、「ゆっくり練習しよう!」と今度はテンポをゆっくりにしてやってみる。
それはそれでとてもいい時もあれば、逆にオーバーブロウっぽくなったり、息が足りなくて失速して調子が狂ったり、なんだかノリが悪くてやたら味気なかったり、上手くできないからテンポ速めでやーろう!みたいにくじけたりする。
限界に挑戦ってのは、例えばアメリカの教本などによくある、1ページ終わるまでマウスピースを口から離さないだとか、ワンブレスで長いフレーズを吹くだとか、ハイトーンやペダルトーンを練習するとか、超高速でとか超絶技巧的なものとか、pppやfff…とにかくそういう練習。
これも「成し遂げた感(普通は「達成感」という気がしてきた!)」があって気持ちがスッキリするときと、やらなければよかった…と後悔するくらいに調子が狂うときと2通りある。
では、これらの練習のキーワードが間違っているのか?と言えば、時として正しく時として正しくないってことで、これはきっと多くのレッスンや練習の場で繰り返されてきた、「あの先生はこういった」「こっちの先生はこういった」の議論と同じく表裏一体なんだろうな。
で、今さらだけど、ようやく気がついた!
「脳みそがパニックにならない」そういう練習をしていくのがいいんじゃないかって!
つまり、「全部脳みそなり身体なりが把握してる状態」を少しづつ拡大していくように練習を進めていくってこと。
もしもテンポが自分にとって、ほんの少しで速すぎる、でもとりあえずやることはできる、その状態で練習していくのではなく、これならすべてが完全に余裕だ!と思えるスピードに落とし、音色や身体などすべてが自分の思い通りに操れるぜ!うひひ!というあたりからスタートして、その感覚で行けるテンポの上限を伸ばしていく。
音量がオーバー過ぎて、頭がちょいとボーっとして「まぁ、こんなもんでいいのかな?」という状態ならば、そんなもんじゃ駄目なので、余裕で吹ける音量に落とし、そこから徐々に余裕で行ける範囲を広げていく。
テンポが遅すぎて息が続かなくて訳が分かんない状態なら、テンポを少し上げて心身ともに楽に吹ける状態から、次第にテンポを落とせるようにする。あるいは、息を途中でもいいからゆったりと吸って、身体がパニクらないようにする。
自分の中で、「余裕」という範疇を増やすように練習する。
だから、ちょっと何やってんだか分かんないけど…という状態とか、上手くいかない…とかいう状態から何かを始めようとしない。絶対に余裕で行ける、その状態を「拡大」する。
「できる範囲で」というと範囲を「狭める」感じに思いがちだけど、できる範囲そのものを「広げる」ように練習する。
できないことを練習するんじゃなくて、できることを広げていく。
できてないところをできた状態にするために、どこから始めたらいいか、それを考えて練習を組み立てていく。
心身ともに自由になったところで自由に音楽の表現ができる。その範疇を広げていく。
絡まった糸を無理に引っ張りながら編み物をするんじゃなくて、ちゃーんとほどいてから編んでいく、そんな気分かな~?
そのテンポで完璧を目指す。
するとあら不思議、ちょいと位テンポを上げたところでなんの支障もないのですよ。
何かができないとき、「できてるつもりでできてないこと」を探すと、結構解決するもんです。そのためにも、ゆっくり練習するのは、よいですな。
ただし、メトロノームは必須だと思いますが。
「日本語として分かってる」って言うのと、本当に「実感する」ってのの違い…いつになっても結構あります。昔っから、結構自分で言ってた言葉とか、受験の前に先生に言われてたこととか…いろんなことが、そのときはそのときなりに「分かってた」つもりだったんだけど、何年も経ってから本当に「実感を持って確信する」ってことがよくあります。
なんか、今回もそういう感じ。。。ゆっくりやったり、しっかり確かめるみたいなこと、ずーっと言われてたし、ずーっと自分でも言ってたけど、ようやく「実感」したって感じです、恥ずかしながら
とはいえ、これからもまたそういう類いの発見や再認識がいっぱいあるんだろうな
これからもよろしくです