ヒマローグ

毎日の新聞記事からわが国の教育にまつわる思いを綴る。

駄目なことは駄目

2009-12-20 08:09:00 | Weblog
「逆の危機感」12月16日
 春日武彦氏と片田珠美氏という2人の精神科医の対談が掲載されました。日頃感じていることを、両氏に代弁して頂いたようで、大いに納得しました。
 片田氏の「普通は成長する過程で他者と自分を比較することで自己愛的万能感は修正されていくですが、今はそれを温存したまま大きくなる人が多い」という指摘は、まさにそのとおりです。私が、教育とは、卑小で平凡な自分に気づかせるとともに、そんな卑小な存在であっても、同時に家族や友人など周囲の人たちにとって自分はかけがえのない存在なのだと理解させることだという持論をもっているからです。
 また、春日氏の『悩みや葛藤を抱えているのが人並みという常識がないと、「自分だけとんでもない目に遭っている」と錯覚して、損じてる感、被害者意識を持ってしまう』にも同感しました。モンスターペアレントと呼ばれる保護者の多くは、こうした感情を強くもち、それが自己の行動を正当化するエネルギーになっている場合がほとんどなのです。
 ただ、対談の最後に挙げられた「子供を殺人者にしないための5カ条」の中には首を傾げてしまうものがありました。それは、4番目に挙げられた『白黒つけない。「絶対に正しい」「絶対にあの人は間違っている」と言わない』です。
 「邪魔な奴はぶっ殺してしまえばいい」という発言に対しても、「間違っている」と言ってはいけないのでしょうか。もちろん、こんな言い方が、単なる揚げ足取りにすぎないことは分かっています。しかし、教育現場にいて感じることは、保護者も教員も「絶対的な価値観」を示すことを躊躇う傾向が強いということなのです。以前、「何で人を殺してはいけないのか」と訊かれて答えられなかった大人たちが話題になったことがありました。そのとき、ある有識者は、「そんなことを訊くこと自体がおかしい。いけないことはいけないんだ」と一喝してやればいいと話していました。一喝することがよいかどうかはともかく、「ダメなものはダメ」と言い切ることが必要な場面があることは間違いありません。
実際、いじめについての指導で、子供から「私も、3年生の時に彼女にいじめられました。どうして私だけが我慢しなければならないのですか」と反論され、「そういう考え方もある」と答えていたのでは、指導は成り立ちません。
 「それでも地球は回っている」。宗教裁判におけるこの言葉は事実ではないということですが、今、教員や親といった大人に求められているのは、誠意をもって自分の価値観を吐露することなのではないかと思うのです。壁が立ちはだかってこそ、それを乗り越えることで子供は成長していくのですから。自信のなさ、責任逃れしたい心情を、価値観の押しつけはいけないという理屈で誤魔化してはいけないと思います。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする