「あ?」

細い路地を覗き込んだ亮が目にしたのは、そこから出てこようとしている淳だった。
男の襟首を掴んで、まるでゴミ袋を持つような姿勢で男をズルズルと引き摺っている。

亮の存在に気付いた淳は、キョロっとした目で彼を真っ直ぐに見た。
何も言わない。

亮は淳が引き摺っている男の状況を見て口を噤んだ。
ゴミにまみれ、至る所に傷があり血が滲んでいる。
亮はそのまま二、三歩後ずさりして淳に進路を譲った。

淳は通りまで出ると壁際に投げ捨てるように男を放り、身体を打ち付けられた男は小さく呻いた。
しかし淳は構わず亮に声を掛ける。
「警察は?」「来てっけど‥」

淳はそのまま振り返らずに歩いた。雪が居る方向へ。
「雪ちゃん、何でここにいるの?」「先輩‥」

タッ、タッ、と彼の足音が近づいてくる。
雪は動揺を隠せないまま、幾分口ごもりながら彼の問いに答えた。
「そ、その‥まずは病院へ行こうと思って‥」

だんだんと近づいてくる淳を前に、雪は心臓が早鐘を打った。
それは嬉しくて鳴っているのではなかった。
「夜中だけど‥病院に‥」

雪の意識は笑顔を作ることに集中していた。その分彼の問いに対する答えは冗長になった。
雪の目の前に来た淳は、足を引き摺っている彼女に向かって手を伸ばした。彼女を気遣う言葉を掛けながら。
「何でこんなところに‥危ないよ」

差し出された手に対して、雪の本能的な部分が反応した。
意識的な笑顔とは裏腹に、ビクッと身体を固める。

それは一秒に満たない、一瞬の反応だった。
しかし淳はその敏感な神経で、雪の心に芽生えた恐怖を汲み取る。
淳の瞳に感情が浮かんだ。
それも、一瞬のことだったのだが。

淳は少しためらったが、雪の身体を支えるように彼女の肩に触れた。
二人のチグハグな会話が重なる。
「‥危ないから」「だ、だから‥」

二人の物理的な距離は近かった。それは身体が触れ合うほどだった。
淳と雪は互いの顔を正面から見つめた。二人の視線が交錯する。


意識ではコントロール出来ない本能が顔を出して、二人の心とこの場の空気を鈍く軋ませる。
しかし二人は元来会得してきた性分で、その本能を抑えこみ対外的な態度で互いに接した。
「あの‥先輩は大丈夫ですか?あの人すごい怪我して‥先輩もどこか怪我してるんじゃ‥」

雪が傷だらけの男を指さしながら淳を心配すると、淳は「大丈夫」と言って彼女に視線を落とした。
「別に何とも無いよ」

淳は雪の背中に腕を回し、抱きしめるような格好で彼女を支えた。
雪は彼の腕に抱え込まれながら、その感情が読み取れない瞳を覗き込む‥。

「ゆきぃぃぃ!どこにいたのぉぉ?!」

ダダダダ、と足音を響かせながら聡美と太一が雪に駆け寄った。聡美は涙目になっている。
「もー!心臓止まるかと思ったじゃん!
あの変態野郎に誘拐でもされたのかと思っ‥ぎゃっ?!」

雪と淳の後ろに、すっかり伸びきった変態男の姿が目に入り、聡美が目を剥いた。
聡美と太一は、変態男とその前に座る亮を見て声を上げる。
「変態野郎!!」「お~!捕まえたんすネ!」

聡美は、亮が予め言っていたようにギッタギタになった男を見て顔を顰めた。
聡美も太一も、男をここまで傷めつけたのは亮だと思っているのだ。
二人の反応を見て、淳が意味深な表情をした。

亮が犯人を捕まえたことを否定したので、聡美と太一は仰天して淳の方を見た。
うっそだーと言って首を横に振りさえもした。
そんな中、警察が無線で連絡を取りながらこちらへ駆けつけるのが見える。

淳は会話の流れを切るように雪の名を呼び、彼女の手を掴んだ。
そのまま彼女をおぶる姿勢を取る。
「雪ちゃん乗って。まずは病院へ行こう」「え?あ‥はい」

雪は促されるまま頷き、彼の背に乗った。
淳が座っている亮に向かって声を掛ける。
「警察には後から行く。あの男を警察に引き渡しておいてくれ」

へいへい、と亮がいつもの調子で返答する。
雪をおぶって病院へ向かう淳の後ろ姿を見て、聡美と太一が「頼りになるぅ~」と言ってはしゃいだ。亮が顔を顰める。

顔を庇いながら痛みに喘ぐ男を見下ろし、亮は複雑な胸中だった。
雪を背負う淳の後ろ姿が、妙に疎ましく感じられる。

自分が雪を助けられなかったこと、淳の残忍な一面、今の状況‥。
様々な要素が亮の心を波立たせた。
何一つ、自分が納得いく結果が残せなかった‥。

亮は天を仰いで息を吐いた。空には煌々と光る満月が浮かんでいる。
亮の溜息が、晩夏の空気の中にぽっかりと浮かぶ‥。
一方淳は雪をおぶりながら病院へと向かっていた。背中越しに二人は会話をする。
「すごく痛む?」
「う‥何だかもうよく分からないです‥痛いことはすごく痛いですけど‥」

早く病院へ、と言って淳は歩調を速めた。サンダル履きの雪の足首に視線を落とす。
「すごい腫れてるもんね」「折れてなければいいんですが‥」

それでも階段から落ちてその怪我なら幸いだよ、と淳は言った。
雪はもうすぐ新学期なのに治らなかったらどうしよう、と心配する。

「それなら俺が送るから」と彼が言うと、「本当ですか?」と彼女が返して少し笑った。
二人を包む空気が、幾分柔らかく和む。

会話が止むと、二人の間には沈黙が落ちた。
通りは先程の騒ぎから切り離されたようにしんとしていて、空には月の光が淡く灯っている。
「怖かったよね」

ポツリと彼が発した、一つの問い。
何に対して? どんなところが? 一体誰が‥?
その問いに詳細な説明は無かった。たった一言だった。

それでも雪はその真意を汲み取り、口を噤んで暫し思案した。
目を瞑ると、先ほど目にした光景が瞼の裏に暗く浮かぶ。

正直に言えば、恐ろしかった。
血だらけの男を目にするのも、彼が何を考えてあんなことをしたのかも分からなくて。
けど先輩は私のために‥

しかし”私のため”というところが、雪を揺らした。
否、揺れる自分の心をその言葉で抑え込んだ。

解けない不信が心の中にあることを、誤魔化すように雪は彼にぎゅっとしがみついた。
そうすることで、膨らみかけた彼への疑いを押し殺したかったのかもしれなかった。

脳裏に、亮がかつて口にした言葉が蘇る‥。
これ、淳のせいなんだ

雪は自分の心に浮かんだ彼への疑惑を、自らに言い聞かせるように否定した。
ことの善悪や懐疑心よりも、雪は既に自分の一部となった彼との関係を優先したのだ。
私のために先輩はああいった行動に出たんだ‥。
あの時心に浮かんだ感情は、一瞬のものに過ぎない‥。大丈夫、何でもない事だ‥。

問いに答えず、それきり黙って顔をうずめた彼女を、淳は横目で窺った。
けれどもう一度聞くような真似はしない。なぜならその答えが分かっていたからだった。
あの目を見開いた表情と、瞬時に身を固めた反応が、全てを物語っていた‥。

彼女が意識的に封じ込めた感情が、淳の背中に落ちて彼に伝わる。
淳は視線を落とした。二人の会話は無い。
どこかが歪んで、おそらく誤っている。
けれど彼にはその綻びがどこなのか、分からないのだ‥。

それきり二人は黙り込んだまま病院へと向かった。
互いの体温は溶け合っているのに、彼女の心には彼に対して解けない不信が、いつまでも残っていた‥。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<解けない不信>でした。
今回はセリフが無い所に登場人物達が意味有りげな表情をしているコマが多く、難しかったです。
記事は個人の解釈で書いてますので、ここはこうなんじゃないかな~?という感想がありましたら教えて頂けると嬉しいです^^
あと記事には入れられなかったんですがここの太一‥↓

近所の人に泥棒と勘違いされてポカポカ殴られたらしく、タンコブが‥
どこまでも不憫な太一‥^^;
次回は<収束>です。
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細い路地を覗き込んだ亮が目にしたのは、そこから出てこようとしている淳だった。
男の襟首を掴んで、まるでゴミ袋を持つような姿勢で男をズルズルと引き摺っている。

亮の存在に気付いた淳は、キョロっとした目で彼を真っ直ぐに見た。
何も言わない。

亮は淳が引き摺っている男の状況を見て口を噤んだ。
ゴミにまみれ、至る所に傷があり血が滲んでいる。
亮はそのまま二、三歩後ずさりして淳に進路を譲った。

淳は通りまで出ると壁際に投げ捨てるように男を放り、身体を打ち付けられた男は小さく呻いた。
しかし淳は構わず亮に声を掛ける。
「警察は?」「来てっけど‥」

淳はそのまま振り返らずに歩いた。雪が居る方向へ。
「雪ちゃん、何でここにいるの?」「先輩‥」

タッ、タッ、と彼の足音が近づいてくる。
雪は動揺を隠せないまま、幾分口ごもりながら彼の問いに答えた。
「そ、その‥まずは病院へ行こうと思って‥」

だんだんと近づいてくる淳を前に、雪は心臓が早鐘を打った。
それは嬉しくて鳴っているのではなかった。
「夜中だけど‥病院に‥」

雪の意識は笑顔を作ることに集中していた。その分彼の問いに対する答えは冗長になった。
雪の目の前に来た淳は、足を引き摺っている彼女に向かって手を伸ばした。彼女を気遣う言葉を掛けながら。
「何でこんなところに‥危ないよ」

差し出された手に対して、雪の本能的な部分が反応した。
意識的な笑顔とは裏腹に、ビクッと身体を固める。

それは一秒に満たない、一瞬の反応だった。
しかし淳はその敏感な神経で、雪の心に芽生えた恐怖を汲み取る。
淳の瞳に感情が浮かんだ。
それも、一瞬のことだったのだが。

淳は少しためらったが、雪の身体を支えるように彼女の肩に触れた。
二人のチグハグな会話が重なる。
「‥危ないから」「だ、だから‥」

二人の物理的な距離は近かった。それは身体が触れ合うほどだった。
淳と雪は互いの顔を正面から見つめた。二人の視線が交錯する。


意識ではコントロール出来ない本能が顔を出して、二人の心とこの場の空気を鈍く軋ませる。
しかし二人は元来会得してきた性分で、その本能を抑えこみ対外的な態度で互いに接した。
「あの‥先輩は大丈夫ですか?あの人すごい怪我して‥先輩もどこか怪我してるんじゃ‥」

雪が傷だらけの男を指さしながら淳を心配すると、淳は「大丈夫」と言って彼女に視線を落とした。
「別に何とも無いよ」

淳は雪の背中に腕を回し、抱きしめるような格好で彼女を支えた。
雪は彼の腕に抱え込まれながら、その感情が読み取れない瞳を覗き込む‥。

「ゆきぃぃぃ!どこにいたのぉぉ?!」

ダダダダ、と足音を響かせながら聡美と太一が雪に駆け寄った。聡美は涙目になっている。
「もー!心臓止まるかと思ったじゃん!
あの変態野郎に誘拐でもされたのかと思っ‥ぎゃっ?!」

雪と淳の後ろに、すっかり伸びきった変態男の姿が目に入り、聡美が目を剥いた。
聡美と太一は、変態男とその前に座る亮を見て声を上げる。
「変態野郎!!」「お~!捕まえたんすネ!」

聡美は、亮が予め言っていたようにギッタギタになった男を見て顔を顰めた。
聡美も太一も、男をここまで傷めつけたのは亮だと思っているのだ。
二人の反応を見て、淳が意味深な表情をした。

亮が犯人を捕まえたことを否定したので、聡美と太一は仰天して淳の方を見た。
うっそだーと言って首を横に振りさえもした。
そんな中、警察が無線で連絡を取りながらこちらへ駆けつけるのが見える。

淳は会話の流れを切るように雪の名を呼び、彼女の手を掴んだ。
そのまま彼女をおぶる姿勢を取る。
「雪ちゃん乗って。まずは病院へ行こう」「え?あ‥はい」

雪は促されるまま頷き、彼の背に乗った。
淳が座っている亮に向かって声を掛ける。
「警察には後から行く。あの男を警察に引き渡しておいてくれ」

へいへい、と亮がいつもの調子で返答する。
雪をおぶって病院へ向かう淳の後ろ姿を見て、聡美と太一が「頼りになるぅ~」と言ってはしゃいだ。亮が顔を顰める。

顔を庇いながら痛みに喘ぐ男を見下ろし、亮は複雑な胸中だった。
雪を背負う淳の後ろ姿が、妙に疎ましく感じられる。



自分が雪を助けられなかったこと、淳の残忍な一面、今の状況‥。
様々な要素が亮の心を波立たせた。
何一つ、自分が納得いく結果が残せなかった‥。

亮は天を仰いで息を吐いた。空には煌々と光る満月が浮かんでいる。
亮の溜息が、晩夏の空気の中にぽっかりと浮かぶ‥。
一方淳は雪をおぶりながら病院へと向かっていた。背中越しに二人は会話をする。
「すごく痛む?」
「う‥何だかもうよく分からないです‥痛いことはすごく痛いですけど‥」

早く病院へ、と言って淳は歩調を速めた。サンダル履きの雪の足首に視線を落とす。
「すごい腫れてるもんね」「折れてなければいいんですが‥」

それでも階段から落ちてその怪我なら幸いだよ、と淳は言った。
雪はもうすぐ新学期なのに治らなかったらどうしよう、と心配する。

「それなら俺が送るから」と彼が言うと、「本当ですか?」と彼女が返して少し笑った。
二人を包む空気が、幾分柔らかく和む。

会話が止むと、二人の間には沈黙が落ちた。
通りは先程の騒ぎから切り離されたようにしんとしていて、空には月の光が淡く灯っている。
「怖かったよね」

ポツリと彼が発した、一つの問い。
何に対して? どんなところが? 一体誰が‥?
その問いに詳細な説明は無かった。たった一言だった。

それでも雪はその真意を汲み取り、口を噤んで暫し思案した。
目を瞑ると、先ほど目にした光景が瞼の裏に暗く浮かぶ。



正直に言えば、恐ろしかった。
血だらけの男を目にするのも、彼が何を考えてあんなことをしたのかも分からなくて。
けど先輩は私のために‥

しかし”私のため”というところが、雪を揺らした。
否、揺れる自分の心をその言葉で抑え込んだ。

解けない不信が心の中にあることを、誤魔化すように雪は彼にぎゅっとしがみついた。
そうすることで、膨らみかけた彼への疑いを押し殺したかったのかもしれなかった。

脳裏に、亮がかつて口にした言葉が蘇る‥。
これ、淳のせいなんだ

雪は自分の心に浮かんだ彼への疑惑を、自らに言い聞かせるように否定した。
ことの善悪や懐疑心よりも、雪は既に自分の一部となった彼との関係を優先したのだ。
私のために先輩はああいった行動に出たんだ‥。
あの時心に浮かんだ感情は、一瞬のものに過ぎない‥。大丈夫、何でもない事だ‥。

問いに答えず、それきり黙って顔をうずめた彼女を、淳は横目で窺った。
けれどもう一度聞くような真似はしない。なぜならその答えが分かっていたからだった。
あの目を見開いた表情と、瞬時に身を固めた反応が、全てを物語っていた‥。

彼女が意識的に封じ込めた感情が、淳の背中に落ちて彼に伝わる。
淳は視線を落とした。二人の会話は無い。
どこかが歪んで、おそらく誤っている。
けれど彼にはその綻びがどこなのか、分からないのだ‥。

それきり二人は黙り込んだまま病院へと向かった。
互いの体温は溶け合っているのに、彼女の心には彼に対して解けない不信が、いつまでも残っていた‥。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
<解けない不信>でした。
今回はセリフが無い所に登場人物達が意味有りげな表情をしているコマが多く、難しかったです。
記事は個人の解釈で書いてますので、ここはこうなんじゃないかな~?という感想がありましたら教えて頂けると嬉しいです^^
あと記事には入れられなかったんですがここの太一‥↓

近所の人に泥棒と勘違いされてポカポカ殴られたらしく、タンコブが‥

どこまでも不憫な太一‥^^;
次回は<収束>です。
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