秋空の裾野が、橙色に染まる時刻。
雪は病院のベッドに横たわりながら、ぼんやりと天井を眺めていた。
白い壁と白い天井の境目が曖昧にぼやけ、意識まで曖昧になってしまいそうだ。
何やってんだろ私‥
雪は窓から見える夕焼け空を眺めながら、今の自分の状況を思った。
かなり退屈だわ‥。真っ昼間から寝たから、これ以上寝るのも疲れるし‥
携帯見るのも飽きたし‥
はぁ、と大きな息を吐く。もう何度目の溜息だろう。
時間がなかなか過ぎて行かない‥
普段忙しい毎日を送っている雪には、今の状況がこの上なく退屈に感じられた。
しかし頭の中とは裏腹に、身体は正直に反応する。
ううっ‥。それでもさっきよりはマシか‥
ストレス性胃腸炎。
雪は両指をお腹の上で組みながら、同じ痛みを味わった去年のことに思いを馳せた。
去年もそうだった。ストレスの絶頂‥とはまさにこのこと‥
そして脳裏には、今年に入ってから体験したあらゆることが浮かんでは消えて行く。
一難去ってまた一難‥まさにそんな言葉が相応しい一年だった。
そして昨年の初め頃、占い師に掛けられた言葉が脳裏をよぎる。
「男に気をつけなさい!この悪運は年を越すよ!」
五百円で占ってもらった運勢だったが、それは確かに当たっていた。
だから二年連続で倒れたのか‥
一体誰のせいなのか?
雪は思い当たる男性陣の顔を脳裏に浮かべ始めた。
‥先輩?河村氏?健太先輩?横山?蓮‥
隣のおじさん?遠藤さん?下着泥棒?
彼氏の顔から以前隣に住んでいた秀紀の顔まで、思い当たる人物は次々と浮かんだ。
途中「何やってるんだろう‥」と我にかえりつつ、溜息を吐いて結論をまとめる。
とにかく私が巻き込まれてるって意味でしょ‥迷信のせいじゃなく‥
様々な人を介して、あらゆる災難に巻き込まれ続けた一年だった。
そして雪の脳裏には、先程新たな災難の匂いを嗅ぎ取った出来事が浮かぶ。
そういえば倒れる前‥
明らかに河村氏が誰かを避けてるみたいだったけど‥あれ何だったんだろ?
誰かを見て血相を変えた亮に引き摺られ陰に隠れ、大きな手の平で口を塞がれた。
あれはどういうことだったのだろう。雪は一人思案に耽る。
どう考えても誰かに追われてたみたいだけど‥あの人、一体何やらかしたの?
いつも蓮と二人でコソコソしてるから私が知る由もないし‥。
大学に通ってるってことはピアノは弾いてるみたいだけど‥高卒認定試験の勉強は?ちゃんとしてるの?
てかあんな風に追われててすぐに病院を飛び出すって‥。あの人のプライベートってどういう感じなんだろ‥謎‥
モヤモヤと色々な考えが頭に浮かぶけれど、真実はまだ何一つ分からない。
雪は傍らに置いてあった携帯電話に手を伸ばす。
画面を見ていると、ふと先輩の声が聞きたくなった。
発信ボタンに指が伸びかけるが、彼の今の状況を思い出してそれを止める。
先輩は今会社で仕事してるよね‥すごく忙しいよね‥
そして彼の顔を思い浮かべると、今は傷だらけということも思い出した。
てかあの顔はどうするつもりなのか‥あれで出勤したんかい
高校時代からの因縁が元で、幼馴染と喧嘩した彼。けれど会社で正直にそれを言う訳にはいかないだろう。
インターンだから周りに調子合わせなきゃいけないだろうし‥お父さんの会社だから大丈夫なのか?
頭の中で、”会社の中の彼”を想像してみる。
けれどどんな風に働いているのか、どんな気持ちで日々を送っているのか、
どんな表情を浮かべているのかは、想像できなかった。浮かんで来るのは後ろ姿ばかりだ。
どんな仕事をしているんだろう。どんな人の下で働いているんだろう。
彼より優秀な人は居るのだろうか?そして彼の周りに、綺麗な人はいるのだろうか‥?
そう考えた時、先輩の近くに居るとびきりの美人のことが思い浮かんだ。
そういえば河村氏のお姉さん‥静香さんだっけか
あの人は資格の勉強するだけであの会社に入れるんだっけ。そして先輩と一緒に‥
いつか見た、先輩と静香が腕を組んでいる写メを思い出す。
自由奔放なあの調子で、静香は淳に接近中‥?
あああああああああ だっから何考えてんの私はーーーーっ!!
親密な二人を想像すると、予想以上にダメージが大きかった。
雪はくしゃくしゃと頭を掻きながら、以前静香から言われた言葉を思い起こす。
アンタ、あたしの弟とあたしの幼馴染み、
あの二人と上手くいってると思ってるみたいだけど、いつまでそうしていられると思ってるワケ?
てかアンタ達付き合ってどのくらいなのよ。長くて半年ってとこ?
それじゃああたしとはどのくらいの付き合いだと思う?
ハスキーな静香の声が、鼓膜の裏で再生される。
雪は夕焼け空を眺めながら、あの美しく獰猛な彼女の顔を思い出す。
身体の中がチクチクと痛み出す。
静香の言葉は、雪の身体にじわじわと痛みを広げていく。
雪は寝返りを打つと、お腹を抱えるような格好で寝転んだ。
頭の中に、去年静香に電話をしていた先輩の声が蘇る。「風邪引くなよ」と、まるで彼女に囁くような声で言っていた。
そりゃそうよ。私より遥かに長い付き合いでしょうよ。
知ってるって。河村氏と長い付き合いなのは言うまでもないし‥お姉さんだもん
静香は淳と亮、二人の歴史を知っている。
いや知っているだけではなく、彼らは三人で一緒に長い時間を共有して来たのだ。
アンタは、互いの何をどのくらい分かってるっていうの?
人と人との関係ってさぁ、浮き沈みはあるとしても、
長続きするのはマジ並大抵なことじゃないじゃん
アンタは、それを始めることすらしなかったじゃない
雪は携帯電話を置いて、ぼんやりと窓の外を眺めてみる。
長い間点滴を打っているお陰かよく眠れたお陰か、頭の中はいつもよりクリアだ。
夕暮れに輝く金色の陽が、紅葉の葉を橙に染める。
なんか‥ううん、
いつも‥すごく距離があるように感じてた
私はいつも彼らを遠巻きに眺めて‥それ以上の行動が出来なくて
結果的に‥どこへ動くことも出来ずに、ただ影響だけを受けている
陽の光を受けて染まる紅葉のように、雪は常に周りに影響されて来た。
だけどそれに抗う術はなく、それがどうしようもないことだということを知っている。
悔しいけど、河村氏のお姉さんの言う通りだ。私が彼らと同じ日々を過ごして来たわけじゃないし、
分かったような顔をして溶けこむことも出来ない。無理矢理割り込むなんて冗談じゃないし‥
私達は互いに経験して来たことが違う
脳裏に浮かぶのは、高校時代の自分。
そして、同じ時間を過ごして来たであろう三人の姿‥。
目を閉じると、目の前に深い溝があった。
その亀裂の向こうで、彼ら三人が笑い合っている。
彼らと私の人生の間にある狭間は、あまりに広い‥
彼らはこちらを振り向かずに、楽しそうに遠くへと歩いて行く。
そんな三人の背中を見つめながら、だんだんと意識が薄れて行く‥。
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<影響ー受けるー>でした。
今回の話は、本家版では「特別編」になってます。
進行するストーリーとは別に、登場人物の心情がそれぞれ描かれていますね。
自身が曖昧で、常に周りに影響され様々な災難に巻き込まれ‥。
2部35話のモノローグで、「曖昧な私」と自身を省みる雪ちゃんを思い出します。
この「自身が曖昧」という点は淳にも当てはまりますよね。
そして今まで自分の生き方を持っていた亮も、雪に出会って揺らいで来ている。
しかし静香はブレないので、曖昧な彼らはもれなく彼女に振り回されます^^;
次回は<影響ー与えるー>です。
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